永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(直衣)

2008年05月03日 | Weblog
直衣

直衣(のうし)とは平安時代のエリート貴族の平常服です。 源氏物語の光源氏などの姿。
私邸でのくつろいだ時は烏帽子をかぶります。紅の単を下に着て、指貫袴をはき、白の袍を着ます。

源氏物語を読んできて(斎宮と斎院)

2008年05月03日 | Weblog
斎宮(さいくう)とは
 斎王の住居と斎王に仕えた役人・女官らがいる斎宮寮とで構成される。
 斎王は天皇が即位すると卜定(ぼくじょう:亀の甲羅や動物の骨などを使った占によって選出)によって未婚の内親王(天皇の皇女)から選ばれ,天皇の代わりに伊勢神宮に仕えた。斎王は天皇が譲位したり崩御したりするとその任が解かれ都に戻ることができるが,それまでは一般の社会とは隔絶される。
 斎王の仕事は伊勢神宮の祭りに参加することで,正月の神宮遙拝や三節祭(さんせつさい)とよばれる6月・12月の月次祭(つきなみのまつり)と9月の神嘗祭(かんなめのまつり)への奉仕が主であった。
斎王(斎宮と斎院)
伊勢神宮の斎王を斎宮、賀茂神社の斎王を斎院とも称し、斎宮は古代(天武朝)から南北朝時代まで、斎院は平安時代から鎌倉時代まで継続した。

◆写真は斎王

源氏物語を読んできて(38)

2008年05月03日 | Weblog
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【葵】の巻 (1)

「花宴」の巻から2年たちました。
源氏22歳4月~23歳正月  右大将(うだいしょう)ダイショウと濁る。
藤壺27~28歳  葵の上26歳で逝去  紫の上14歳
六條御息所29~30歳  斎宮13から14歳  夕霧誕生~2歳

 桐壺帝が朱雀院(すざくいん)にご譲位の後は、源氏には万事につけて面白くなく(朱雀院は、弘徴殿女御腹の皇子で、外戚の右大臣側が羽振りをきかす世になって)、また、右大将に昇進されて貫禄が加わったせいか、軽率なお忍び歩きも遠慮されていらっしゃいます。方々のご婦人を待ち遠しくおさせしている、その報いか、

「なほわれにつれなき人の御心を、つきせずのみ思し嘆く」
――いまなお自分につれない藤壺のお心を、限りなく嘆いておられる――

◆朱雀院=源氏にとっては、腹違いの兄宮になります。
 
 桐壺院は藤壺腹の皇子を東宮にお立てになったものの、しっかりしたご後見人のないのを、心配されて、行く末を源氏に託されます。源氏は
「かたはらいたきものから、うれしと思す」
――気がとがめるものの、うれしいと思うのでした――

「まことや」――ところで――と物語が展開していきます。
 前皇太子と六條御息所とのお子様の姫君が、伊勢の斎宮に決まりましたので、六條御息所は、このところ源氏のお心が当てにならないこともあり、姫君と一緒に、いっそのこと、伊勢に下ろうと思っていらっしゃるのを、桐壺院がお聞きになって、源氏をお叱りになります。

 桐壺院「故宮のいとやむごとなく思し、時めかし給ひしものを、軽々しうおしなべたる様にもてなすなるが、いとほしきこと。……心のすさびに任せて、かくすきわざするは、いと世のもどき負ひぬべき事なり」
――六條御息所を弟の故宮が大層重く考え、大事にされていたのに、お前は軽々しく普通の女のように扱うということだが、気の毒なことだ。(自分は斎宮を我が子と同列に思っている)気まぐれにこんな浮気をするとは、全く世の批判を受けるに決まっている。(相手の女に恥をかかせるようなことはせず、どの人も穏やかに扱って、女の恨みを買わないようにせよ。)――

と、院は不機嫌におっしゃる。源氏は、もしや自分の藤壺に対する大それた気持ちを、院が聞きつけられた時は…と思うと恐ろしくなり、畏まって退出されます。

◆伊勢斎宮=神宮に奉仕する未婚の皇女。帝が代られる毎に替わる。この度は、桐壺院の弟宮でいらした故宮と六條御息所との姫君で13歳の方が選ばれました。

◆伊勢への道=都(京都)→奈良櫻井を経て伊勢に向った。
        写真は奈良古道で、前方が奈良、手前が伊勢

ではまた。