活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

京都から長崎まで1000キロの道を

2007-03-09 13:26:59 | Weblog
 1597年(慶長元)、秀吉の命により、京都一条戻り橋で左耳たぶをそがれた信徒24人が大坂を経由して厳冬の1000キロを1ヶ月かけて長崎まで歩かされたのです。途中で二人が加えられ、長崎、西坂の丘で二十六人の胸を槍が貫いたのは、2月5日でした。これが、日本の殉教の最初でした。

 ローマ教皇ビオ9世は1862年(文久2)6月10日、この二十六人を聖人に列聖しましたが、その百周年に当たる1967年(昭和37)に、西坂に建ったのが本日の訪問先、「日本二十六聖人記念館」です。
 JR長崎駅から歩いて10分、小さな坂を登り、聖フィリッポ教会のガルディふう尖塔を右に広場をつっきると、合掌する二十六人の像が目に飛び込んできます。最年少で12歳だったという聖ルビドス・茨木、最高齢だったという聖ディエゴ喜斎64歳、二十六人それぞれの表情、だれしもがしばらく、その場に釘付けになってしまいそうな雰囲気を秘めています。

 館内に歩を進めまると、まさに、「日本のキリシタンの世紀」がつまっております。日本の活版印刷のさきがけ、キリシタン版を知るためにも、ここをスタート地点にすべきだったかも知れないなと思わされました。
 フランシスコ・ザビエルの自筆の書簡があります。少年使節のひとり、中浦ジュリアンが1612年9月21日に書いた「わが敬愛するイエズス会総長顧問ヌノ・マスカレニヤス神父さま」で始まる自筆のポルトガルの手紙もあります。
 
 そのほか、1593年刊のアントニオ・ポセヴィンの「ビビリオテカ・セレクタ」、1600年代そうそうに南蛮絵師とよばれる日本人の手になった「サンタ・マリア」の絵、羊皮紙に聖歌の五線譜など興味深いものがたくさんありました。
 

 

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