永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(227)

2008年11月20日 | Weblog
11/20  227回

【玉鬘(たまかづら)】の巻】 その(6)

 乳母は、以前と同じように繰り返し、「孫娘は、まことに運の悪い生まれなのでしょう、人聞きの悪いことがありまして、人の妻になれようかと、当人も嘆いておりますので、可哀そうで私も扱いかねております」と答えますと、

「天下に目つぶれ、足折れ給へりとも、なにがしは仕うまつり止めてむ。国のうちの仏神は、おのれになむ靡き給へる。」
――万一、目がつぶれ、足が折れていましょうとも、私が治して差し上げましょう。国中の神仏はみな私の味方をしてくれていますから――

と、何時いつに迎えに来ようと言って、さて、辞去しようとするときに、監は風流にも歌を詠みたくなったのでしょうか、ややしばらく思案して、

「君にもしこころたがはば松浦なるかがみの神をかけてちかはむ」
――姫君を万一疎んじるようなことがあれば、どんな神罰も受けますと、松浦の鏡の明神にかけて誓いましょう。――

 監は自分で、この歌はうまく出来たと思います、などと言います。

 乳母は、もう恐ろしくて返歌もできそうになく、困りはてて、やっとのこと、心に浮かんだままの歌、

「年を経ていのる心のたがひなばかがみの神をつらしとや見む」
――年来の宿願が叶わないようでしたら、鏡の神をお恨みしましょうー―

 と、わなわな震えながらお返事したのを、相手は、ちょっと首をかしげて、

「まてや、こはいかに仰せらるる」
――いや待てよ、これはどういうお心なのですか――

と不意に詰めよってきましたので、乳母は怯えて顔も青ざめて居りますと、とっさに乳母の娘が、出てきて、若いだけに気強く笑って、「姫君が片輪でいらっしゃるので、ご幸運を願っても甲斐がなければ辛く思いますと、神様を引き合いに出して言い損ねたのです。なにしろ母は少し呆けていますので」と歌の意味を何とかこじつけて、解釈して聞かせますと、

「おい、さりさり。(……)」
――おお、そうですか、そうですか。立派なお歌です。――

と言って、自分ももう一首詠もうと思いますが、出来ずにそのまま帰ったのでした。

(仏神への願いとして乳母は、玉鬘が上京して宿願が叶うようにとの意味を歌に込めたのですが、監の方は神仏に結婚を願う歌。監も乳母の歌を少し変だと思いながらも、機転を利かせた娘に言いくるめられたのでした。)

ではまた。


源氏物語を読んできて(年中行事・弥生3月・曲水の宴)

2008年11月20日 | Weblog
◆曲水(ごくすい)の宴 最初の巳の日

 三月三日の上巳の日に行う遊宴で、庭園の曲水(うねり曲がって流れる小川)の曲がり角ごとに参会者が座り、上流から流れてくる盃が自分の前を過ぎないうちに詩歌を作り、盃を取り上げて酒を飲む遊び。

 今は「きょくすいのえん」とも、また、流觴(りゅうしょう)ともいいます。 元々は中国において、流水に臨んで自身の穢(けがれ)や災いを洗い流すという禊(みそ)ぎ祓(はら)いから発生したと考えられています。

 日本では大化の改新以降、宮中行事となったとされ、宮中では清涼殿(せいりょうでん)東庭で、また、貴族の私邸でも行われました。

 現在、京都市の城南宮や上賀茂神社、岩手県平泉町の毛越寺、鹿児島市の仙巌園などで行われています。

◆参考と写真:風俗博物館