今日も五月らしい緑薫るという表現がぴったりに日です。
27度くらいあるのでないかしら
先日、新茶がいつものお茶屋さんから届きました。
旧暦1かつ1日から、八十八夜に摘んだ、正真正銘の八十八夜づみです。
いのちの芽ぶきとか言われ、長生きの薬とも・・
わたしはいろんなお茶が好きですが、特に静岡県の掛川のお茶が好きなんです。
掛川の深蒸し茶という製法が香りもコクも最高だと思っています。
小さいころから静岡のお茶に慣れ親しんでいるせいかもしれません。
連休前に、九州の新茶が出ますが、香りがちょっと少ない気も。
宇治の御茶よりも濃い味が出て、品がないとおもわれる方もあるかもしれませんが。
ヤッパリお茶は薫り、味、掛川の御茶が一番好みです。
現在お茶の生産は、40%は静岡産の一位、2位は鹿児島、3位は三重県です。
でもその歴史は比較的浅くて、徳川最後の将軍慶喜さんが静岡に引退し、お付きの武士が失業。
その武士の救済のために、開墾をして、お茶栽培をさせたそうです。
そのさい、かの有名な清水の次郎長も尽力したとか・・
江戸時代は京都、宇治の御茶が特産品で、江戸の献上用のお茶壷道中というのも聞いたことがありますよね。
この御茶壷道中は、将軍が飲み徳川家祖廟に献ずるものであるから
自ずからたいへん権威があり、摂関家や門跡並で、御三家の行列であっても、駕籠から降りて、馬上の家臣はおりて、道を譲らねばならなかった。
行列が通る街道は、前もって入念な道普請が命ぜられ、農繁期であっても田植えは禁止された。
子供の戸口の出入り、たこ揚げ、屋根の置き石、煮炊きの煙も上げることは許されず、葬式の列さえ禁止された。権威のあるこの行列を恐れていた沿道の庶民は、茶壷の行列が来たら
戸を閉めて閉じこもった
この様子は沿道の民は非常にこれを恐れていた。お茶壺が来たら、戸をぴしゃんと閉めて閉じこもった。
また、道で出くわしたら、土下座で行列を遣り過すしかなかった。
茶壺の行列の様子は、現代でも童歌のずいずいずっころばしに表現されて歌い継がれている
ウイキぺディアより
ずいずいずっころばし 大川澄子
八十八夜から夏の訪れとされ、御茶壷道中も夏の訪れを告げるであったそう。
新茶の香りを楽しみますながら、こんなお話に耳をかたむけるのもいいかな。
お菓子は高野山さんの名物~
読んでくださってありがとう