活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

平野富二の生涯

2013-12-06 11:41:12 | 活版印刷のふるさと紀行
           
私は日本の活版印刷史でもっと多くを語られていい人物が2人いると思っています。
 その一人は平野富二であり、もう一人は天正時代に日本に来た宣教師のヴァリニャーノです。平野の功績は本木昌造の、ヴァリニャーノの事績はザビエルの名声の陰に隠れて正当に伝えられていない気がしてなりません。

 2013年11月28日、日本経済新聞の文化欄に「文明開化 情熱の人」と題する古谷昌二さんのエッセーが掲載されており、平野の眠る谷中霊園の近くで古谷さんが評伝執筆に使った平野の遺品を展示するとありました。調べてみると月初めに展示会と古谷さんの講演があるとがわかりました。評伝のことも知りたいし、講演も聞きたいので当日、谷中に向かいました。

 会場に足を踏み入れると「やあ、しばらく」と声をかけて来てくださったのが、朗文堂の片塩二朗さんでした。古谷さんの「平野富二伝」の版元の社長さんですが、もともと印刷活字や印刷人研究の大家です。「秀英体」に関する著作や本木昌三や平野富二の評伝も上梓しておられ、日本の印刷史の生き字引といってよい方です。

 もともとお近づきになったきっかけは私が『活版印刷紀行』に書いた本木昌造の京都、點林堂のことからでしたが、平成13年でしたか長崎の禅林寺に埋もれていた平野富二の碑を谷中の彼の墓のそばに移築して没後110周年記念祭のあったときも片塩さんに招いていただいて参加させていただいたことがありました。

 古谷さんの講演は石川島重工業株式会社(現(株)IHI)のエンジニアであられた方ですから富二の誕生から死に至るまで長崎の少年時代から、印刷・造船界での活躍について非常に整理され緻密に話されました。講演の前に現在の平野家のご一統が紹介されましたが、幼稚園の園児とおぼしきお子さんが六代目と聞きました。富治は明治25年12月に47歳の若さで没しています。
 
「平野富二伝」は本日、朗文堂から送られて来たばかりですが、明治産業近代化のパイオニアとあるサブタイトルが示すように、逐年で克明に彼の生涯を追ったもので、大判二段組みで850ページ、読了までが大変ですが後日またご紹介することにしましょう。

 ただ、これでわが書架に片塩さんの『活字に憑かれた男たち』、『富二奔る』(朗文堂)、高松 さんの『平野富二の生涯』上下(IHI)に加えてこの古谷さんの大作が加わったのでじっくり平野の生涯を勉強させてもらおうと思います。



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