最近、スマートフォンの調子が悪いです。
なぜか寒い場所だとボタンを押しても反応せず、液晶画面は真っ黒のまま。そのくせ温かい場所にしばらく置いておくといつの間にか復活している。
最新機器のはずなのに、この昭和の機械のような反応は何!?
叩くと調子がよくなったりして?
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しかたなく使えるうちに連絡先のデータだけはノートに書き写しておきました。何だかんだいって紙と鉛筆が一番確実ですね。
このまま悪化したら買い替えも考えなくっちゃ。
やれやれ。
今日は先日発売された、あずまきよひこさんの最新刊『よつばと!⑪』(アスキー・メディアワークス)を買って来ました♪
作家の森見登美彦さんのブログを見ていたら、最近読んだ本として載っていたので、発売されていることに気がついたんです。
ストーリーらしきものがなく、日常を描いているだけなのに、何故か面白い!
あとこれは立ち読み。
森博嗣 著
『つぶやきのクリーム』(講談社)
茂木健一郎 著
『僕たちは美しく生きていけるのだろうか』(幻冬舎)
『つぶやきのクリーム』は作家森博嗣さんがつぶやいた100のフレーズとその解説(?)。短い言葉の羅列なのですぐに読めます。
「勝ち組と負け組というのは負け組が言っている表現である。勝ち組の人は、やった組とやらなかった組としか見ていない」
という言葉が印象的でした。
森さんはブログで本の紹介や本文の引用をすることにあまりいい感情を持っていないようなので、本の紹介はこのへんで(苦笑)
『僕たちは美しく…』は脳科学者茂木健一郎さんの本で、冒頭「赤毛のアン」の主人公アン・シャーリーが並木道のあまりの美しさに言葉を失う場面を取り上げてみえたので、つい読んでしまいました♪
茂木健一郎さんには同じ「赤毛のアン」の隠れファンとして勝手に親近感を持っています☆
あと本屋さんで見つけて嬉しかったのが、レーモン・クノー・コレクションとして水声社からあらためて出版された『地下鉄のザジ』と、講談社青い鳥文庫に収められた高楼方子さんの『十一月の扉』。
前者は中公文庫版、後者は新潮文庫版を持っていますが、どちらも大好きな作品なのでこうして新しい版が出るのは嬉しい♪
『地下鉄のザジ』は超豪華版だし(2,310円もする!)、『十一月の扉』にはリブリオ出版で出した時と同じく千葉史子さんの絵が使われています。
フランスの作家レーモン・クノーは知らなくても、大貫妙子さんが作詞作曲して原田知世さんが歌った「地下鉄のザジ」は知っている人がいるのでは?
原作というか小説も面白いですよ。
『十一月の扉』も講談社青い鳥文庫ということで、子供たちにたくさん読んで欲しいなぁ。
ファンの人がいかに「ハリー・ポッター」を愛しているのかを語ってみえて、とっても楽しかった♪
個人的にコスプレとかにはあまり興味はないのですが、作品に登場する「魔法薬」を実際に作ってみたという人がいてビックリ。もちろん、見た目や味を再現しただけで、魔法の効果はありません(苦笑)
『指輪物語』に続き『ハリー・ポッター』の映画も完結してしまい、あと楽しみなのは『ナルニア国物語』だけかな。
第三章までは全部映画館に観に行きましたが、久しぶりに第四章の情報を探してみると、「第四章は『魔術師のおい』になりそう…」という言葉が!
エ~!!
イギリスの学者であり作家、C・S・ルイスの書いた「ナルニア国物語」は全7巻からなる物語。これまで順番通り映画化されてきているので、本来なら第四章は第四巻の『銀のいす』になるはず。
『魔術師のおい』は様々な謎がいっきに明らかになる謎解き編ではありますが(なぜ白い魔女がナルニアにやって来たのか、なぜ人間がナルニアの王なのか、ルーシー〈四兄妹の末娘〉が第一章でタムナスさんと出会う場所になぜ街灯が立っていたのかなどなど)、本来は第6巻にあたり、ルーシーたちが生まれる前の物語です。
なんだかこのままなし崩しに完結、もしくは打ち切りになってしまいそう…
まあ、シリーズ物って難しいんですよね。
「ハリー・ポッター」が例外なだけ。でも「ナルニア」の中でも『銀のいす』が一番好きなだけにとっても残念です。
映画化して欲しいなぁ。
本日、11月29日は奇しくも「ナルニア国物語」の作者、C・S・ルイスの生まれた日。
言葉をしゃべる動物や妖精、神話の中の生き物たちが暮らす国ナルニア。
この物語を知らないなんて、人生の半分は損してる!
私は勝手にそう思っています。
そのくらい大好きなんです☆
「ハリー・ポッター」が終ってしまい、ちょっと夢と魔法が酸欠気味なので、早く次回作を発表して欲しいなぁ。
既製品のドレッシングをかけるのも芸がないと思って、オリジナルドレッシングの調合を…
格闘10分のすえ、抜群のレシピが完成!!
何このうまさ!
商品として売れるんじゃない!?
あるメーカーの和風ノンオイルドレッシングに、めんつゆを2:1で入れ、チューブのねりわさび少々と砂糖かわりのカロリーオフ甘味料(パルス○ート)を少々。
わさびの風味と甘さが大根サラダにピッタリ!
…既製品をまぜただけじゃ売り出せないか。
大根にわさびって合いますね♪
多分探せばわさび風味のドレッシングって売っているような気もしますが、自分で作るところが楽しいんです。
大根サラダ、美味しくいただきました。
また作ろ。
昔の地下鉄銀座線って、到着直前に一瞬車内が暗くなったんですってね。
どうやらレールから電気をとっていた関係で、切り替え線などがあると一時的に電気の供給が切れていたみたいですが、そこから作家の村上春樹さんは、
「人が目的地に着く直前には常に深い闇が訪れるんだ」
と思ったそうです。
「夜明け前が一番暗い」ともいいますもんね。
生きているといろいろあって、お先真っ暗と感じることもしばしば。だけど、その暗闇の先には光がある…
自分自身、将来に対して不安を感じる、定期的に巡ってくる不安定期の中にいたので、この文章を読んだ時にとても心に響きました。
今は暗闇の中だけれど、もうちょっと頑張ろう…
ちなみに心の不安定期は、ちょっと美味しい物を食べるとか、ちょっと面白い映画を見るとかでも抜け出すことができます☆
読んでいたのは村上春樹さんのエッセイ、
『おおきなかぶ、むずかしいアボガド 村上ラヂオ2』(マガジンハウス)
雑誌「anan」に連載されていたもので、大橋歩さんの魅力的な銅版画も見ることができます。
海外生活やオシャレな村上さんについても読めますが、「挨拶」という漢字がいまだに書けないとか、ロールキャベツが見るのも嫌いとか、ちょっと抜けたところもある村上さんが面白い♪
その中で、「大きな蕪(かぶ)」というロシア民話を紹介しながら、日本の今昔物語に出てくる「子だねの蕪」という話についてもふれています。
昔々、ある若い男が東国に行く途中、どうしても我慢ができなくなって畑の蕪に穴を開けてHをしてしまいます(笑)
その畑の持ち主の娘が、その蕪を知らずに食べてしまうとあら不思議、娘は妊娠してしまい、それを知った両親は大慌て。娘は憶えがないと言い張るし、まさか蕪のせいだとは思わない家族は困惑するばかり。しかたなく、もう嫁にもやれないからと娘と産まれた子供を養うことに。
数年後、京に帰る男が再びその地を訪れ、そういえばあの時こんなことがあったと笑い話で口にした蕪との情事が娘の家族に知られ、男は娘と自分の種で生まれた子供に初めて対面します。これこれこういうわけで、と事情を聞き、男は不思議なこともあるものよと思いながらも、これも宿縁と、娘と一緒になり子供ともども末永くその土地で暮らした、というお話。
教訓もなにも無い! ヒドイ話だ、と村上さんは笑っているけれど、私はこのお話を知らなかったのですごく面白かった♪
今昔物語や古事記もそうですが、日本の古典ってこういう現代から見たらけっこう危ない話がちらほらありますね。
さすがにこんな変態男の話は教科書には載せられないでしょうけど(苦笑)
それとも、うがった見方をすると出来ちゃった婚の言い訳? なぜだかわからないけれど赤ちゃんができちゃったの、きっと蕪を食べたせいだわ…(しらじら)
「通い婚」とかの時代なのでそれはないかな?
身分の差があったとか?
ま、どっちにしろ、めでたしめでたしで良かった。
未成年の方が読んでいたらごめんなさい。
大人の世界は複雑なんです♪
その他、アボガドの食べ頃をいいあてるおばさんとか(あれは難しい)、太宰治と三島由紀夫の話とか(そういえば先日11月25日は三島由紀夫の命日でしたね。自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺。享年45歳でした)、村上さんもよく走るというマラソンの話、レタスやお酒、気持ちのいいホテルのサービスなどについて書かれていて、作品だけではわからない作家村上春樹が読めて面白かったです。
本屋さんでコバルト文庫の棚やライトノベルの棚に近寄るのは割と平気なのですが、「anan」はなぜか手に取りにくいんですよね~
ついでに荻原規子さんの『RDG(レッドデータガール)はじめてのお使い』(角川文庫)の文庫本も買って来ました。
株主優待でもらった図書カードで支払い。
荻原規子さんのこの本、前から読んでみたかったんです。
冬眠するクマではありませんが、そろそろお正月休み用の本を買いためておかないと。
今年はいつまで暖房器具を使わずに過ごせるかな?
この2日ほど、買ったままだった長編ファンタジー小説、パトリシア・A・マキリップの「イルスの竪琴」3部作をお風呂に入りながら読んでいます。
天井から落ちてくるしずくを計算に入れながら、だいたい1時間くらい。ようやく2巻の終わりまで来ました。
ページをめくるたびに面白さが増していくので、途中でやめられなくて、ついつい長湯をしてしまうんですよね。
お風呂で本を読むと本がゴワゴワになってしまうのですが、ペットボトルなんか持ち込んで、しっかり水分補給しながら、のんびりゆったり読んでいます。
たとえ小さなユニットバスだったとしても、至福の時間です♪
『アントキノイノチ』(幻冬舎文庫)
を読みました。
…ヤバイ、誰か涙とめて。
遺品整理業を行う会社を舞台に、人間の尊厳、命についての物語が描かれています。
さだまさしさんにはやられました。
彼の作品『解夏』も読みましたが、小説家顔負け。
こちらの心にグイグイ迫ってくる内容と文章で、この本もいっきに読んでしまいました。
題名については読んでのお楽しみとして(苦笑)、これから読まれる方、本を手に取ってみようと思われている方には、遺品整理の現場について、かなり具体的な描写がされているので、注意が必要です。
ご飯を食べた後に読むと気分を悪くする方がいるかも知れません。
それくらい壮絶なんです。しかし、それが命。それが本当の人間の姿。
どうか、その場面と向き合って読み進めて下さい!
この小説の良さは、最後まで読み切るとわかります。
「生きるって、とっても恥ずかしいことなんだよ」
生きていた人間が残した品々。それは生々しく、赤裸々な人間の生を浮かび上がらせる。しかし、どんな時も仏様の尊厳を守って遺品整理の仕事を行う登場人物たち!
彼らはいいます、俺たちの仕事は天国への引越し屋なんだと。
心に傷を負った主人公。
親友の悪意によって、心の壊れてしまった彼が、遺品整理業という仕事の中で、会社の先輩、遺品整理を依頼してくる遺族、そして故人が残した品々とふれ合ううちに、しだいに変化していきます。
心の中で彼を苦しめていた重い鎖がしだいに形を変えていく…
そして同時進行で描かれる彼の過去。
破綻の予感を感じながら、しだいに追い詰められていく主人公の様子には、読んでいて胸が痛みました。
自分を苦しめるものと向き合うのは勇気がいりますよね。
誰でも逃げてしまいたいと思うもの。
でも、心の中に閉じ込めてしまっても、前には進めない。
いつかは向いあわなくちゃ…
主人公とヒロインの女の子が、それぞれ自分の過去と向き合う、読んでいて(さださん、そこまでするの!?)と思うような場面があるのですが、二人の行動にはすごく教えられるものがありました。
私も自分の逃げていたものとちゃんと向き合わなきゃ、と思わず思ってしまったくらい。
家族を捨てて男と逃げた母親が、孤独に亡くなり、ずっと音信不通だった残してきた二人の娘宛てに書いた、出したくても出せなかった手紙というのが出てくるのですが、私はそこで一番泣きました。
家族とは会わなきゃダメですね。
無縁社会。
孤独死。
家族と暮らすことなく、誰にも看取られずに亡くなることが当たり前になってしまった現代。
この小説にはモデルとなった遺品整理業者の方々が本当にいらっしゃるそうです。
映画は小説とちょっと設定が違うようですが、見てみたいと思いました。
はぁ~、泣き疲れた。
主人公とヒロインの二人が叫ぶところが好きです。
「元気ですかーー!!」って♪
疲れた~
最近運動不足だったので、思いつきで一キロくらい離れたコンビニまで歩いて行ってみたんです。
往復二キロ。
けっこういい運動になりました。
いや、二キロといっても住んでいるのが山の上なので、もう下山といっていいくらい、坂ばっかりなのです。
深夜のコンビニは派手なお姉ちゃんと、モサッとした若者ばかり。
一リットルパックのお茶だけ買って帰って来ました。
かなり疲れましたが、おかげで体はポカポカ。
明日はどうしようかな…
どうやらご婦人が振り込みたい口座が使えない状態になっているみたい。
「この口座だって言われたんだけど。知人が財布の入ったバッグを無くして困っているの。大丈夫、知っている人だから振り込め詐欺じゃないわ」
…いやいやおばさん、振り込め詐欺はたいてい知人を名乗るのでは?
行員は辛抱強くもう一度本人に確認の電話をするように勧めていましたが、「とても困っているから何とかならない?」とねばるご婦人。
なぜ電話を拒む!?
このご婦人の知人は本当に財布を失くして困っていたのかも知れませんが、まだまだ振り込め詐欺やそれに類する詐欺は多いですからね。注意するに越したことはありません。
まずは自分ひとりで判断せずに誰かに相談すること。
私の信条は「だますな! だまされるな!」です。
この間紅葉を見に長野県まで行って来ました。
帰りに寄ったのが、木曽の山の中にある道の駅に隣接した小さな美術館「東山魁夷 心の旅路館」というところ。
何でも日本画家の東山魁夷(ひがしやま かいい)が青年の頃、山登りに来て夕立に遭い、このあたりの農家にかけこんで一夜の宿を求めたことがあったそうです。
その時に思いがけないほどの温かいもてなしを受けた東山魁夷は、木曽の人たちの素朴な生活と雄大な自然に心を打たれ、風景画家の道へ歩む決意をしたんだとか。
本当に小さな美術館なんですが、日本各地の山々、ドイツや北欧の森などを深い緑と青で描いたリトグラフや木版画の作品がいくつも展示されていました。
また外の庭には碑文があり、
歩み入る者にやすらぎを 去り行く人にしあわせを
と彫られていました。
これは東山魁夷が旅行で訪れたドイツのローテンブルクという街で、門に刻字されていたラテン語の銘文を見て、本人が訳したものなんだそうです。
なんだか若き日の東山魁夷と木曽の人々のエピソード、泊めてあげた農家の人のかざらないもてなしの心を彷彿とさせる言葉でした。
一方で他人をダマす人間がいるかと思えば、一方では他人を、何の見返りも求めずに心配し、もてなす人間もいる。
なぜそんな人間がいるのかと悩むよりも、自分がどっちの人間になりたいかと考えた方が健康的ですね。
さ湯でよければもてなしますよ(苦笑)
日曜日の午後はスケッチをして過ごしました。
子供のいる家庭に出す年賀状には毎年自分でイラストを書いているので、その練習のつもりで。
裸婦像を何点か描きましたが、腕のなまっていることなまっていること。
たまにしか描かないから物の形がとらえきれない。
もうしばらくデッサンから練習しないと。
モデルはネットで公開されているプロの写真家さんの作品から。
昔はポーズ集を買ったり、自分を鏡に映したり、友達同士でお互いを描いたりしていましたが(着衣です)、今は便利になりました。
モデルさんを雇うと高いですからね。
学校に通っている時は何度か授業で描く機会がありましたが、その時とは比べようがないくらい手がなまってしまいました。
やっぱり絵は毎日描き続けるくらいじゃないとダメですね。
友人がネット通販のアマ○ンで安く商品が手に入ったとすすめるので、最近よく見ています。
まだ一度も利用したことないんですよね。
ネットは便利ですが、怖いところもあるから。
中古書籍を見ていると、前から欲しかった穂村弘さんの本が出品されていました。
『手紙魔みれ、夏の引越し(ウサギ連れ)』という歌集なんですが、
ハロー 夜。ハロー 静かな霜柱。
ハロー カップヌードルの海老たち。
―穂村弘「手紙魔みれ、夏の引越し(ウサギ連れ)」―
というような歌が載っています♪
欲しいけれど、中古だとなんだか面倒くさそう…
クリックひとつで買い物ができるというのも考えもの。
物欲と戦うのが大変です。
一袋けっこう入っていて20円。
よく行くパン屋さんなのに、パンの耳を売っているところを初めて見ました。
たまたま朝一番に寄ったから?
いつもは早々に売れちゃうのかな?
たいして親しくもない店員さんに話しかけるのもおっくうだったので、事の真相を確かめることもなくお会計。
さっそく朝食に二枚ほどバターをぬって、簡単なサラダと温めた牛乳をそえて食べました。(耳といっても両端の大きな部分ばかりだったので)
もの珍しさで買ってはみたものの、さしたる料理プランはなし。
一袋分のパンの耳はまだまだ残っている。
しょうがないのでサンドウィッチにしてみました。
まずコンビニでおでんを買った時に多めにもらったカラシと、冷蔵庫のマヨネーズをまぜてカラシマヨネーズを作り、なるべく厚めのパンの耳にぬり、その上にレタス、キュウリを乗せて、もう一枚カラシマヨネーズをぬったパンの耳をのせる。それを上から一度ギュッと押さえてから、包丁で半分に切れば出来上がり♪
ちょー手抜きサンドウィッチ。
一人だけならこれで充分。
午前中はちょっとだけ掃除をして、午後からはずっと本を読んで過ごしました。
思い出したようにサンドウィッチを食べながら。
たまにはこういう一日もいいな。
読んでいたのは読みかけだった、パトリシア・A・マキリップのファンタジー小説『イルスの竪琴1~星を帯びし者~』(創元推理文庫)
雪に閉じ込められた主人公が、吹雪の中で出会った獣に助けられ、狼王と呼ばれる領主の城に連れていかれる様をドキドキしながら読んでいました。
さあ、明日はこのパンの耳、どう食べようかな~
10月27日から11月9日までは読書週間でした。
今年の標語は「信じよう、本の力」
この期間中に読んだ本の中で面白かったのは、まきりえこさんの、ブログで大人気だった育児マンガ、
『小学生男子(ダンスィ)のトリセツ』(扶桑社)
いやぁ、笑った笑った!
トリセツとは「取り扱い説明書」のこと。
初めて男の子を育てるお母さんにはうってつけかも♪
男の子の熱を測る手段として、体温計以外に「ぞうさん」(クレヨンしんちゃん参照)の状態で判断するなんて知らんかった!
デロ~ンとしてたら熱がある、とか(笑)
服装は気にしない、耳はちくわ(言われてもすぐ忘れる)、下ネタ大好きで、急に甘えん坊…
生まれ変わったら、またお母さんの子供に生まれてこれるか本気で心配している小学生がカワイイ!
探しやすいように同じ顔で先に生まれててね、とお願いしたり、それを聞いた母が(今度はもう少し美人に生まれたいわ…)と思ってみたり☆
「予約されたので来世も貧乳決定です」という一言には笑ってしまった♪
もう一冊は川上弘美さんの本。
『神様2011』(講談社)
1993年に発表されたデビュー作「神様」を、今度の福島原発事故を受けて改編、発表された作品。
単行本では、もとのままの作品と改編したもの、両方読めるようになっています。
もともとのお話も好きでした。
アパートの隣人である”くま”と散歩に出かけるという、日常の中にちょっと不思議のまじったお話。
今回の「2011」では、ストーリーはほとんど同じですが、「あのこと」が起きたことにより、日常生活に変化が見られます。
シュノーケルとサンダルを持っていた親子が防護服を着た二人連れに変わっていたり、”くま”が魚を獲ってくれるのだけれど、放射性物質の含有量に気を使ったり、アパートに帰った二人は、慣れたかんじでガイガーカウンターで放射線量を測ったりします。
”くま”に魚の放射性物質の含有量についていわれると、ここで暮らすと決めた時から覚悟はできているから気にしない、と答える主人公。
外出から帰るとシャワーを浴びて、外部被爆と内部被爆の推定被爆線量を日記に書き込み、1年間の総被爆線量を計算して眠りにつく。
日常の中に存在する放射線。
「原子力利用にともなう危険を警告する、という大上段にかまえた姿勢で書いたのでは、まったくありません」とあとがきで語る作者。
人々を苦しめる事故への怒り。
しかしそれは同時に何も知らずにきてしまった自分への怒りでもある…
「日常は続いてゆく」
前の作品を知っているだけに、「変わってしまう日常」というのが印象的でした。
とても考えさせられました。
テレビで福島原発を廃炉にするには30年はかかるというニュースを見ました(11/9)。
廃炉までの工程表というのを作るにあたり、国の報告書というのが出されたそうです。
それによると、核燃料プールから燃料を取り出すのを開始するのが3年以内。
溶け出した燃料を回収することを始めるのは、10年以内。
セシウム137の半減期は30年。
ウラン235の半減期は約7億年です。
その間も人間は生きていかなきゃならないんですよね。
原発事故を防ぐためにかかんに戦う人々をあつかった映画や小説ってたくさんありました。
「サマーウォーズ」(監督・細田守)や『天空の蜂』(東野圭吾・著)などなど。
映画や小説の中ではある意味「原発事故」=「世界の終り」だったのに…
それでも日常は続いていく。
私たちにはこの世界しかないのだから。
人間の作った「安全神話」のなんと浅はかでもろかったことか。
『神様2011』、とてもよかったです。
ぐるんと首を回して私を見つめる赤ちゃん。
……。
向こうは無表情でこちらを見つめてきますが、こっちは目があったとたんに笑顔です。
もう条件反射。
これって人間の脳に刷り込まれてるの?
私が笑顔になっても、特に表情を変えるわけでもなく私を見続ける赤ちゃん。
そのうちお母さんの順番がきてようやく解放されました。
赤ちゃんに見られると何か緊張します…
別に何も悪いことしてないのに(苦笑)
ま、本人はなんにも考えてないんでしょうけどね。
あずまきよひこさんの人気マンガ、『よつばと!』に出てくる、小学生が夏休みの自由研究で作ったダンボールのロボット(人が着るタイプ)「ダンボー」。
その写真集が発売されていたんです。
何それ!?(笑)
その名も、
*(キラキラ)*『365 Days of Danboard』*(キラキラ)*(アスキー・メディアワークス)
ダンボールのロボット「ダンボー」のフィギュアを使って、様々なシュチエーションで撮られた写真はけっこう芸術的!
同じく無機質なロボットの格好でパントマイムを行う、大道芸人、「ロボットのぞみ」さんの芸を思い出してしまいました。
表情は見えないのに「悲しみ」や「喜び」が伝わってくるんですよね。
あれ!? じゃあ人間はどこで感情を読み取っているんだろう?
「ダンボー」の写真集はアメリカの写真家さんが撮っているようです。
原作は読んでいますが、写真集までは買わないなぁ(苦笑)
同じく本屋さんでパラパラと読んだのは、村上リコ 著、
*(キラキラ)*『図説 英国メイドの日常』*(キラキラ)*(河出書房新社)
メイドと貴族の恋愛を描いたマンガ『エマ』(森薫 著)の副読本で、作者と共にメイド文化について熱く語ってみえた村上リコさんの書いた、英国メイド大好き本。
世の中にはいろんな趣味嗜好の方がいるもんですね~
庶民にはメイドのいる生活なんて想像もできませんが、疲れて居眠りしているメイドの絵とかは面白かった♪
内容は浮ついた物ばかりじゃなくて、当時の女性の置かれていた立場、生活、日常や社会問題なども知ることができて、英国文化の一端を知ることができます。
それぞれの国や地域に、独特の習慣や慣わしがあって、自分が当たり前だと思っていることが案外少数派だとわかったりするのは面白いです。
たとえば「ペットボトル」って呼び名も、当たり前のように私たちは使っていますが、海外じゃ通用しませんからね。「プラスティックボトル」?
常識が常識じゃない。
面白いなぁ。
今日は洗濯は止めて、風呂場掃除と、ストック用のおかず作りをしました。
レンコンとニンジン、タマネギにピーマンの南蛮漬け。日持ちするから便利です。
何か特別なことでもあれば日記に書けるのですが、平々凡々の毎日。
隣の(といっても山道で200mくらい離れている)奥さんが裸足で深夜に逃げ込んできたり(旦那さんとケンカして家を飛び出したらしい。その後離婚して家を出て行ってしまった)、近所のおじいさんがキノコ採りに行って行方不明になってしまったり(かなり大規模な山狩りをしたけれど見つからなかった)、伯父さん宛ての知らない女の人からの恋文を見つけてしまったり(伯父は当時既婚者でした)、なんてことも最近ではさっぱりありません。(全部私が子どもの頃の話です)
…何事もないことに感謝すべきなんでしょうね。
いまを楽しもう。
野菜の南蛮漬けは、肉や魚と一緒にしたり、スープにして酸辣湯(サンラータン)としていただきます♪
今夜は焼き鮭の上にかけて一品出来上がり(202㌔カロリー)。栄養付けて頑張らないと。
読書の秋。
つい最近、小川糸さんの小説、
『あつあつを召し上がれ』(新潮社)
を読みました。
う~ん、だんだん大喜利みたいになってきたぞ。
短編集なんですが、それぞれに食べ物をからませながら、「いい話」というオチで終っています。
同じく食べ物が出てくる『食堂かたつむり』は面白かったけれど、それで小川糸=食べ物という枠ができちゃったのかな?
頑張れ作者!
私はこの話もけっこう好きだぞ!
小説家というのも大変な職業ですね。
認知症の祖母。働きながらその介護をする母と、それをみつめる娘。とうとう介護疲れで倒れてしまった母に娘は「お母さんが死んじゃうよ」と泣いて訴えます。もはや二人が誰かもわからなくなっている祖母に、昔みんなで食べたかき氷をたべさせたくて…「バーバのかき氷」
若くして亡くなった母に料理を仕込まれ、結婚するその前の日まで、父と二人の生活を送ってきた娘。
幼い娘になぜ母はダシのとり方から、鍋でご飯を炊く方法まで厳しく教えたのか。「こーちゃんのおみそ汁」
その他、全部で七編の短編が収められています。
あぁ、松茸とかすき焼きとか、どれも美味しそう♪
恋人を中華屋さんに連れて行き、その食べ方でこの人なら大丈夫と、プロポーズする「父親のぶたばら飯」が私のお気に入り!
私だってサンマの食べ方が結婚の条件だったらモテモテなのになぁ(苦笑)
食欲の秋。
ベストセラーにもなった『体脂肪計タニタの社員食堂』(大和書房)
あの本を読んで、いまさらながらカロリー計算が大切なんだということに気が付きました。
近頃「ちょっとずつ食べすぎ」だった我が胃袋。それをどうにかしたくて、食べた物のカロリー計算を始めたんです。
一日に摂取していいカロリーの総量がわかっていると、あとどのくらい食べていいのか、どこでやめればいいのかが判断できて「少しずつ食べすぎ」を予防できる!!
昼食のカロリーを抑えてその分夕食を豪華に! なんて楽しみも発見しました。
いままでは一日のカロリー合計なんて気にせずにとにかく我慢したり、食欲に負けて食べちゃったりしてたからなぁ。
あ、でも、カロリーは抑えても必要な栄養分は摂っていますよ。
「タニタ」の本にあるように、油を抑える工夫をあれこれしてカロリー調整しています。
野菜を食事の最初に食べると太らないとか、炭酸水(糖分、塩分0のもの)でお腹をふくらませるとか、その他にもいろいろ試しています。効果があるんだかないんだかわかりませんが、食事の順番を変えるだけなら別にデメリットもないし。
でも『あつあつを召し上がれ』を読んだら、旅館で食べる松茸三昧の料理によだれが…
サクサクの天ぷら。
最初に肉を入れて、割り下を入れたらジュッと音のするすき焼。
旅館の食事ってどうしてあんなに美味しいんでしょうね?
上げ膳据え膳だから!?
それもあるかも。
紅葉の秋。
久しぶりに旅館に泊まりたくなりました。
あー、でも、お金を払って食べたら絶対カロリーなんて気にせずに残さないように全部食べちゃうな。
バイキングもヤバイかも…
貧乏性とカロリー計算は相容れない相手なのかも知れません。