活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

川井昌太郎さんの印刷都市論

2012-12-13 15:16:40 | 活版印刷のふるさと紀行

 2012年12月12日、見事に12が並んだ日に神田川大曲塾の研究会があった。会場は印刷博物館グーテンベルクルーム、講師は博物館学芸員の川井昌太郎さん。来年1月14日まで催されている「印刷都市東京と近代日本」を手がけた人であり、展示構想や理念について、芯があるウラ話が聴けたのでそのご紹介。

 現在、東京が日本のなかで、印刷の事業者数も従業者数も粗付加価値額も製造品出荷額もトップであることは平成22年の経産省の工業統計でも明らかですが、そのよってくるところを1860年から1890年、日本の近代化の基礎を築いた時期と東京の印刷都市化の時期が符合する点に着眼したのが本展のミソであり、出発点であったようです。

 まず、「印刷都市東京は印刷都市江戸にある」というのが、展示の第1章。1860年より前の『解体新書』(1874)や『重訂解体新書』(1826)、『北越雪譜』(1836~1842)など木版ではありますが、見事な整版ぶり、印刷技術を拝むことが出来ます。

 そして次が川井さんが力説する日本の近代化を推し進めた印刷都市東京台頭の時期の展示です。『太政官日誌』や『官報』など、それも明治政府みずから木版から活版へ主導している点を見せてくれます。また、1859年、1860年を目前にした年に開港した横浜と横浜から輸出された生糸のラベルには観客も意表を憑かれた思いがします。福沢諭吉の『学問のすゝめ』(1871)の金属製の楷書彫刻活字本は私は初見でした。田口卯吉の『日本開花小史』(1877~1882)も目を惹きました。

 東京の印刷は明治初年、印刷専業企業によって木版から活版へ、あるいは石版へと大きな潮流をうみだします。活字のみならず版画を含めて図像の印刷表現が大きく変わった点も見逃せません。このあたりも展示でしっかり見せてくれています。

 近代日本をつくりあげた印刷都市東京の川井さんの主張が納得でき、すんなり呑み込めた企画展として受け止めましたが、私としては1860年から明治・大正・昭和と隆盛を誇った印刷都市東京が2012年ともなるとすっかり褪色してきたようで、なんとも残念でなりません。印刷都市東京の印刷風土を調べることもわれわれ印刷文化史研究にとってひとつのターゲットではないでしょうか。事実、この東京の印刷風土調べが大曲塾の研究課題にもなっております。




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