秋の美しい雲の空、
9月11日、あのニューヨーク爆弾テロから10年
テレビの
飛行機が貿易センターに衝突したニュースの中継をしてるとき、
突然、もう一台回り込んだ飛行機が突入するのを
映画かなんか見てるような信じられない気持で
ぼうぜんとて眺めていました。。
その後、この近代アメリカを象徴する建物が砂上の楼閣のように
崩れ去り、多くの救出に向かった人ごとの見込む様。
これが人間によってなされたテロ!と。
続いて多発テロ行為がわかるたびに、
そのアルカイダというイスラム原理主義の怖いグル―プ、
憎むべきグループと思ってしまいました。
10年という年月は、
その事件を単なるテロという以上のものであることを
私達に教えてくれました。
アラブ諸国の金権政権・一部の人間が利益を独占する腐敗
手を差し伸べられない貧しい人々。
聖戦・ジハード・自爆テロによって、
これらの人々がすくわれると信じる人の存在も、
テロという暴力に、戦争という暴力によって対抗しても、
解決しないと訴える方もありました。
まさしくそれがわかるまでに、
10年の歳月と、
同時多発テロでなくなった以上の戦死者をだしてしまっています。
もう一つ東日本大震災
東日本大震災から半年!!
こちらは菅元総理の言われるように、生々しくて、
時の洗礼による歴史の評価を得ていません。
しかし少しづつ、明らかになりつつあることも
今日、この日特集されています。
<その中の一つの記事 >
49号を通って福島から大量の避難者が押し寄せている―――。3月16日。
新潟県が異変に気付いたのは14日夕がたのこと。
県庁2階の災害対策本部の電話一斉になり始めた。
「49号で新潟に入りました宿泊できる施設はありますか」
避難した人は県境が近付くにつれて車が増えていったのを覚えている、
ほとんどが「いわき」や福島ナンバー。「みんな脱出してきてるんだ」と思ったという。
対応のため新潟県は職員を増員し。49号沿いに避難者が相談休憩できを設ける場所の設置、放射脳のスクーリングの場所も確保し、各町村の避難sy設営の場所の打診をしたりした。
新潟県の泉田裕彦知事は
テレビの電話出演で、南相馬市の桜井勝信市長の
情報も救援物資も入ってきません、南相馬市は陸の孤島になっています。」という訴えを耳にした。
7年前の中越地震で陸の孤島になった旧山古志村を思い起こした。
「新潟は中越、中越沖地震も経験したので、窮状はわかります。
どんどん送り込んでいただいても受け入れ体制は作れます」
新潟県は15日から、福島県の要請に基づき、
市町村に避難所の設置を呼び掛け
16日、全30市町村のうち10市村。約3千人。
18日、26市町村が64か所19日には1万574人の県外避難者を受けいれた。
南相馬市では3月16日深夜第1陣の二百数十人をバス6台で、
新潟県三条市に集団避難させた。
知らない土地で不安だった。
でも三条市の職員の方々は 「大丈夫ですか。お疲れ様でした」と あたたかく迎えてくれて本当に嬉しかったと・・
お粗末発言で辞任する方がたの一方で こんなリーダーシップをとった人もいる。 こんなニュースご存じでしたか? 読んでくださってありがとう
桜井市長は
いま指示を受けた自治体が
避難先をさがさなければいけない実態に疑問を投げかけている・
新潟からかかってきた一本の電話
「混乱の極みのあったなか。
九死に一生を得た思いだった・」
と。