彼岸の休日、まだ、コートやマフラーのご厄介になるような陽気でした。
我が家の墓は王子にありますので、南北線で出かけました。王子といえば
飛鳥山の桜、今年はつぼみも硬いまま、例年よりはかなり遅れているよう
です。そういえば、昨日、湯島天神の下を通りましたがようやく梅が満開
の様子でした。
さいわい日差しがあるせいか、墓地も飛鳥山もかなりの人出、例の東京
唯一の都電も停留所に人があふれておりました。
墓参をすませて向かったのは渋沢史料館。いまやっている企画展「渋澤
倉庫株式会社と渋沢栄一」をのぞきました。
渋沢栄一が生涯で設立や育成に携わった会社数は約500といわれており
ますがその中で「渋沢」の名が現在ついているのは、この「渋澤倉庫株式
会社」1社だけとは初めて知りました。
栄一が「物流」こそが産業や経済を支えると考えたのは明治10年ごろ
で最初は深川福住町の自邸内に倉庫部を置き、1909年(明治42)に株式
会社組織にしたといいいます。以来103年、渋澤倉庫株式会社はいまも江東
区永代で活躍中です。
それにしても渋沢栄一は凄い人です。前にも取り上げたように、紙や印刷
分野でも先人として大きな足跡を残しています。気宇壮大といいいますか、
こういう日本人がこれから出てくるでしょうか。
あらためて打ちのめされた気分の私は都電で早稲田に出てリーガロイヤル
のカフェ直行。なんと気宇最小のことかです。写真は史料館玄関。
我が家の墓は王子にありますので、南北線で出かけました。王子といえば
飛鳥山の桜、今年はつぼみも硬いまま、例年よりはかなり遅れているよう
です。そういえば、昨日、湯島天神の下を通りましたがようやく梅が満開
の様子でした。
さいわい日差しがあるせいか、墓地も飛鳥山もかなりの人出、例の東京
唯一の都電も停留所に人があふれておりました。
墓参をすませて向かったのは渋沢史料館。いまやっている企画展「渋澤
倉庫株式会社と渋沢栄一」をのぞきました。
渋沢栄一が生涯で設立や育成に携わった会社数は約500といわれており
ますがその中で「渋沢」の名が現在ついているのは、この「渋澤倉庫株式
会社」1社だけとは初めて知りました。
栄一が「物流」こそが産業や経済を支えると考えたのは明治10年ごろ
で最初は深川福住町の自邸内に倉庫部を置き、1909年(明治42)に株式
会社組織にしたといいいます。以来103年、渋澤倉庫株式会社はいまも江東
区永代で活躍中です。
それにしても渋沢栄一は凄い人です。前にも取り上げたように、紙や印刷
分野でも先人として大きな足跡を残しています。気宇壮大といいいますか、
こういう日本人がこれから出てくるでしょうか。
あらためて打ちのめされた気分の私は都電で早稲田に出てリーガロイヤル
のカフェ直行。なんと気宇最小のことかです。写真は史料館玄関。