あなたは良い人ですか?
それとも悪い人?
あなたの周りの人は良い人ですか?
それとも悪い人?
健康に良くないとわかっているのに、つい食べ過ぎてしまうあなたは悪い人?
子どものためと思い、教育のために手を上げてしまう人は良い人でしょうか?
上司に言われ、いけないこととは知りつつ、公金を裏金にしてしまった小役人は良い人? 悪い人?
さて、今回ご紹介する本は、善良な人々が悪の誘惑にいかにして屈してしまうかを問いかけた、
パウロ・コエーリョの*(キラキラ)*『悪魔とプリン嬢』*(キラキラ)*という本です。
あなたの考える”正しいこと”というのは、みんなが言うから”正しいこと”ですか?
それとも、あなた自身の中にある、あなたが信じる”正しいこと”ですか?
良いことも悪いことも区別なんてできない。
良いとされることも、悪といわれるものも、その立場によって変わってしまうものだから?
実はこうした問は、大昔から議論されてきた人間の命題の一つです。
ある人は「変わらない”正しいこと”なんかない」といい、
ある人は「変わらない”正しいこと”はある」といいます。
様々な人々が、様々な時代を通じて考えてきましたが、まだ答えはみつかっていません。
正義のための戦争?
しかたのない殺人?
答えは、今生きている一人一人の人間が出すしかないのかも知れません。
作者のパウロ・コエーリェは、ブラジル生まれの作家で、『アルケミスト』という作品で世界的なベストセラー作家になりました。
どちらかというと、スピリチアルな作品が多いように思えます。
この本であつかっているのはズバリ「悪」
ひとりの旅人が、どこにでもあるようなさびれた村にやって来ます。
彼はホテルのバーで給仕をしている地元生まれの女性、プリン嬢に金塊を見せ、もしある条件を満たしてくれたら、この金塊は村のものになると言います。
その金塊はとてつもない富を村に約束してくれるばかりか、プリン嬢の人生をも変えてしまうには充分な価値がありました。
旅人の提示した条件。
それは、村人の誰か一人を七日以内に殺して欲しいというもの。
誰でもいい、と旅人は言います。
もう働けない老人でも、不治の病の病人でも。
旅人は知りたいんだと言います。
「われわれは誘惑に屈する機会を与えられれば、遅かれ早かれ必ず誘惑に屈する」
自分が人生をかけてたどり着いたこの理論が真実なのかどうかを…
罪を犯すかわりに金塊が手に入る。
こんなこと現実にはありえないと思いますか?
これは小説の中だけのお話で、実際には起こりえない。いや、万一それに似たようなことがたとえあったとしても、誰も人を殺すようなことをするはずがない、と?
保険金目的で人を殺した主婦。
携帯電話の闇サイトで仲間を募集し、女性を襲って殺してしまった男たち。
他人を害して自分の欲求を満たすことに、違いはありません。
彼らは生まれながらに悪人で、善悪の区別がつかず、それが悪いこととは知らずに犯行にいたったのでしょうか?
もちろん村人たちは、最初は旅人の言うことなんて相手にしません。
でも…
様々な思惑が交差し、村人達をとりまく疑心暗鬼。
昨日まで、善良な隣人だと思っていた人たちが、突然殺人者に変わる。
突如あなたに敵意を向ける。
真面目だと思っていた人が、知らないところでお金をごまかし、自分だけの私腹を肥やす。
いったいどんな時、人間は「悪」に流されてしまうのでしょう。
あなたは人間を信じられますか?
人間の中の善と悪の戦いは、キリスト教などの宗教をはじめ、小説でもよく取り上げられるテーマです。
この小説の大胆なところは、ストーリーをそれだけにしぼり、一つの村を実験場として描いたところ。
プリン嬢は決して純真無垢な聖女ではなく、それどころかホテルの客と寝るような女性です。
人間の中には善も悪も混在する。
人々は、どうして、どんな時に、その一歩を踏み越えてしまうのか。
最初は小さな一歩です。
自分自身でさえ気が付かないような。
しかし、一度小さなことを許すと、次はもう少し、もう少しと私たちはしだいに許すことに麻痺していく。
果たして、村人たちは、プリン嬢はこの誘惑にどう決断するのか?
金塊の行方は?
そして旅人は?
人間の中の悪の心。
ちょっと暗めの話題かも知れませんが、大切なことです。
もっとも、人間不信にはならないで下さいね☆
大昔から議論されてきた話題だとはいえ、人間はその他にも、優しさや温かさがこもった小説や芸術を、たくさんたくさん生み出してきたのですから。
生きるとは決断の連続です。
最後は、自分自身が決断するのです。
あなたがあなた自身の最後の砦なのですから。
本当は、自分の食欲さえ抑えられない私には、こんなえらそうなことはいえないんですけどね………☆
パウロ・コエーリョ 著
旦 敬介 訳
角川文庫
それとも悪い人?
あなたの周りの人は良い人ですか?
それとも悪い人?
健康に良くないとわかっているのに、つい食べ過ぎてしまうあなたは悪い人?
子どものためと思い、教育のために手を上げてしまう人は良い人でしょうか?
上司に言われ、いけないこととは知りつつ、公金を裏金にしてしまった小役人は良い人? 悪い人?
さて、今回ご紹介する本は、善良な人々が悪の誘惑にいかにして屈してしまうかを問いかけた、
パウロ・コエーリョの*(キラキラ)*『悪魔とプリン嬢』*(キラキラ)*という本です。
あなたの考える”正しいこと”というのは、みんなが言うから”正しいこと”ですか?
それとも、あなた自身の中にある、あなたが信じる”正しいこと”ですか?
良いことも悪いことも区別なんてできない。
良いとされることも、悪といわれるものも、その立場によって変わってしまうものだから?
実はこうした問は、大昔から議論されてきた人間の命題の一つです。
ある人は「変わらない”正しいこと”なんかない」といい、
ある人は「変わらない”正しいこと”はある」といいます。
様々な人々が、様々な時代を通じて考えてきましたが、まだ答えはみつかっていません。
正義のための戦争?
しかたのない殺人?
答えは、今生きている一人一人の人間が出すしかないのかも知れません。
作者のパウロ・コエーリェは、ブラジル生まれの作家で、『アルケミスト』という作品で世界的なベストセラー作家になりました。
どちらかというと、スピリチアルな作品が多いように思えます。
この本であつかっているのはズバリ「悪」
ひとりの旅人が、どこにでもあるようなさびれた村にやって来ます。
彼はホテルのバーで給仕をしている地元生まれの女性、プリン嬢に金塊を見せ、もしある条件を満たしてくれたら、この金塊は村のものになると言います。
その金塊はとてつもない富を村に約束してくれるばかりか、プリン嬢の人生をも変えてしまうには充分な価値がありました。
旅人の提示した条件。
それは、村人の誰か一人を七日以内に殺して欲しいというもの。
誰でもいい、と旅人は言います。
もう働けない老人でも、不治の病の病人でも。
旅人は知りたいんだと言います。
「われわれは誘惑に屈する機会を与えられれば、遅かれ早かれ必ず誘惑に屈する」
自分が人生をかけてたどり着いたこの理論が真実なのかどうかを…
罪を犯すかわりに金塊が手に入る。
こんなこと現実にはありえないと思いますか?
これは小説の中だけのお話で、実際には起こりえない。いや、万一それに似たようなことがたとえあったとしても、誰も人を殺すようなことをするはずがない、と?
保険金目的で人を殺した主婦。
携帯電話の闇サイトで仲間を募集し、女性を襲って殺してしまった男たち。
他人を害して自分の欲求を満たすことに、違いはありません。
彼らは生まれながらに悪人で、善悪の区別がつかず、それが悪いこととは知らずに犯行にいたったのでしょうか?
もちろん村人たちは、最初は旅人の言うことなんて相手にしません。
でも…
様々な思惑が交差し、村人達をとりまく疑心暗鬼。
昨日まで、善良な隣人だと思っていた人たちが、突然殺人者に変わる。
突如あなたに敵意を向ける。
真面目だと思っていた人が、知らないところでお金をごまかし、自分だけの私腹を肥やす。
いったいどんな時、人間は「悪」に流されてしまうのでしょう。
あなたは人間を信じられますか?
人間の中の善と悪の戦いは、キリスト教などの宗教をはじめ、小説でもよく取り上げられるテーマです。
この小説の大胆なところは、ストーリーをそれだけにしぼり、一つの村を実験場として描いたところ。
プリン嬢は決して純真無垢な聖女ではなく、それどころかホテルの客と寝るような女性です。
人間の中には善も悪も混在する。
人々は、どうして、どんな時に、その一歩を踏み越えてしまうのか。
最初は小さな一歩です。
自分自身でさえ気が付かないような。
しかし、一度小さなことを許すと、次はもう少し、もう少しと私たちはしだいに許すことに麻痺していく。
果たして、村人たちは、プリン嬢はこの誘惑にどう決断するのか?
金塊の行方は?
そして旅人は?
人間の中の悪の心。
ちょっと暗めの話題かも知れませんが、大切なことです。
もっとも、人間不信にはならないで下さいね☆
大昔から議論されてきた話題だとはいえ、人間はその他にも、優しさや温かさがこもった小説や芸術を、たくさんたくさん生み出してきたのですから。
生きるとは決断の連続です。
最後は、自分自身が決断するのです。
あなたがあなた自身の最後の砦なのですから。
本当は、自分の食欲さえ抑えられない私には、こんなえらそうなことはいえないんですけどね………☆
パウロ・コエーリョ 著
旦 敬介 訳
角川文庫