永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(46)

2008年05月11日 | Weblog
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【葵】の巻 (9)

 人々が出払った左大臣のお屋敷で、にわかに葵の上がいつものように発作をおこされ、大層お苦しみになった挙げ句、内裏にお知らせが届かぬうちに「絶え入り給ひぬ」
――息が絶えてお仕舞いになりました――

「足を空にて誰も誰も罷で給いひぬれば……」
――足も地に着かないほどあわてふためいて、誰も誰も退出なさいまして……大騒ぎとなります。夜中とて高僧も間に合わず――

「今はさりともと思ひたゆみたりつるに、あさましければ、殿の内の人、ものにぞあたる。」
――もう大丈夫と思って油断していたところ、こんな事になって、お屋敷の中の人々が理性を失い右往左往して物に突き当たったりしています――

 これまでも度々気絶された葵の上のことなので、このまま二.三日様子を見られましたが、だんだん死相があらわれて、「限りと思し果つる程、誰も誰もいといみじ」
――いよいよ駄目だとお諦めになったとき、その悲しみは皆みなひどいものでした--

 源氏は、葵の上の死の悲しさの上に、六條御息所の生霊のことまでも加わって、すっかり男女の間をつらさを思い知らされます。左大臣は、院が御弔問されますのには、面目を施され、悲しみのうちにもうれしさも交じり、涙の乾く隙もございません。遺体が傷み始めますので、鳥部野にて火葬の運びとなります。
「いともはかなき御屍ばかりを御名残にて、暁深くかへり給ふ」
――ほんとにまあ、はかない御遺骸のみを名残として、明け方お帰りになります――
有明という、八月二十日余りの月が空にのこる中でございます。
 
 源氏は、お互いにうち解けぬままの死別に、「どうしてもう少し親身になってお付き合いをしなかったのだろう、生涯私のことを、遠慮がちに思われて亡くなられたことよ」と悔しく思われるけれども、もう仕方がないことです。
「いとど、露けけれど、かかる形見さへなからましかば、と思しなぐさむ」
――ひとしお涙がちでいらっしゃるけれども、この若君さへも居なかったらもっと悲しいことでしょうと、思ってご自分を慰めていらっしゃる――

◆ 写真は葵の花。
  葵の上は26歳の若さで亡くなりました。


源氏物語を読んできて(除目)

2008年05月11日 | Weblog
除目  

 除目(じもく、じょもく)とは、平安中期以降、京官、外官の諸官を任命すること。またその儀式自体である宮中の年中行事を指し、任官した者を列記した帳簿そのものを指す(除書ともいう)。「除」は前官を除いて新官を任ずる意味で、「目」は目録に記すことを意味する。

 任命の儀式は、年中恒例の行事で通常、春と秋の年二回行われ、春の除目、秋の除目という。その他に小規模な臨時の除目も随時行われた。除目の儀は、行事を通じて、たとえば紙の折り方や墨の磨り方にいたるまで非常に細かい作法が決められた儀式であった。
 除目の種類

 春の除目

 諸国の国司など地方官である外官を任命した。毎年、正月11日からの三夜、公卿が清涼殿の御前に集まり、任命の審議、評定を行った。任命は位の低い官から始まり日を追って高官に進むのが順序であった。天皇の御料地である県の官人を任す意味から、県召の除目(あがためしのじもく)ともいい、中央官以外の官を任じるから、外官の除目ともいう。

 秋の除目

 大臣以外の在京諸官庁の大臣を除く官吏を任命するのを主とした。一部の地方官の任命も行った。古くは春に行われていたが、平安中期から、秋(8月)に行われるようになった。官吏を任命することから、司召の除目(つかさめしのじもく)ともいう。また、在京の官を任じるので、京官の除目、下官の除目の対として内官の除目'ともいう。
 
◆ 写真は 風俗博物館より