活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

釜蓋城でミゲルは生まれたという

2007-01-21 13:28:49 | Weblog
 ミゲルの像に別れを告げて、ふたたび、橘公園に足を踏み入れることにしました。あたりにサクラの木が多いので、花見の季節には屋台が出て、にぎやかになります。数年前、私が、当時千々石の教育長、坂 憲章先生にご案内いただいたときがちょうど、その季節でした。
 釜蓋城は山城でしたから、いまでも、高台に向かって歩かねばなりません。
そこには、小さな天守閣が作ってあって、そばに、かなり、古色蒼然たる「清左衛門之碑」があります。
 
 千々石ミゲルは帰国後、ほかの三人とノビシャード(セミナリヨとコレジヨの
間にある、短大みたいな神父養成の学校)までは一緒でしたが、コレジヨには進学せずに、千々石清左衛門として、親戚である大村や有馬の禄をはんだことになっております。四人の使節のなかでとりわけ、認められていたはずのミゲルがなぜ、ドロップアウトしてしまったかは謎です。
 彼は生れ落ちてまもなく、父の戦死によって、釜蓋城を落ちのびなくてはなりませんでした。セミナリヨ入学、そしてヨーロッパへの旅、やがて、落魄の身となるにいたるまで、いっいたい、何があったのでしょう。
 
 二年ほどまえに、大村湾沿いの多良見町で千々石ミゲルの墓ではないかという巨石が発見され、地元で大きな反響を呼びました。
 私はコンスタンチノ・ドラードのことを調べましたが、あちこちに顔を出すミゲルに興味を覚えました。おそらく、ミゲルはこころやさしい少年でしたから、なにかとドラードと親しくし、あるいは、印刷にも手を貸したかも知れません。

 そんなミゲルなのに、顕彰碑が清左衛門であったり、なにかと、橘中佐の陰に隠れてしまっているようで寂しい気がしました。
  
コメント
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