永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(牛車)

2008年05月04日 | Weblog
牛車(ぎっしゃ)

『源氏物語』の華やかな世界を象徴する乗り物が牛車(ぎっしゃ)です。身分によって材質や飾りに制約がありました。すべて注文品でしたのでセンスがわかります。何頭もの牛を飼っていて、何人もの牛飼いやお供がいて、そのうえで使うことができる、大きくて贅沢で、富も権力も持っている貴族の専用の乗り物です。

 網代車 (あじろぐるま)

 一般的な牛車のひとつ。四位~五位の乗用車。竹や檜を網代(あじろ)に編んだものを張った車。屋台(やたい:車箱とも。人が乗るところ)に、物見(ものみ:窓)を付ける。物見には引き戸式や、半蔀式のものがある。表面に家紋などを書いたりする。

轅(ながえ)の長さ 約5.8メートル
轅を水平にしたときの棟の高さ :約2.8メートル
屋形の幅:約1.4メートル
車輪の直径:約1.9メートル


源氏物語を読んできて(39)

2008年05月04日 | Weblog
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【葵】の巻 (2)

 源氏は父の院までもご承知の六條御息所のことでは、心苦しく思うものの、
「まだあらはれては、わざともてなし聞え給はず」
――妻としてきちんと待遇をしていらっしゃらない――

六條御息所の方としても、「似げなき御歳の程をはづかしう思して、」
――源氏との不似合いな年齢差を恥ずかしく思われて(世間では知らない者のいない間柄なのに、源氏の深くもないお情けの程を、ひどく嘆いておられます。)――

 桐壺院のもう一人の弟宮で、桃園式部卿宮の姫君(朝顔の姫君)は、ちょっとした源氏からの付け文にも「いかで人に似じ」――御息所のようにはなるまい――と気のあるお返事はなさらない。それでいて、無愛想なふるまいもなさらない、なるほど他の婦人とは違う方だと源氏は思うのでした。
 葵の上方の左大臣は、源氏が浮かれ暮らしているようで気に入らないものの、あまりにも大胆な振る舞いに恨み甲斐もない。このような折りに葵の上はご懐妊のようで、痛々しくてご気分もすぐれないでいらっしゃる。
「誰も誰もうれしきものから、ゆゆしう思して、さまざまの御つつしみせさせ奉り給ふ」
――葵の上の親しい人はみなうれしいものの、物の怪など恐ろしがって、いろいろな謹慎のことをおさせになります――
 その頃、賀茂社の新しい斎院に弘徴殿女御腹の女三の宮が奉仕なさることに決まりました。姫宮たちの中で適当な方がおられず、ご寵愛の姫宮を斎院という変わったご身分になさるるので、世をあげて立派に行われます。
 賀茂祭の前の吉日を選んで、斎院が加茂川で身を浄め、紫野の野の宮に入られる儀式で、上達部などは、特に名望高く、容貌もすぐれた者だけをお選びになります。お供を仰せつかった方々は、衣装から馬の鞍まで新調して、道中をお供します。源氏も特別な勅命で供奉されます。
「かねてより、物見車心づかいひしけり。一条の大路、所なくむくつけきまで騒ぎたり、所々の御桟敷、心心にしつくしたるしつらひ、人の袖口さへいみじき見物なり」
――前々から見物の女車は、気を配っておいでです。行列の道である一条大路は、ぎっしりと隙もなくものすごい混雑です。知名の方々の物見の桟敷、桟敷や車の御簾(みす)の下から出す袖口だけでもそれはそれは見物に値する見事さでございます――

ではまた。

源氏物語を読んできて(賀茂神社と葵祭)

2008年05月04日 | Weblog
賀茂神社-葵祭
 
 この祭、もともとは京の先住民族ともいえる賀茂氏の祭りだった。現在の上賀茂神社(賀茂別雷神社)と下鴨神社(賀茂御祖神社)という賀茂氏の神社で五穀豊穣を祈願する祭りが、平安遷都を境に、国家的な祭りへと発展していった。さわやかな新緑におう皐(さ)月のころ、藤の花で飾られた牛車(ぎっしゃ)や、輿(こし)に乗った斎王(現代は斎王代)を中心にした行列が、御所を出て下鴨神社から上賀茂神社を巡幸する。1956年の葵祭以降、祭の主役として一般市民から選ばれた未婚の女性を斎王代として祭を開催するようになった。斎王代に選ばれた女性は唐衣裳装束(からぎぬもしょうぞく)を着用し、舞台化粧と同様の化粧に加えお歯黒も施される。

◆この写真は、斎王代の輿