天草から定宿のある諫早にもどって、今度は少年使節のゆかりの地を訪問することにしました。
そのトップバッターは千々石ミゲル。
四人の中でいちばん謎が多く、いつ、どこで、亡くなったかさえ不明です。
それでいて、帰国途中、マカオで印刷された『遣欧使節対話録』では、話の進行役、舞台回し役をつとめさせられていますから、ヴァリニャーノに、相当、かわれていたとみることができます。
車窓右手に橘湾、左手の山の上に風力発電の塔が見えてくると、いよいよ、ミゲルの生地「千々石町」です。ここも、ご他聞に漏れず、町村合併で雲仙市になってしまいましたが、たしかに、東に雲仙普賢岳、西に橘湾と、絶好な自然環境です。
橘湾の橘とは、橘 周太中佐によるもので、千々石湾とも呼ばれています。
橘公園前で下車して、ちょっと戻ると、町役場の庁舎がありますが、その手前に
千々石ミゲルの像がありました。
そのトップバッターは千々石ミゲル。
四人の中でいちばん謎が多く、いつ、どこで、亡くなったかさえ不明です。
それでいて、帰国途中、マカオで印刷された『遣欧使節対話録』では、話の進行役、舞台回し役をつとめさせられていますから、ヴァリニャーノに、相当、かわれていたとみることができます。
車窓右手に橘湾、左手の山の上に風力発電の塔が見えてくると、いよいよ、ミゲルの生地「千々石町」です。ここも、ご他聞に漏れず、町村合併で雲仙市になってしまいましたが、たしかに、東に雲仙普賢岳、西に橘湾と、絶好な自然環境です。
橘湾の橘とは、橘 周太中佐によるもので、千々石湾とも呼ばれています。
橘公園前で下車して、ちょっと戻ると、町役場の庁舎がありますが、その手前に
千々石ミゲルの像がありました。