09.4/6 348回
三十一帖【真木柱(まきばしら)の巻】 その(19)
式部卿の宮は、
「あな聞きにくや。(……)さ思はるるわが身の不幸なるにこそはあらめ。(……)それをこの生の面目にて止みぬべきなめり」
――ああ、聞き苦しい。(誰からも欠点を言われない太政大臣のことを貶めなさるな。あのような賢明な方は、かねてからお考えの上、このような仕返しをいつか、なさりたいとお思いだったのでしょう。)そう睨まれる私が不幸というものでしょう。(あの方は、何気ない風に、あの須磨配流の折の返報として、或いは引き立て、或いは落とし、全く賢明ななされようです。)それを、私一人だけは紫の上の父と思われればこそ、先年五十の賀を世間に評判になるほどの過分なことをしてくださったのだ――
このようにおっしゃられましても、母北の方は、
「いよいよ腹立ちて、まがまがしき事などを言ひちらし給ふ。この大北の方ぞさがな者なりける。」
――ますます立腹されて、忌まわしいことなどを言い散らされます。この母北の方は、なかなかのしたたか者なのでした。――
髭黒の大将は、北の方が父宮の邸に移られたと聞いて、
「いとあやしう、若々しき中らひのやうに、ふすべ顔にてものし給ひけるかな。(……)」
――また妙に若い者同志のように、面当てがましいなさりかたよ。(北の方自身ではなく、御父宮が軽率にもなさったことと思い、またお子たちもいて、何分世間体がわるいので――
尚侍の君に、
「かくあやしき事なむ侍るなる。なかなか心やすくは思ひ給へなせど、さて片隅に隠ろへてもありぬべき人の心やすさを、おだしう思ひ給へつるに、にはかにかの宮のし給ふならむ。人の聞き見る事も情けなきを、うちほのめきて参り来なむ」
――こんな面倒なことが起こりました。妻が居なくなって却って良かったとも思いますが、もともと妻は家の片隅に引っ込んでいられるような、気兼ねのない人と思っていましたのに、急に父宮がお引きとりになったのでしょう。このままでは、私がいかにも薄情者のようにも見えましょうから、ちょっと顔出しをして参ります。――
と、おっしゃってお出掛になりました。
◆さがな者=たちの悪い人、手に負えない人
◆ふすべ顔=燻べ顔=ねたむ、すねる
ではまた。
三十一帖【真木柱(まきばしら)の巻】 その(19)
式部卿の宮は、
「あな聞きにくや。(……)さ思はるるわが身の不幸なるにこそはあらめ。(……)それをこの生の面目にて止みぬべきなめり」
――ああ、聞き苦しい。(誰からも欠点を言われない太政大臣のことを貶めなさるな。あのような賢明な方は、かねてからお考えの上、このような仕返しをいつか、なさりたいとお思いだったのでしょう。)そう睨まれる私が不幸というものでしょう。(あの方は、何気ない風に、あの須磨配流の折の返報として、或いは引き立て、或いは落とし、全く賢明ななされようです。)それを、私一人だけは紫の上の父と思われればこそ、先年五十の賀を世間に評判になるほどの過分なことをしてくださったのだ――
このようにおっしゃられましても、母北の方は、
「いよいよ腹立ちて、まがまがしき事などを言ひちらし給ふ。この大北の方ぞさがな者なりける。」
――ますます立腹されて、忌まわしいことなどを言い散らされます。この母北の方は、なかなかのしたたか者なのでした。――
髭黒の大将は、北の方が父宮の邸に移られたと聞いて、
「いとあやしう、若々しき中らひのやうに、ふすべ顔にてものし給ひけるかな。(……)」
――また妙に若い者同志のように、面当てがましいなさりかたよ。(北の方自身ではなく、御父宮が軽率にもなさったことと思い、またお子たちもいて、何分世間体がわるいので――
尚侍の君に、
「かくあやしき事なむ侍るなる。なかなか心やすくは思ひ給へなせど、さて片隅に隠ろへてもありぬべき人の心やすさを、おだしう思ひ給へつるに、にはかにかの宮のし給ふならむ。人の聞き見る事も情けなきを、うちほのめきて参り来なむ」
――こんな面倒なことが起こりました。妻が居なくなって却って良かったとも思いますが、もともと妻は家の片隅に引っ込んでいられるような、気兼ねのない人と思っていましたのに、急に父宮がお引きとりになったのでしょう。このままでは、私がいかにも薄情者のようにも見えましょうから、ちょっと顔出しをして参ります。――
と、おっしゃってお出掛になりました。
◆さがな者=たちの悪い人、手に負えない人
◆ふすべ顔=燻べ顔=ねたむ、すねる
ではまた。