活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

彰義隊と佐久間貞一 (日本の印刷人100)

2012-08-14 10:50:40 | 活版印刷のふるさと紀行

 

 

 はっきりしませんが、刀を腰にした武士3人、この中央の男が佐久間貞一、秀英舎、いまの大日本印刷の起業家のひとりです。明治4年11月に長崎で撮影したとあります。

 これに先立つ4年前、慶応4年5月15日、佐久間貞一は彰義隊の一員として上野の山で新政府軍と対峙していました。こう書くと格好いいのですが、実際は洋式装備の1万に対して寄せ集め、負け残りの彰義隊4千では勝ち目があろうはずがありません。雨で日暮れが早いはずなのに明るいうちに決着がついてしまったのです。

 目の前で音をたてて崩れた徳川幕府、江戸城を去ることになった幕臣たちは慶喜や家達を追って駿府入りをします。貞一も掛川に住んで塾通いをしたり、招かれて九州に赴いて天草の島民の北海道移住事業などを手がけたり、伊豆沖で座礁沈没したフランス船ニール号の積み荷を天草の潜水夫を使って引き揚げてちょっと著名になったりします。

 実際に秀英舎が創業されたのは明治9年10月ですが、彰義隊全滅の日から約10年間の彼の歳月を『佐久間貞一小伝』では「流浪中」と表現しています。彼が「活版印刷の会社を興そう」と考えたのは駿府時代なのか、この写真を撮った長崎で活版印刷を目にしたのか、あるいは、教部省で新聞刊行の任に当たったときなのかわかりません。

 とにかく彰義隊員のひとりだった彼、佐久間貞一が友人宏佛海、大内巒、保田久成3人と創業に至るのであって、彰義隊での生死、戦争の行方如何でひょっとして秀英舎、今日の大日本印刷は存在しなかったかも知れません。

 

 

 


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