あれから10日になります。
山本隆太郎さん、私には、あの、あなたとのお別れの光景が、まだ、まぶた
にやきついて離れないのです。
告別式が終わり、長いこと、あなたが社長をしておられた印刷学会出版部の
方をはじめ、後輩にかつがれて柩が霊柩車に移されるときが来ました。それを、
会葬のみなさんが合掌して見守っておりました。
そのときです、「吠えろ…」という山崎少年サッカーチームの応援横断幕が
何人かの若者の手によって掲げられました。
霊柩車の金箔の装飾とは、あまりにも異質な「吠えろ…」の横断幕でしたが、
先生、あなたにはなによりもうれしい送別ではなかったでしょうか。
霊柩車は弔笛を一笛鳴らして、静かに出て行きました。
山本隆太郎さんは『印刷雑誌』や印刷関連の出版を通じて印刷ジャーナリズム
の旗手であられました。そのいっぽう、40年もの間、地元、鎌倉で少年サッカー
チームのコーチや監督をつとめられ、お亡くなりになるちょっと前も自からの名前
を冠した「山本隆太郎杯」争奪の大会に顔を出されたばかりだったと聞きました。
そういえば、前の日、通夜の席にも小・中学生が並んでお焼香をしていました。
少年サッカーだけではありません。カメラ、絵画、ギター、観劇、ジャズ、模型、
シャンソン、私が知るだけでも実に多趣味の方でした。
その山本隆太郎さんとの思い出をたどってみたいのです。
山本隆太郎さん、私には、あの、あなたとのお別れの光景が、まだ、まぶた
にやきついて離れないのです。
告別式が終わり、長いこと、あなたが社長をしておられた印刷学会出版部の
方をはじめ、後輩にかつがれて柩が霊柩車に移されるときが来ました。それを、
会葬のみなさんが合掌して見守っておりました。
そのときです、「吠えろ…」という山崎少年サッカーチームの応援横断幕が
何人かの若者の手によって掲げられました。
霊柩車の金箔の装飾とは、あまりにも異質な「吠えろ…」の横断幕でしたが、
先生、あなたにはなによりもうれしい送別ではなかったでしょうか。
霊柩車は弔笛を一笛鳴らして、静かに出て行きました。
山本隆太郎さんは『印刷雑誌』や印刷関連の出版を通じて印刷ジャーナリズム
の旗手であられました。そのいっぽう、40年もの間、地元、鎌倉で少年サッカー
チームのコーチや監督をつとめられ、お亡くなりになるちょっと前も自からの名前
を冠した「山本隆太郎杯」争奪の大会に顔を出されたばかりだったと聞きました。
そういえば、前の日、通夜の席にも小・中学生が並んでお焼香をしていました。
少年サッカーだけではありません。カメラ、絵画、ギター、観劇、ジャズ、模型、
シャンソン、私が知るだけでも実に多趣味の方でした。
その山本隆太郎さんとの思い出をたどってみたいのです。