まだまだ暑い日が続きますね。
芥川賞候補に選ばれて注目された社会学者の古市憲寿氏。
その作品『百の夜は跳ねて』が無名の小説を参考にしているとのことで、選考委員から疑問の声も上がった、とちょっと話題になっていました。
選考委員の一人、山田詠美さん。
・・・『百の夜は跳ねて』。いくつも列記されている参考文献の中に、書籍化されていない小説作品があるのを知った。小説の参考文献に、古典でもない小説作品とは、これいかに。そういうのってありな訳? と思ったので、その木村友祐作「天空の絵描きたち」を読んでみた。
そして、びっくり! 極めてシンプルで、奇をてらわない正攻法。候補作よりはるかにおもしろい……どうなってんの? 候補作に関しては、前作よりも内面が丁寧に描かれていて豊か、という書評をどこかで目にしたが当然だろう。だって、きちんとした下地が既にあるんだからさ。
いや、しかし、だからといって、候補作が真似や剽窃に当たる訳ではない。もちろん、オマージュでもない。ここにあるのは、もっと、ずっとずっと巧妙な、何か。それについて考えると哀しくなって来る。「天空の絵描きたち」の書籍化を望む。
もうお一人、川上弘美さん。
・・・「百の夜を跳ねて」を一読し、前作よりも厚みがあると感じました。「老婆」と語り手と「先輩」との有機的な関係が、読み進むための推進力になっています。何より、高層ビルのガラス清掃の仕事にかんする立体的な書きようの中に、作者の新しい声を聞いたように思ったのです。読み終わり、「参考文献」をぼんやり眺めていたら、「木村友祐「天空の絵描きたち」『文學界』文藝春秋、2012年10月号」とありました。いわゆる「古典」ではない小説が参考文献に? と驚き、編集部に頼んでコピーしてもらい、読みました。
結論から言います。わたしは悲しかった。木村友祐さんの声が、そのまま「百の夜は跳ねて」の中に、消化されず、ひどく生のまま、響いていると、強く感じてしまったからです。小説家が、いや、小説に限らず何かを創り出す人びとが、自分の、自分だけの声を生みだすということが、どんなに苦しく、またこよなく楽しいことなのか、古市さんにはわかっていないのではないか。だからこんなにも安易に、木村さんの声を「参考」にしてしまったのではないか。たとえ木村さんご自身が「参考」にすることを了解していたとしても、古市さんのおこなったことは、ものを創り出そうとする者としての矜持に欠ける行為であると、わたしは思います。
厳しいことが書かれていますが、私も同感。
というか、テレビで見る古市氏のイメージにぴったりの行動に笑ってしまいました。
どこかのマンガに、既存の小説を切り貼りした作品が賞を受賞してしまう、という作品がありましたが、それが頭に浮かびました。
いやぁ、古市氏の価値観でいったら、何が悪いの? その方が効率的でしょ? という感じなのかな。
将棋の羽生さんもいってみえましたが、理性だけで考えるって怖いですね〜
「相手を手段として利用してはならない」というカント先生の言葉もありました。
芥川賞をとるにはどうしたらいいか、て考えて、一回落選してバージョンアップしたのがそれだったのかな?
まぁ、マキャベリストぽいといえばぽいですが。
きっと、小説を書くことじゃなくて、芥川賞受賞という目的をクリアするために一つずつタスクを積み上げて最適解を求めていく作業が快感なんでしょうね。
選考委員さんもいってもえますが、これはパクリでもコピペでもないので、まったくの合法です。
参考にされた木村友祐氏もそれを了承しています。
これで芥川賞の候補作にまで選ばれるんだから、そこにはある種の頭の良ささえ感じちゃいます。
情報に対する触手の伸ばし方がえげつない。スゴイ。
でも、私はやっぱり読まないかなぁ〜
今月購入した本。
朝日新聞出版
発売日 : 2019-05-13
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早川書房
発売日 : 2019-07-04
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キノブックス
発売日 : 2019-02-02
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柏書房
発売日 : 2019-06-26
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欲しかった本が手に入ったのは嬉しいのですが、最近受けた健康診断で視力が落ちていてショック。
裸眼で0.5
去年はまだ1.2あったのに・・・
山育ちで目がいいことだけが自慢だったけれど、そろそろ老眼のはじまりかな?