09.4/1 343回
三十一帖【真木柱(まきばしら)の巻】 その(14)
髭黒大将付きの女房の木工の君が、ご衣裳に香を薫きしめて差し上げながら、「北の方へのお仕打ちは、お側にいます私どもにしても黙っていられましょうか」と、お見上げする様子に、大将は、
「(……)いかなる心にてかやうの人に物をいひけむ、などのみぞ覚え給ひける。情けなきことよ」
――(木工の君の目元が美しいとお思いになりましたが)一体どうして自分はこんな女を相手にしたのだろうとばかりお思いになります。無情な話ですこと――
髭黒大将は、
「憂きことを思ひさわげばさまざまにくゆる煙ぞいとど立ちそふ――いと事の外なることどもの、もし聞こえあらば、中間(ちゅうげん)になりぬべき身なめり」
――辛い目に会った事を思うと、あのころの悔いる思いが深くなって行く……昨夜のような思いがけない騒ぎがあちらに聞こえでもしたら、先方からも嫌われ、私はどちらつかずになりそうだ――
と、嘆きがちにお出かけになります。
「一夜ばかりの隔てだに、まためづらしうをかしさまさりて覚え給ふ有様に、いとど心を分くべくもあらず覚えて、心憂ければ、久しう籠り居給へり。」
――一晩お逢いしなかった間に、玉鬘はまたいっそうお美しさが勝ったかんじがして、ますます他の女に愛情を分けるなどできそうもない気がなさって、北の方を思うと厭になって、自邸に帰らず、久しく玉鬘のもとに留まっておられました――
あちらでは、北の方に毎日加持祈祷をつづけて大騒ぎをしていますが、物の怪にはいっこうに効き目がなく、凄まじく現れては罵りわめいておいでとお聞きになるにつけても、大将は、自分にとんでもない悪評も立ち、不名誉なことも起るに違いないと恐ろしくて、北の方のお側へはお近づきにもなりません。
自邸にお帰りになっても、北の方のお部屋とは離れておられ、お子達だけを呼んでお会いになります。
姫君がお一人、十二、三歳ほど。弟君は二人で十歳と、八歳です。
ここ数年はご夫妻の中も離れがちながら、北の方を脅かす方もいらっしゃらなかったのですが、髭黒のご様子に今度こそは終わりになりそうだと、侍女たちも、
「いみじう悲しと思ふ」
――ひどく悲しいことだと思うのでした。――
◆中間(ちゅうげん)=どっちつかず、中途半端
◆物の怪(もののけ)の「もの」とは?
「もの悲しい」「もの寂しい」「もの」とは「なんとなく」「物体のない目に見えない」意味。原因不明。正体不明。「なんとなく感じる」「なんとなくあやしい」「もののけ」とは、はっきり正体がつかめない、なんとなく怖いものをいう。
ではまた。
三十一帖【真木柱(まきばしら)の巻】 その(14)
髭黒大将付きの女房の木工の君が、ご衣裳に香を薫きしめて差し上げながら、「北の方へのお仕打ちは、お側にいます私どもにしても黙っていられましょうか」と、お見上げする様子に、大将は、
「(……)いかなる心にてかやうの人に物をいひけむ、などのみぞ覚え給ひける。情けなきことよ」
――(木工の君の目元が美しいとお思いになりましたが)一体どうして自分はこんな女を相手にしたのだろうとばかりお思いになります。無情な話ですこと――
髭黒大将は、
「憂きことを思ひさわげばさまざまにくゆる煙ぞいとど立ちそふ――いと事の外なることどもの、もし聞こえあらば、中間(ちゅうげん)になりぬべき身なめり」
――辛い目に会った事を思うと、あのころの悔いる思いが深くなって行く……昨夜のような思いがけない騒ぎがあちらに聞こえでもしたら、先方からも嫌われ、私はどちらつかずになりそうだ――
と、嘆きがちにお出かけになります。
「一夜ばかりの隔てだに、まためづらしうをかしさまさりて覚え給ふ有様に、いとど心を分くべくもあらず覚えて、心憂ければ、久しう籠り居給へり。」
――一晩お逢いしなかった間に、玉鬘はまたいっそうお美しさが勝ったかんじがして、ますます他の女に愛情を分けるなどできそうもない気がなさって、北の方を思うと厭になって、自邸に帰らず、久しく玉鬘のもとに留まっておられました――
あちらでは、北の方に毎日加持祈祷をつづけて大騒ぎをしていますが、物の怪にはいっこうに効き目がなく、凄まじく現れては罵りわめいておいでとお聞きになるにつけても、大将は、自分にとんでもない悪評も立ち、不名誉なことも起るに違いないと恐ろしくて、北の方のお側へはお近づきにもなりません。
自邸にお帰りになっても、北の方のお部屋とは離れておられ、お子達だけを呼んでお会いになります。
姫君がお一人、十二、三歳ほど。弟君は二人で十歳と、八歳です。
ここ数年はご夫妻の中も離れがちながら、北の方を脅かす方もいらっしゃらなかったのですが、髭黒のご様子に今度こそは終わりになりそうだと、侍女たちも、
「いみじう悲しと思ふ」
――ひどく悲しいことだと思うのでした。――
◆中間(ちゅうげん)=どっちつかず、中途半端
◆物の怪(もののけ)の「もの」とは?
「もの悲しい」「もの寂しい」「もの」とは「なんとなく」「物体のない目に見えない」意味。原因不明。正体不明。「なんとなく感じる」「なんとなくあやしい」「もののけ」とは、はっきり正体がつかめない、なんとなく怖いものをいう。
ではまた。