百田尚樹さんの小説、『永遠の0(ゼロ)』(講談社)を読みました。
「0(ゼロ)」とは太平洋戦争で日本軍が使った戦闘機「零戦」、正式名称「三菱零式艦上戦闘機」のこと。
祖母の死後、彼女の最初の夫の存在が明らかになり、孫である姉弟はその”知られざる祖父”の生涯をたどることになります。
自分たちと血のつながった人間が、アメリカと戦い、最後は零戦で特攻して亡くなった…
太平洋戦争は1941年12月8日の日本軍による真珠湾攻撃で始まりました。
当時の日本はその4年前、1937年に始まった日中戦争の真っ最中。
1939年にはナチスドイツがポーランドに侵攻。
翌年1940年には日本はドイツ、イタリアと日独伊三国同盟を結んでいます。
今からわずか70数年前の事実。
小説の語り手は司法試験浪人といいながら、いまや熱意も失い漠然と日々を送っている青年。
そんな彼が、フリーのライターとして働いている姉の依頼で、自分たちの祖父を知る人を捜し出し、インタビューすることになります。
かつての日本軍の兵士たち。
老人たちの戦争の記憶は様々で、祖父のイメージも姉弟の中で二転三転します。
海軍のパイロットとして零戦に乗り、真珠湾攻撃に参加。
その後ラバウルを拠点に戦ったこと。
一部では臆病者と呼ばれるほど生き残ることに固執していたという話。
それを可能にした、抜群の操縦技術。
階級や年齢の違いを鼻にかけることなく、誰にでも丁寧に接していたという祖父。
そこには、戦争という異常事態の中でも「人間として大切なこと」を決して失わない一人の男の姿がありました。
自分の命を大切にすること、生き残ることが「悪」とされ、お国のために命を捧げるのが当たり前という空気の中、愛する妻のため、子供の顔を見るために必死に生き残ろうとすることは罪なのだろうか…
パイロットが主人公なため、飢餓や過酷な行軍を強いられた陸軍の物語と違い、泥と血にまみれた辛いだけの読書という印象ではありませんでした。
もちろん戦争の悲惨さに変わりはないのですが、大空という戦場と、コックピットの中ではたった一人で戦わなければならないという状況がそうさせるのか、戦争を一歩引いた立場で、見ることができたような気がします。
妄信的に言いなりになるのではなく、自分の目と頭で状況を把握し、どんな時でも冷静さを失わない努力。
パイロットに求められる能力は、軍や政府、新聞など報道機関、そして敵として戦う相手に対しても、鋭い洞察力となって向けられます。
カミカゼアタック
一部の人たちが、9.11アメリカ同時多発テロとカミカゼアタックを、同じ「テロ」という言葉で並べて呼んでいたなんて知りませんでした。
イスラム系の過激なテロ活動について、たいした知識があるわけじゃありませんが、自分の中でこの二つが同じだといわれたら、やっぱり違和感があるんです。
ただ私にいえるのは、戦争なんて大嫌いだということ。
普段こうした戦争関係の本は読まないのですが、よく聴いているラジオ番組の中で紹介されていたので、今回読んでみようという気になったんです。
読みやすいというと内容が内容なだけに語弊があるかも知れませんが、しだいに明らかになっていく姉弟の祖父という人物がとても魅力のある人に書かれているので、つい夜更かしして読んでしまいました。
物語は戦争をあつかっていますが、現代にも重なる場面や言葉がたくさんあって、自分の生活を振り返ってしまいました。
読んでよかったです。