私的図書館

本好き人の365日

九月の本棚 4

2003-09-30 23:05:00 | 家庭小説
初めて女の子と遊びに出かけたのは遊園地でした。

デートと呼ぶにはお粗末なもので、自分でもわかるほど変にはしゃいだり、相手の気持ちも考えずに場違いなことをしゃべり続けていたり。結局、気を使いすぎて臆病になり、手も握れませんでした(笑)

こうした想い出は不思議と忘れませんね。気まずい沈黙と夏の日差しの中、ただただ歩き続けていたのを憶えています。

さて、今回ご紹介するのはアメリカの若者達が登場する青春小説。

モーリーン・デイリの『十七歳の夏』です。

主人公のアンジイ・モロウは高校を卒業したばかりの十七歳。
中流家庭の四人姉妹の三女として、優しく厳しい両親に育てられ、姉達の恋模様やコールドクリームだらけの顔を横目で見ながら、ウィスコンシン州の片田舎で暮らして来ました。

アメリカの新学期は九月から始まるので、授業は五月に終り、六月七月八月と長い夏休みが続きます。
高校を卒業する十七歳の夏はその中でも特別。新しい旅立ち。そして別れ。それぞれの人生の岐路に立つ、大人への入り口。

その夏、アンジイは高校時代はバスケットボールの花形選手で、今は父親のパン屋の手伝いをしているジャックに、生まれて初めてデートに誘われます。とまどいながらも、はずむ胸を押さえて、こわごわ母親の許可を得た彼女は、夜の湖へとボートに乗りにでかけます。

物語は、特に大事件が起こるわけでも、ドラマティックな展開が待っているわけでもありません。二人のデートは、街のドラッグ・ストアにコカコーラを飲みに行くとか、配達用のトラックでドライブするとか、映画を見に行くとか、ごく普通のありふれたもの。

発表されたのが1942年なので、ダンスパーティーとか、ジューク・ボックスなどが登場し、いかにもアメリカの青春物といった感じ。ところが、アンジイのひとり語りで進んでいくこの物語。切り口がとても新鮮で、グッと読者の心をつかんでしまう魅力にあふれているんです。

特に、彼女の内面の葛藤、これがじつに面白い♪

他の女の子達のように話したり、ダンスをしたりできない自分はジャックにつまらないおもいをさせたのではないか、と悩むアンジイ。

自分でも男の子を思い悩ませることができると知った時に感じた、心ときめくような魅力的な力。
時にはこんな思いにもかられます。

「その男の子のことがとっても好きでも、彼が自分のことで心配しているということをときどき知るのは面白いわ」

まてまて、アンジイ(笑)

心配する男の身にもなってくれ! どうして電話がかかってくると知っていながら、わざと散歩にでかけたりするかな~

そっと重ねた手の平を、まるで何も触れていないかのように振舞ったり、家族の前でちょっと音をたてて食事をしたからって口をきいてくれなかったり。そうかと思うと、瞳を輝かせて、幼い下の妹相手にジャックのことをしゃべり倒したり。(聞いていようといまいとおかまいなしに)

そんな二人が、初めてのケンカや嫉妬を経験して、自分の気持ちや相手の気持ちに気が付いていく姿は、否応もなく読んでいるこっちの心の奥に眠っていた想い出を呼び覚まします。

そうそう、みんなこんな時期があったよねって☆

しっとりと、細やかな内面描写や、感情によって映り方をかえるまわりの景色など、読んでいてかつての自分の十七歳を思い出さずにはいられない。けっしてカッコよくもロマンティックでもなく、必死でもがき苦しんでいた時期だったけれど、確かにあの時期は特別だったような気がする。

物語は、新しい旅立ちの季節。九月を目の前にして、二人に訪れる別れと、未来への希望を匂わせて幕がひかれます。

涼しい秋風を感じる今日この頃、九月の風がまだ残っているうちに、この物語を紹介したかった。

ありふれた、それでいてたった一度の『十七歳の夏』を描いたこの作品。
誰もがかつて通ってきた道。
迷いと戸惑いの中で歩んできた自分達の道程を、忘れてしまわないように、たまにはこんな物語を読んでみるのはいかがでしょう?












モーリーン・デイリ  著
中村 能三  訳
角川文庫

九月の名言集より

2003-09-30 22:31:00 | 日々の出来事
君にはこんな経験はないか。

つまり、

自分のしなくてはならないことが何かあるのがわかっていて、

しかしそれが何なのかはっきりつかめない。

そんな経験はないかい。

俺にわかるのは、

何かをしなくてはならないのだということで、

それが何なのかよくわからない。

時がくればわかるだろうが、

俺は本物をつかむまでやるんだ。

わかるかい?


             ―ジェームス・ディーン―

  

「お百姓さん、ありがとう!」

2003-09-23 00:14:00 | 日々の出来事
我が家の稲刈りが終りました。

岐阜県は冷夏の影響で不作なんですって。
うちは特にコシヒカリの出来が良くなくて、去年ほどの収穫は見込めそうもありません。

お天気が相手では、昔の農民が様々な秋祭りをして、神様に豊作を願った気持ちがわかりますね。

人間は待つしかないですもん。

こんな時は、そうした農民の長年の危惧を人間の技術が見事に払拭する、宮沢賢治の『グスコーブドリの伝記』を思い出します。
人間君のいじましい努力のかいあって、そんな日が本当にくるのかしらん。

お米の一粒一粒には、七人の神様が宿っているそうです。

たまにはお百姓さんに感謝しましょうね☆

九月の本棚

2003-09-16 23:26:00 | 家庭小説
いい季節になってきましたね。
緑が映え、木々がざわめき、青い空に力強い雲。
秋の実りを待ち望む動物達に、生命力を使い果たさんばかりの虫の声。

近づく読書の秋を先取りして、今回ご紹介するのは、自然描写がとっても魅力的な物語。

ジーン・ポーターの『そばかすの少年』です。

初版はなんと1904年! 日本が日露戦争なんかでてんやわんやしていた明治時代に、小説家という職業婦人が社会的地位を持っていたことも驚きなんですが、その内容の美しさに感動してしまいました。

片腕を失くした痛々しい姿で孤児院の入り口に捨てられていた赤ん坊。名前もわからず、その容姿から「そばかす」とだけ呼ばれていた少年は、もらわれた先で、いわれのない暴力と差別を受け、そこから逃げ出します。仕事を求めて少年がたどり着いたのは、原始の姿を残したリンバロストの森。そこで初めて人間らしい扱いを受けたそばかすは、森の番人として木材会社で働くことに。

この”そばかす”って少年がとってもイイんです♪

森の木を盗み出そうとする荒くれ者達。
跳びかからんばかりに尻尾を鳴らすガラガラ蛇。
片腕だけの体ではあっても、魂は勇気と責任感に燃えるそばかす。

突然あらわれた少女を「エンゼル」(天使)と呼び、心から崇拝するそばかす。
エンゼルの忘れていった帽子を届けるために街に降りたそばかすが、メチャクチャ会いたいくせに、わざわざ彼女の父親の会社に帽子と伝言を預けるシーンには驚きました。この行動、「紳士たる者はこうあるべきだという自分の良識」に従ったそばかすの対応が、実業家のエンゼルの父親に感銘を与える結果になります。

それでも、エンゼルを崇拝し、彼女のためなら命さえ投げ出す、そんなそばかすの思いは、それを口にだすくらいなら、死さえ望むほどに絶望的です。

名前さえない自分のこと、子供の片腕を奪ったであろう両親のことを考えると、そばかすがそう思うのもわかる気がするんだけれど、エンゼルは自分達の運命に敢然と立ち向かいます♪

そう、彼女も戦う少女なんです(笑)

「痛快」という言葉がぴったり☆

時に荒くれ者にピストルを向け。
大の男達に指図をし。
捕まったそばかすを救うため、一人で盗賊の首領と対峙する天使。

リンバロストの森の描写も素晴らしい♪

実は、ジーン・ポーターは蛾や蝶のことではけっこう知られた有名な博物学者なんです。実際にリンバロストの森に蝶を採りにしばしば訪れています。

はたして、そばかすとエンゼルは立ちはだかる困難に打ち勝つことができるのか?

しかし、いったいどうやって?

ぜひとも一度は読んでもらいたい本です。

自然豊かな森と、少年と少女の身も震えるほどの愛の物語。
忘れかけた人間の真の美しさを思い出させてくれる、そんな扉が目の前に開いていたら…

どうです?秋の夜長のつれづれに、あなたも覗いてみませんか。









ジーン・ストラトン・ポーター  著
村岡 花子  訳
角川文庫

閑話休題

2003-09-15 16:46:00 | 日々の出来事
田舎暮らしが見直されるようになったのは最近のことですけど、高校生の時は嫌でしたね。

小学生の時まで、うちの土間造りの台所には昔のかまどが残っていました。
さすがに使う機会は少なかったのですが、正月用の餅をつくために、モチ米を蒸かす時なんかには、火を入れていましたね。

水も井戸水を使っていたので、冬なんかには凍りついちゃって大変。

味噌も自分の家で作っていました。
昔の馬小屋が残っていて、そこに味噌桶がいくつも置いてあったんですが、においが強くて、子供の頃には近寄りもしなかった。

家のまわりには柿や栗、梅なんかの木が植えられていて、身が軽いからとよく登らされたものです。

猫の額ほどの竹林からはタケノコを。
裏山からは、自然薯やタラの芽を。
身内にもその場所は教えないといわれるキノコ採りにもよく連れられていきました。落ち葉の盛り上がった所を探すと見つかる”ぼうず”にぬめぬめとした”いくち”
珍しい”きいしめじ”や黒っぽい”しばもち”
採るのは好きだったけど、お弁当とかに入れられると恥ずかしいので、絶対に食べませんでした。
今思い返すと笑い話なんですが、当時はハンバーグやウィンナーのほうがお洒落に見えたんでしょうね。

お風呂も薪を燃やして沸かしていたんですが、改築した今でも「安いから」と薪を燃やして沸かせるようにしています。
本当、楽の出来ない性格の親なもので。

うちの祖父は父が若い頃に亡くなったそうで、下の三人の弟妹を学校に通わせるために、父は学生の時から、土方や炭焼きをして働いてきました。
祖母は再婚するために一度、父を養子に出したり、旅行に行くために借金したりと、あまり家庭的な人ではなかったので、苦労したそうです。

カミナリが落ちて母屋が全焼したりして、山や田畑もずいぶん手放したそうですが、自分は高校だけ卒業して、妹には大学まで出してあげたそうです。

これらの話は母から聞いたもので、父は自分ではこうした話はいっさいしません。

こういう親を持つ息子は苦労するんですよ~

何やってもとうてい父にはかなわないんですから(苦笑)

当時はTVに出てくる土のにおいのしない食卓に憧れていたものですが、『赤毛のアン』や『リンバロストの乙女』を読むようになって、逆に感謝するようになりました。
食べ物を育てる辛さや喜び。
動物達との暮らし。
田舎の重労働や隣人達の目。
継ぎはぎだらけのズボンにほどいた毛糸玉。
そんな思い出の中で、私の中に芽生えたであろう価値観と生き方。

高校生の頃は自分に自信がなくて、人の意見ばかり気にしていたのに、こうした本との出会いが私の中のこうしたものを奮い立たせてくれるんです。

自信を持て。
恥ずかしい育てられ方はされてこなかった。
あとは自分の問題だ。

もっとも、これが一番の問題なんですけどね(笑)



「親愛なる物語」

2003-09-15 11:33:00 | 日々の出来事
家庭小説というジャンルがあります。

「赤毛のアン」や「あしながおじさん」
「若草物語」などがこのジャンルに入るのですが、特徴は、細やかな日常生活の描写に、例外なく健気で勇敢な子供達☆

特に服装と食べ物については、これほど思い入れのある書かれ方をされている小説群は他に例がないでしょう。

まずは服装。
よくでてくるモスリンにギンガムの服。
落ち着いた感じの薄緑色のボイルのドレスに、オーガンジーのドレス。
「赤毛のアン」でマシュウがアンのために頼んだ”袖のふくらんだ服”はグロリア絹地。

新しい服がないばっかりに礼拝式を欠席すると言い出すエルノラ。

少ない手間賃で安いキャラコを買い、なんとかシュミーズをしたてるペリーヌ。

服装にはみんなめいいっぱい気を使ってる。

正直、女の子の服に対する関心の深さは男性の及びもつかない世界らしい。
「あしながおじさん」のジュディーが、手紙の中でこう告げます。

「男の人って、なんてまあ、殺風景な一生を送らなくちゃならないのかしら」

人生の困難に果敢に立ち向かう彼女達が、服のことで悩みまくる姿はとってもかわいくうつります☆

こうした家庭小説の魅力を私に教えてくれた本があります。
氷室冴子さんの家庭小説入門エッセイ『マイ・ディア~親愛なる物語~』です。
もうこうした物語の魅力がいっぱい♪

食べ物だって、
定番のメイプル・シロップに糖蜜のキャンディー。
プラム・プディングに「こけもも」のパイ。
秘伝のパウンド・ケーキにブラマンジェ。
小鳩のローストにラズベリージャム。
クリームの浮いた新鮮な牛乳にイチゴの砂糖漬け。

もう、読んでるだけでお腹が空いてきそう♪

いえいえ、決して食べ物のことばかり書かれているわけじゃありませんよ(笑)

しかし、食事こそが家庭の主婦にとっての一大事。
そして、人生最大の喜びでしょう?

私もアップル・パイが大好物!

毎年、我が家のささやかな果樹園のリンゴが色付くのがとっても楽しみなんです☆

そうそう、よくわからずに読んでいた「キンガムの服」がコットン織りのことだということを初めて知ったのもこの本からでした。

これで少しは”殺風景な一生”に彩りを加えられたかな(笑)







九月の本棚 3

2003-09-15 00:38:00 | 家庭小説
高校時代に読んだ『堤中納言物語』の「虫めづる姫君」は今でも大好きな話の一つです。

マユも剃らず、歯もそめず、毛虫の収集を趣味とする姫君。
こういう人は、何が大切で、何が重要でないか、ちゃんとわきまえていたんだと思いますね☆

さて、『リンバロストの乙女』の二回目です。

我等がエルノラも、蝶や蛾の扱いについては「虫めづる姫君」に劣らず、かなり優秀です。”鳥のおばさん”から、蝶や蛾のコレクションがお金になることを聞いたエルノラは、学費からなにから、すべての資金をまかなうために、それらの収集に懸命に励みます。

蛾の中で「詩人の王」と呼ばれるシセロニア・レガリスが殻からはいだし、しだいに羽を広げていくシーンには、さしものエルノラの母親も、神の力を認めないわけにはいきません。

「わたしの魂を自由に拡げて、あなたの驚くべきみわざをあますところなく悟らせて下さるようお助け下さい。」

実は私、このお母さんの大ファンなんです(笑)

実際的で理性的。そうかと思うと夜中に沼の畔で、夫のために悲痛に嘆く激しい感情をあわせ持つ女性。悲しみと苦労のせいで自分以外の人間には冷淡に振舞うんだけど、その理由のわかっている読者には、そこさえたまらなく魅力的にうつってしまう。

もちろん、その他の登場人物もとっても魅力的です☆

病気の療養で訪れたフィリップ。
彼の婚約者で、社交界の女王様然としたエディス。
二人の友人で、愛するエディスのために奔走するヘンダソン。

物語後半は、ものすごい勢いで、恋物語へとなだれ込んでいきます。

高校生活はエルノラを少女から若々しい女性へと成長させました。
卒業式も終え、大学へ行く資金を稼ぐためにまたしても蝶や蛾を集めなくてはならないエルノラは、ある日、静養のためこの地を訪れていた一人の青年と出会います。
蝶や蛾について語り、学問について議論をかわす二人。そんな彼、フィリップに婚約者がいることは、すぐにわかり、エルノラは彼の婚約者に公平であろうと、フィリップに対し友人として接します。

やがて、リンバロストとエルノラに心を残しながらも、父の仕事や自分達の結婚式の準備のために去って行くフィリップ。

エルノラの母親はかたく抱きしめて娘に訊きます。

「言っておくれ。その涙はひとしずくでもあの人のせいなのかい?」

一方、自分と自分に対するフィリィプの愛を信じていながら、その愛を試すために何度も婚約を破棄すると言い出すエディスも、メチャクチャかわいい♪

フィリップをめぐるこのエディスとエルノラの二人っきりの刃の上を渡るかのような会話は、読んでいるこっちが息も詰まるほど。


 心は破れじ、
 過ぎし日の愛ゆえにうずき、
 痛む心にはあれど、 死には至らじ
 我がいのちこそ その証なれ


はたして恋の行方はいかに?

個人的には、エディスを愛するが故に、彼女の望む《フィリップの愛》をなんとか手に入れさせようとするヘンダソン君が健気で応援したくなっちゃうんだけど…

この物語には、リンバロストの美しい森だけでなく、『そばかすの少年』に出てきた人物や小道具も登場して、読者を楽しませてくれます。

しかし、そんなことよりもなによりも、まず一人でも多くの人に読んで頂きたい。
読んで知ってもらいたい。
私がどんなにこの物語で心揺さぶられたかを。

訳者の村岡花子女史はこう書いています。

「若い人々を読者として若い日の情熱を正しい方向へ導きたいというのが、私の生涯の仕事の基調です。」

何が大切で、何は重要でないかの選択を迫られた時、ちゃんと私の中でこの物語が生きています。
こんな出会いがあるから、人生はやめられないんですよね。

では、あなたにも、そんな素敵な出会いがありますように…










ジーン・ストラトン・ポーター  著
村岡 花子  訳
角川文庫

九月の本棚 2

2003-09-15 00:01:00 | 家庭小説
いかなる環境に置かれようとも、人は、それに打ち勝つすべを生まれながらに持っている。

そうありたいと思い、そうであって欲しいと願うあなた。

今回は、そんなあなたに送るとっておきの物語。
ジーン・ポーター第二段。

家庭文学の近代古典『リンバロストの乙女』をご紹介します☆

父をリンバロストの沼で失い、それ以来いささかの愛情も示してくれない母と二人で森と共に暮らしてきた主人公のエルノラ。
町の高校に行き、勉強したいと切に願う彼女は、母親の反対をなんとか押し切り、念願の登校初日を迎えます。ところが、始業式の会場に立ったエルノラは呆然とします。

「これはなにもかも間違いなのだ。これは学校ではなく、蝶結びにした大きなリボンの大展示会なのだ。」

よい匂いをさせて、鳥や花とみまがうばかりのはでやかな装いをした、幸福そうな若い少女たち。対して自分は、丈の長い褐色の更紗の服に、重い革のドタドタした長靴。古ぼけた帽子に幅の狭いリボン。

エルノラの田舎じみた格好は、たちまち好奇の目にさらされ、彼女は恥ずかしさのあまり思わず天に祈ります。
「神さま、あなたの翼の蔭にあたしをかくして下さい」

こういう身の置き場のない、いたたまれない気持ち、わかります。
私も中学生の時に、床屋で変な髪形にされた時は、真剣に学校休もうかと考えましたもん☆

そんなエルノラに、さらに追い討ちをかけるように、授業料や教科書代などで、たくさんお金が必要なことが知らされます。エルノラの家はけっして貧乏というわけではないのですが、最愛の夫を沼で失ってからというもの、心を失ったかのように娘につらくあたる母親が、お金を工面してくれる希望はほとんどありません。

だけどエルノラはあきらめません。母からの援助が期待できない以上、彼女は自分の力で、この困難を乗り越えようとします。

こうしたエルノラの奮戦が、前半の見どころなのですが、こんな大昔から女子高生ってお金がかかったんですね。
通学で使うギンガムや麻の服に、色とりどりの髪リボン。洗髪用石鹸に爪みがき、コールドクリームなどの化粧品。革のベルトにハンカチ、帽子に靴下、散歩用の短靴。お弁当箱。

極めつけはグループ内のお茶会。

仲の良い友達同士が、順番に高価なお菓子やアイスクリーム、熱いチョコレートなどをおごるのだけれど、もちろんエルノラにそんなお金はない。

ここからが我等がエルノラの真骨頂。

楓糖でかため、ぶなの実をふんだんにちりばめた、はぜとうもろこし。砂糖をかけたヒッコリーの実の心。暖かなかぼちゃパイに、香りのよいドーナッツ。熟し切った赤いさんざしの実に、こうばしい大きなあけびの実。シュガー・ケーキに口の中で広がる香料入りの梨。大切な友達との付き合いのために、泣き言もいわず、自然からの贈り物をせっせと集めるエルノラ。
そのもてなしは大好評で、少女達が金切り声をあげて突撃するほど♪

こうした健気でがんばり屋のエルノラに、ジーン・ポーターは次から次へと無理難題を押し付けます(笑)

もう、ちょっとはそっとしておいてやってくれ! と思わず叫びたくなるほど。かわいそうな子供に自分のお弁当を全部あげてしまうエルノラ。ところが、次の日には子供は三人に増え、その次の日には昨日の三人に加えてなんと大きな犬まで(笑)

礼拝式の当日になって、頼んでおいた新しい服がないことに途方に暮れるエルノラ。後半は、婚約者のいる優しい青年がエルノラの前に登場したりして、さあ大変!

この続きは次回で紹介しましょう。
この本、角川文庫版だと、上下二冊にわかれているので、紹介も二回にわけて…なんて、まだまだ書き足りないだけなんですけどね。
なんてったってこの物語、とってもお気に入りなもんで☆









ジーン・ストラトン・ポーター  著
村岡 花子  訳
角川文庫

「教えて、おじいさん」

2003-09-11 22:14:00 | 日々の出来事
カルピスって好きですか?

甘くって、乳酸菌で、水で薄めて作る涼しげな飲み物。
小さい頃はたくさん飲みたいもんだから、水を入れすぎたりして♪

だけど、私達の年代にとってカルピスといえば、日曜七時半のお約束。

そう、アニメ番組の金字塔『世界名作劇場』のスポンサーで有名なのでした。

「ハイジ」や「ラスカル」。「赤毛のアン」に「母を訪ねて三千里」。
そうそう、「フランダースの犬」を忘れるところだった。
とにかく、本当に名作の目白押し。
こんな作品を子供時代にリアルタイムで見られたなんて、今思うと、なんて幸運!

主題歌なんて今でも覚えてますもん☆

NHKのアニメ枠でも、かつては「子鹿物語」や「秘密の花園」なんて名作を作っていたものですが(「ふしぎの海のナディア」なんてものもあったな…アレがいけなかったのか?)いまや荒唐無稽なものばかり。

カルピスが味の素と提携して、スポンサーがハウス食品になってからも、かなりがんばっていたんだけれど、せめて続けて欲しかったな~
サザエさんや、ドラえもんだって頑張っているのに…

まだまだアニメ化して欲しい作品はたくさんありました。

ジーン・ポーターやオルコット、E・ネズビットにモンゴメリのその他の作品。
モーリーン・デイリだって、ミス・リードだってどれもこれも珠玉の逸品揃いなのに。

最近、ハウス食品がCMにスタジオジブリ制作のアニメーションを使っているのを見て思いました。

もしかして、復活がありえるかも?

少なくてもアニメーションの利用価値に気が付いていることは確か。
もう一押し。
ここは世論の声をとどけなくては!

…なんて私だけでしょうか(笑)

でも甥っ子と共に、家族で「母を訪ねて三千里」を見ながら強くそう思ったんですけどね。
だって大人全員泣いてましたから(笑)
このパワーは見逃せませんって☆

求む! 『世界名作劇場』復活!!