活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

長崎空港をスタート地点に

2006-09-09 11:57:33 | Weblog
 日本に、最初に西欧生まれの活版印刷をもたらしたのは、伊東マンショ・千々石ミゲル・原マルチノ・中浦ジュリアン、あの、4人の少年使節のヨーロッパ行きでした。そこで、彼ら4人の顕彰像に敬意を表して「紀行」の第1歩を踏み出すことにします。
 長崎空港のターミナルビルを出るとすぐそばに「蓑島大橋」があります。橋を渡りきった右手のたもとに、4人の少年が、はるか、ローマの方をきりりとした洋服姿で立っています。
 ここ、大村市は遣欧少年の後ろ盾のひとり、キリシタン大名大村純忠の領地でした。そのためか、JRの大村駅近くには、「天正夢広場」があり、南蛮船と地球儀と西洋楽器を奏でる少年使節の「からくり時計の塔」もあります。

 実は「活版印刷術」を習得して、印刷機とともに、日本に帰ってきたのは、4人の使節の従者として同行した、コンスタンチノ・ドラード(日本名はないが、日本人)でありました。この名前は、今後、たびたび、出てきますから、インプットしておいてください。
 少年使節に敬意を表したあとは、名物「大村寿司」に舌鼓を打つもよし、大村家の菩提寺、「本経寺」を訪ねるもよし、純忠の居城だった「三城城」、その息子、喜前(よしあき)の建てた玖島城址の公園を散策するのもよいと思います。
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