永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(49)

2008年05月14日 | Weblog
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【葵】の巻 (12)
 
 源氏はそろそろ左大臣家を出る時期と思われ、故葵の上付の女房たちと、思い出話をされます。その中の中納言の君という方は、源氏の思い人で、葵の上に遠慮のいらない今日ではありますが、源氏からはかえって浮気なお誘いもないことに、
「あはれなる御こころかなと見奉る」――奥方さまになんとお優しいお心づかいですこと、と、お見上げになります――
 
 故葵の上が大層可愛がっている子で、親のない子を「今では、私が頼りになる人なのだ」と、(お連れになるのでしょうか)また、ある女房には、残って夕霧の成長を気長にお世話して欲しいなどと、お話になります。

 左大臣は女房たち三十人ほどに、身分に応じて葵の上の形見になる記念の品々を、大仰でなくお配りになります。

◆ お役目のなくなった女房たちは、お暇を出されるということ?
 
 源氏はいつまでもこうして籠もってばかりいられようかと、内裏と二条院に手はづを整えて、前駆に指示を出します。左大臣家ではいよいよ源氏との、婿としての別れがせまります。同じ嘆きを繰り返し繰り返し、左大臣も大宮も涙にくれるのでした。

 源氏を見送って、源氏の部屋で書き散らされた手習いの一つを、左大臣が目をしょぼしょぼさせてごらんなります。
うた「なきたまぞいとど悲しき寝し床のあくがれがたきこころならひに」
――共寝の床が見捨てがたい私の心から推して、亡くなった魂もさぞや同じ思いであろうと思うのがひどく悲しい――
これきり、他人になられるのは本当に悲しいと思われるのでした。

 「朝夕の光失ひては、いかでかながらふべからむ」
――朝夕の希望であった源氏を失っては、どうして長らえる理由があるだろうか――

 形見の夕霧は、まだほんの頼りない年頃で、お側にいる年配の女房たちが悲しみにわっと泣き崩れましたのは、寒さの身に染みる夕暮れでございました。

ではまた。

源氏物語を読んできて(女房装束)

2008年05月14日 | Weblog
◆《女房装束(にょうぼうしょうぞく)十二単》

 唐衣裳(からぎぬも)

 女房装束とは、朝廷に出仕する高位女官の奉仕姿をいう。袴(はかま)に単(ひとえ)、重(かさ)ね袿(うちき)に裳(も)と唐衣(からぎぬ)を着けた姿を唐衣裳と称し、主上の不在時は唐衣ばかりは略することも許されたが、裳は必ず着けねばならなかった。
 
 平安中期、内に着込める重ね袿の風が極めて華美となって多数枚を着るようになるが、平安末期から鎌倉時代には重ね袿を五領までとする「五衣(いつつぎぬ)の制」が定められる。この五衣の上に、砧打ちをした打衣(うちぎぬ)と二陪(ふたえ)織物の表着を着込め、さらに張袴(はりばかま)を穿いて「物具(もののぐ)」と称して晴の正装とした。

 後世、女官の朝服姿を十二単と一般に呼ぶが、元来の十二単とは袿を幾枚も着重ねた装束の表現であり、唐衣や裳を着けない寛いだ袿姿を指していたと思われる。

◆写真 女房装束  風俗博物館より

源氏物語を読んできて(化粧)

2008年05月14日 | Weblog
化粧

当時の化粧は、白粉を塗り、紅を差し、眉を描いて、お歯黒
を付けることでした。
十歳を少し過ぎたばかりの若紫も、二条院に引き取られて
から化粧をするようになったことが記されています。

◆ 写真は化粧  風俗博物館より