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王家の紋章女官長”ナフテラ”とエジプト宗教改革イクンアトンその2

2008-07-02 23:03:05 | 考古学
写真の左はイクンアテンベルリン美術館にある。
右はイクンアテンと妻のナフルティティと長女メリタテンが日輪であらわされているアテン神を礼拝している。カイロ博物館にある。
両方ともテル.エル.アマルナで出土した。
伝統的な形式を捨てて、あくまでも写実主義を追求する。
時代は紀元前1400年ごろ、エジプトの暦では、新王国第18王朝にあたる。
アマルナ芸術である。
私たちが見知っている作品と違ってリアリティを感じる。

1887年テーベの北方500キロのテル.エル.アマルナの村はずれで一農婦が楔形文字の粘土板を見つけた。
楔形文字は西アジア特有の文字であり、ベルリン博物館が本物と認めて、1891年からその地は発掘され始めた。
それは有名なアマルナ文書でBC14世紀アメンヘテブ3世と4世あての360通の西南アジアからの公式の外交文書だった。
当時の西南アジアの国際情勢を知る為の第一級の貴重な資料とされている。

その地は宗教改革のためイクンアテンが建設した新都だったのです。
増長するアメン神官団を封じる狙いで太陽を象徴するアテン神の信仰を導入し、
自らもアメンヘテブ(アメンは満足すの意味)から、
イクンアテン又最近は「アクエンアテン」「アケナテン」といわれるが、(アテンによりて輝く者の意)と改め、
テーベからアケトアトンアテンの地平線の意)に遷都したのです。
アテン神は古来からの多神教の頂点に位置するという宗教改革を行ったのです。
結局宗教改革は彼の死とともにおわり、
次女の夫のトゥタンカテン(アテンのいける像の意)改め
トウタンカメンアメンのいける像の意)に改名し、アメン信仰が復帰したのです。
王家の紋章のナフテラのモデルと思われる(?)ナフルティティは王の死後もかの地に残りアテン神を守り続けたそうです。
次にいよいよ、9歳で即位し、18歳でなくなったなぞの王トゥタンカメンについてです。
その3をお楽しみに!

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4 コメント

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Unknown (kinko)
2008-07-04 11:46:35
すごいですね!3000年前にエジプト文明の中で、宗教改革。
日本では1400年前に織田信長が宗教改革をやったけど当事
仏教がすごい力を持っていた。その昔も宗教が害だと思って
いた人がいたんですね。
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宗教 (micchan)
2008-07-04 12:31:45
宗教はアヘンみたいな物だという言葉をどこかで読んだことがありますが、歴史を見るとまったくその通りだと思います。
病気の人には精神のよりどころになるでしょうが、根本的な解決にはなにも助けにならないということです。それどころか信心の心が、死をも恐れなくなる弊害は、歴史のリーダーだけでなく私たちはオーム事件でも知っています。
私たちが何かにすがりたい、助けてもらいたい、支えてもらいたいと思うことは自然です。そこらへんに宗教が存在すると思うのですが、、、、宗教改革のできる王様は偉大だと思います。
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Unknown (hitomi)
2008-07-04 21:26:04
エジプトの宗教改革習いました。

十字軍は残酷でした。それよりイスラムのほうが進んでました。
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すごいね! (micchan)
2008-07-04 22:18:29
私ルーブル美術学校でアマルナ芸術習うまで知らなかった。
さすがナポレオンとヒエログラフを解読したシャンポリオンの国って感心してた
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