永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(368)

2009年04月26日 | Weblog
09.4/26   368回

三十二帖【梅枝(うめがえ)の巻】 その(7)

 ご入内の調度品も今までのものの上に更に整えられて、種々その道に優れた方を召し集めてお作らせになります。草子類はそのまま、手蹟のお手本にもできそうな、今に名を残している方々のもあります。源氏は紫の上を前にしてお話になります。

「よろづの事、昔にはおとりざまに、深くなり行く世の末なれど、仮名のみなむ今の世はいと際なくなりたる。古きあとは、定まれるやうにはあれど、ひろき心ゆたかならず、一筋に通ひてなむありける。」
――すべてのことが昔よりもだんだん深みに欠けて見劣りするようになってきましたが、仮名文字だけは、今の世の方がずっと巧みになりましたね。古人の筆跡は型にははまっていますが、のびのびとした自由な味わいが無くて、手筋がみな一様に似通っています――

「妙にをかしきことは、外よりてこそ書き出づる人々ありけれど、女手を心に入れて習ひしさかりに、こともなき手本多くつどへたりし中に、中宮の母御息所の、心にも入れず走り書い給へりし一行ばかり、わさとならぬをえて、際ことに覚えしはや」
――美しく優雅な書風は、近頃の人によって拓かれてきましたが、私が仮名を熱心に習った頃、良いお手本のたくさんありました中に、秋好中宮の御母でいらっしゃる六条御息所が、さらさらと走り書きされた一行ほどの仮名書きを拝見して、格別感心したことがありました――

「さてあるまじき御名もたて聞こえしぞかし。くやしき事に思ひしみ給へりしかど、さしもあらざりけり」
――そんなことから、とんでもない浮名を立てられるようになったのです。私の方ではそれほど薄情なつもりはなかったのです――

さらに「私がこうして中宮をお世話申すのを、六条御息所はあの世で私をきっと見直してくださっているでしょう」と、小声でお続けになります。

「故入道の宮の御手は、いと気色深うなまめきたる筋はありしかど、弱き所ありて、にほひぞすくなかりし。院の尚侍こそ、今の世の上手におはすれど、あまりそぼれて癖ぞ添ひためる。さはありとも、かの君と、前斎院と、ここにとこそは書き給はめ」
――故藤壺入道の宮の手蹟は、ごく深みがあって優雅ではありましたが、弱いところがあって、余韻が乏しかった。朱雀院の尚侍の朧月夜こそは、今の世で上手ではありますが、洒落過ぎて癖がありますね。まあそうではありますが、朧月夜と前斎院の朝顔の君と、あなた(紫の上)とが、今のところ女手の名手でしょうね――  

と、紫の上を御認めになるのでした。

ではまた。