永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(51)

2008年05月16日 | Weblog
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【葵】の巻 (14)
  源氏は惟光に新婚三日夜の餅(みかよのもち)をそれとなくほのめかして作らせ、紫の上の枕元に差し入れます。源氏は餅の謂われを説明されたことでしょう。
翌朝、この餅の箱を下げさせられましたとき、側近の女房たちは、はっきりと二人の結婚を知ります。乳母の少納言は、こんなにして頂いて、と源氏のお心遣いを有り難く思い、感激してお泣きになります。
 
 この後は、源氏は内裏や院に参上されても、紫の上が愛しくて、他のご婦人方へはご無沙汰で外出されません。

さて、右大臣方では、

 朧月夜の君があの夜以来、源氏にのみ思いが募っておられるのを、父右大臣は、源氏の本妻(葵の上)が亡くなった今は、望みどおり源氏と夫婦にしてもおかしくはないと思われます。が、弘徴殿女御は

 「いと憎しと思ひ聞え給ひて、宮仕へもをさをさしくだにしなし給へらば、などかあしからむ、と、参らせ奉らむ事を思し励む」
――憎らしい源氏となどとはとんでもない。宮仕えでも、きちんとなされば(相当な地位になるなら)どうして悪いことがありましょう、と、宮仕えに上げる事を強くお薦めになります――
 
 源氏としては、朧月夜が宮仕えに上がるのを残念に思われますが、今は紫の上をお守りしていこう、こんな短い人生なのだから、女の恨みを負うのは
「いとどあやふく思ほし懲りたり」
――御息所の生霊のことを、ひとしお危ないことと懲りてしまわれました――

が、
一方では、御息所を本妻にと考えてみなくもないのですが、やはりとても気の重いことなので、今までのような細々とした関係で我慢されるなら、このままにしておこう、とお思いになります。

紫の上については、
「今まで世人もその人とも知り聞えぬ」
――世人が紫の上をどんな人ともご存じないのは――、どうも見栄えがよくない。
御父の兵部卿宮にもお知らせし、御裳着のこともご用意せねばならぬと、お思いになりますが、当の紫の上は

「女君はこよなう疎み聞え給ひて、……さやかにも見合わせ奉り給はず、聞え戯れ給ふも、苦しう理なきものに思し結ぼほれて、ありしにもあらずなり給へる御有様を」
――紫の上は、ひどく嫌におなりになって、無念でもあり、まともに顔を合わされず、以前のようなちょっとしたご冗談にも聞き苦しい、困ったという風で、これまでのあどけなさが無くなられたご様子に――
 
 源氏は、慣れて愛情が増しそうなものなのに、かえって心が離れるようで悲しいことだと、お嘆きになられるうちに、年が替わりました。

ではまた。


源氏物語を読んできて(冬の暖房)

2008年05月16日 | Weblog
冬の暖房

 火鉢がいつ頃から使用されていたのかははっきりしません。清少納言の枕草子に、火鉢の前身にあたる火桶(ひおけ)に関する記述が見られることから、平安時代には使用されていたと考えられます。

 平安時代の住居は張板高床式だったので冬は相当寒かった事でしょう。そのため重ね着の習慣ができたのでしょうか。

 最初は木製のものは内側に粘土を貼って作りました。それから段々と陶製のものや金属が出来てきたそうです。燃料は大体が木炭です。

◆ 火鉢を囲んで暖をとっています。

源氏物語を読んできて(壁代)

2008年05月16日 | Weblog
壁 代 (かべしろ)

 文字どおり壁の代わりに吊るした布製の帳(とばり)で、 上長押(うわなげし)から下 長押(しもなげし)に垂らして用いる。
 
 人目を防ぐ ためのもので、夏用と冬用がある。表には幅筋(のすじ)という布を垂らし、殿内の御簾(みす)の内側に懸ける。

◆写真は 風俗博物館より