永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(349)

2009年04月07日 | Weblog
09.4/7   349回

三十一帖【真木柱(まきばしら)の巻】 その(20)

 髭黒の大将のお召物は、上等の袍に、表白裏青の下襲、青鈍の綺の指貫をお着けになってのご様子はたいそう貫禄がおありです。女房たちは、何も不釣り合いなご夫婦という程でもないとお見上げしますが、玉鬘は、

「身の心づきなう思し知らるれば、見もやり給はず」
――すべてご自分の身から起こったことと情けなくお思いになりますので、見向きもなさらない――

 大将は、式部卿の宮に恨み事を申し上げようと、まずご自分の邸にお寄りになりますと、木工の君が、あの日のことを話されます。姫君(真木柱)のご様子をお聞きになって、今まで男らしく堪えていましたものの、ほろほろと涙をこぼされるご様子は、まことにお気の毒です。大将は、

「さても、世の人に似ず、あやしきことどもを見過ごすここらの年頃の志を、見知り給はずありけるかな。いと思ひのままならむ人は、今までも立ちとまるべくやある。(……)」
――それにしても、普通の人とは違って、あの物の怪の憑くあやしい有様を、長年我慢してきたのに、私の志の深さをくみ取って下さらなかったのだなあ。わがままな男なら、どうして今までも連れ添って来れたであろうか。(北の方ご自身はどちらにしても正気の人ではないので、どうなっても同じだけれども、子供たちまでをどうなさろうとするのだろうか)――

 と、嘆息なさりながら、あの真木の柱をご覧になりますと、手蹟は子供らしいものの、歌の心に胸もいっぱいになって、道々涙を拭いながら、式部卿の宮邸に参上なさる。

ではまた。

 


源氏物語を読んできて(平安時代の結婚)

2009年04月07日 | Weblog
◆平安時代の結婚

 安時代の貴族社会では、男女が恋愛関係を持つと、男が女性の許に通いつめた。そのうち共に「住まふ」(「ふ」は状態が継続していること)ようになれば夫婦関係を持ったとみてよいが、一つの区切りとして、また親などの周囲が決めた婚姻の場合には特に、儀式としての結婚行事が行われた。夫妻の身分や時代によって細かな差違はあるが、おおむね次のようなものである。

 婚約が整うと、かねて約しおいた吉日に、男が女に使いを立てて手紙(恋文)をおくる。この使いを「書ふみ(文)遣い」という。女からも返書が贈られる場合もある。その夜、男が女の家におもむくが、上流貴族では牛車に乗り、美麗な行列を仕立てたもので、見物人がでるほどであった。

 男が女の家に着くと、道中の明かりとした脂燭(松を細長く切ったもの)の火は女の家の灯籠に移され、さらに室内の灯台に移される。この火は約一ヶ月に渡って大切に守られ、消されることがなかった。また、男が脱いだ沓は大切に扱われ、女の両親の許に届けられた。男女が帳の中に入ると、衾(ふすま)(寝具)が掛けられ、共寝をする。これが新枕(にいまくら)である。

 男は新枕の夜から三日間、女のもとに通いつめる。それによって結婚が成立したことになり、三日目の夜に、新婚夫婦の寝所に「三日餅(みかのもち)」「三日夜餅(みかよのもち)」とよばれる餅が供された。二人はこれを食し、自分たちの結婚を祝った。

 共寝の翌朝には男は自宅に戻るが、女に慕情を込めてしたためた手紙(主に恋歌)を贈るのがしきたりである。これを「後朝(きぬぎぬ)の文」という。それを届ける使者を「後朝の使い」といい、上流貴族ではしかるべき身分の人間が依頼された。

 三日夜餅が供される夜、もしくは数日後に、「露顕(ところあらわし)」が催される。現代でいう「披露宴(ひろうえん)」がこれにあたり、正式に二人が夫婦になったことを周囲が公認して祝う宴会である。