永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(224)

2008年11月17日 | Weblog
11/17  224回

【玉鬘(たまかづら)】の巻】 その(3)

 少貮は、危篤の病中にも、玉鬘をこのような田舎にお置きしては、どのように流浪なさることか、ぜひ早く京にお連れして、しかるべき方々にもお知らせし、ご運次第のご出世ぶりを拝見いたしたいと思っていましたのに、このままここで命が尽きてしまおうとは残念でならないのでした。

そして、

「ただこの姫君、京に率て奉るべき事を思へ。わが身の孝をば、な思ひそ。」
――ただただこの姫君を京へお連れ申すことだけを考えよ。私への死後の追善供養など気に掛けるな。――

とばかり遺言したのでした。

 少貮と乳母は、玉鬘が頭中将の姫君であることを、邸内の誰にも知らせず、ただ自分の孫で、大切にしなければならぬ訳がある人だと言っておいたので、少貮が急死してからは、少貮遺族たちはあれやこれやと周囲に恐れ憚っているうちに、心ならずも数年を過ごしてしまいました。この間に、姫君はたいそう美しい娘盛りを迎えてこられ、評判を聞きつけては、色好みの田舎者たちが懸想し言い寄ります。けれども邸内の人々はだれもかれも取り次ぐ人はいませんし、乳母は、

「容貌などはさてもありぬべけれど、いみじきかたはのあれば、人にも見せで尼になして、わが世の限りは持たらむ。」
――この娘は顔かたちなどは、十人並みかも知れませんが、実に困った片輪なところがありますので、人に嫁がせず尼にして、私の生きている限り手元に置くつもりです。――

と、言いふらしておりますので、

「故少貮の孫は、かたはなむあなる。あたらものを」
――故少貮の孫は、なんと片輪だそうな。美しいと聞いているが惜しいことだなあ――

と、言っているのを聞くのも忌々しく、早く都へお連れして父大臣にお知らせ申し上げたい。まさか粗略には思い捨てにはなるまい、と嘆く一方で、神仏に願を掛けて、姫君の御身の上の願いが成就しますようにと、お祈りをするのでした。

ではまた。


源氏物語を読んできて(年中行事・如月・季の御読経)

2008年11月17日 | Weblog
如月2月

季の御読経(きのみどきょう)

毎年春二月および秋八月に宮中で行われた読経の行事。廬舎那仏(るしゃなぶつ)をまつり、四日間ずつ、四ヶ寺より百人の僧を宮中に召して『大般若経』を転読(全六百巻すべてを読むのはたいへんなので、要所の数行や題目のみを読むことで、その一部を読経したことに替えること)せしめ、国家の安泰と天皇の安寧(あんねい)を祈願した。

 春期には、一日目が説法(せっぽう)(仏教の教えを聞かせる)・転読(てんどく)、二日目に引茶(ひきちゃ)(僧に茶を賜る)、三日目に論議(経論の要義を問答・議論すること)、第四日目に結願(けちがん)(終了)となる。宮中だけでなく、貴族の私邸でも行われた。

 ◆参考と写真:結願(けちがん)後の酒宴
       風俗博物館