活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

なぜ、ポルトガルだったのか

2007-09-30 16:44:51 | 活版印刷のふるさと紀行
 キリシタン版を印刷したドラードたちは、遣欧使節の旅先で「活版印刷術」をおぼえて帰って来たわけですが、なぜ、ヴァリニャーノはその研修先にポルトガルを指定したのでしょうか。ポートワインの醸造法を習うのならポルトガルでわかりますが印刷の研修ですぞ。これが、本日の謎です。

 グーテンベルクやフストが発明にかかわった「活版印刷術」は弟子たちによって
たちまち、ヨーロッパの各国に伝播します。
かりに、発明した年代を1450年とします。そのわずか14,5年のちの1465年にはイタリアにつたわり、1470年には活字の書体もドイツ風の肉太活字ではない洗練されたローマン書体がイタリアで開発されたのです。

 ヴァリニャーノが名門パードヴァ大学に学んでいたころ、1560年ごろ、イタリアでは活版印刷がもてはやされていましたし、彼はそれを目の当たりにしたはずです。印刷の機械もご本家よりもイタリアの方が先を行っておりました。ポルトガルに活版印刷が入ったのは1487年、ヨーロッパでは印刷後進国でした。

 それに、天正少年使節の一行は、その当時のニューメディアの盛んなローマやヴェネッツィアをちゃんと通っているのです。なぜ、そこで、印刷要員のドラードたちだけがとどまって、研修を受けなかったのしょうか。謎ときは次回に。

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