今頃ですと春を先取りのチューリップなんとなく嬉しいですね。
花屋に並んでるのを見ると本物の春でないけれど、つい買ってしまいます。
このごろはウンターチューリップなるものがあるんですって。
ご存知でしたか・
ようは2ヶ月くらい冷蔵しておいて、クリスマスあたりに暖かなところに置き咲かせるという仕組みらしいです。
で木曽三川公苑でウインターチューリップがあるというので見に行きました。
近くにはなばなの里という有名テーマパークのようなお花の見所もありますが。
ここは国営で無料
ちょっとスケールは小さいのですが春の花のチューリップが一杯あり楽しみました。
動画でもありました。
ウィンターチューリップ祭 2016 木曽三川公園
木曽三川というのは3つの河
木曽川・長良川・揖斐川という水量たっぷりの川が海の近くで昔は合流するくらいでした。
大水が出るたびに水害に襲われていました。
岐阜県の小学校に転校したとき、郷土の歴史で習ったのです。
岐阜県側は徳川御三家の領地を守るために3尺・・約1メートル堤防が低かった。
で、たびたびの洪水に悩まされて輪中というを守る大きな土塁で村を囲んだ。
それでもこの木曽三川公園あたり、今は3つに分かれているが、ひどい洪水であったという
各家に船を持ち
避難のために倉庫のような水屋、
それは蔵のように盛り土をして数ヶ月水が引くまで暮ラス建物を準備していた。
川が氾濫しても家が流されないように水の通り道、家の中を通り抜けるように工夫されていたんですね
この公園の片隅にその現物が展示されていました。
そして今の3つの側にしっかり分類する工事。。これは宝暦の治水といわれます
江戸時代、遠く鹿児島県、薩摩藩がその分離工事を命じられたのです。
これはある意味豊臣に加勢した薩摩藩への幕府の罰。
あるいは琉球との密貿易のお金を吐き出させる意味がありました。
幕府と一戦交えるべしという意見も薩摩藩では出るほどの難工事だったんですね。
幕府役人は鹿児島から来た工事人たちにつらい厳しい仕打ちをし、
現地の住民にも協力させないおふれをだしたりしたのです
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多くの犠牲と金銭を使い今の300億円といわれている、出来上がったときには
責任者の平田靱負は払った犠牲の大きさに切腹している
平田靱負らの薩摩義士たちのおかげで
美濃の国のこの地方の人はどれくらい救われたか私の小学校のときまなびました。、
そのお話は、今も語り継がれ鹿児島との縁は深いのです。
その人々を祭った治水神社がここにはあります、
周りに植えられている、治水のための千本松原も小学校のときに遠足で行ったりしました。
神社にには当時の様子のモニュメントも
美濃のこの地方の人々がどれくらい感謝しているのか
260年たってもこうして祭られていることからもわかりますね。
キット皆さんの回りにもこうして地元の人々から感謝され続けている方々のお話がありますよね。
読んでくださってありがとう