永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(43)

2008年05月08日 | Weblog
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【葵】の巻 (6)

 六條御息所は
「かかる御物思ひのみだれに、御心地なほ例ならずのみ思さるれば、他に渡り給ひて、御修法(みずほう)などせさせ給ふ」
――このような御煩悶のために、斎宮と一緒では憚られるので、余所に移られ、御修法をおさせになります――

 六條御息所が、さほど正妻の葵の上との競争心を持ってはいなかったのに、あのつまらない車争いで、惨めで悔しい思いから怒りを招くことになっているとは、左大臣方では、それほどには思っていませんでした。

 左大臣方では、御物の怪が起こって、葵の上はことの他お苦しみです。帝も度々お見舞いをされます。六條御息所もうわさをお聞きになって

「この御生霊(いきすだま)、故父大臣の御霊などいふものありと聞き給ふにつけて、思し続くれば、身ひとつの憂き嘆きよりほかに、人をあしかれなど思ふ心もなけれど、物思ふにあくがるなる魂は、さもやあらむと思し知らるる事もあり」
――六條御息所は、その物の怪の中に、ご自分の生霊や故父大臣の死霊などが交じっていると噂に聞かれるにつけても、お考えになるのは、わが身一つつらい嘆きをするほかには、
葵の上を呪うような心は持たないが、物思いをすれば、身を抜け出すという魂は、噂どおり葵の上を苦しめて居るかも知れないと、思い当たられることもあります――

六條御息所は、あれこれと思いつづけます。

 悩みという悩みをしつくしてきましたが、ちょっとしたはづみに、葵の上から見下げられて、物の数でもでもないように、あしらわれたあの御禊の車のことで、一途に思い詰めた心が鎮め切れないでいましたせいか、ちょっとまどろんだ時の夢はこんなことでした。
 自分の身が、かの葵の上と思われる美しい方のところへ行って、あれこれと引っかき回し、正気のときとは似つかぬ猛々しく激しい一方の心が生じて姫君を投げつけるなどということが、度々ありました。なんという恐ろしいことでしょう、魂が抜け出て行ったのでしょうか。
 この頃は、正気でなくなることも度々で、そうでなくても世間は決して良いようには言わないものなのに、ましてや今のようなことでは悪評を立てられるに違いありません。死後でなく、なんとまあ、現在そんな厭わしいことを噂される運命のつたなさですことよ。すべてはあの無情な源氏のなされたことからで、もう想いはかけまいと思うものの、それも思い切れない。

◆御修法=密教で行う加持、祈祷。

◆写真は、寝ている葵の上を叩く六條御息所の生霊。(能・葵)
  (手前床上に、葵の上とする衣裳を横たえて、それを叩いている。)

源氏物語を読んできて(唐車)

2008年05月08日 | Weblog
唐車(からぐるま)

 屋根が唐破風(からはふ)なのでその名がある。
 
 屋根は檳椰樹(びんろうじゅ)の葉で葺(ふ)かれており、廂(ひさし)と腰(こし)にも檳椰樹の葉を用いる。上皇・皇后・東宮(とうぐう)・親王(しんのう)、または摂関(せっかん)などが用いる大型の牛車。
 

 ◆写真は京都・風俗博物館より