活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

駿河版銅活字のはじまり

2011-03-24 11:23:14 | 活版印刷のふるさと紀行
 






家康というと私たちは駿河版銅活字を真っ先に思い浮かべます。
 ところが実際は伏見版木活字を手掛けてからだったというのは納得できます。いくら
李朝活字がお手本としてあっても、そうそう問屋は卸しません。金属活字を後回しにし
て、木を彫って活字を作ることから始めるのは当然の成り行きだったといえます。

 それならばそのとき、日本には金属活字はまったく存在していなかったかというと、
地理的には離れていましたが、九州の島原や天草にはちゃーんとありました。
 伏見版木活字の『古文孝経』が印刷されたのが1593年、その前々年の1591年
に日本最初の金属活字によるキリシタン版『サントスの御作業の内抜き書』が、その翌
年には『どちりいな・きりしたん』が印刷されています。しかも『どちりいな』は漢字
とひらがなの「国字」です。

 名護屋が朝鮮への足場でしたから、九州といっても意外に交流があった時期ですから
あるいは現地派遣軍の中にキリシタン版の金属活字に接してもその情報を上にあげるほ
どの目利きがいなかったために家康に届かなかったのでしょう。

 家康が木活字から銅活字への移行をはたし、はじめて『大蔵一覧集』なる銅活字本を
印刷したのが、1614年、慶長19年、天下分け目の大坂夏の陣の年でした。


  

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 伏見版木活字の話 | トップ | 奇しくも日本の金属活字印刷... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

活版印刷のふるさと紀行」カテゴリの最新記事