09.4/5 347回
三十一帖【真木柱(まきばしら)の巻】 その(18)
北の方は、「まだそんなことをお言いなの」とおっしゃりながら、ご自身も歌を詠まれます。
「馴れきとは思ひいづとも何により立ちとまるべき真木の柱ぞ」
――馴れ親しんだ真木の柱が思い出してくれても、今さらこの家は私たちの留まるべき住家ではありません――
「御前なる人々も、さまざまに悲しく、さしも思はぬ草木のもとさへ、恋しからむことと目とどめて、鼻すすりあへり」
――お仕えしている侍女たちも、みなそれぞれに悲しくて、普段はそれ程とも思わぬ庭の草木の上さえ、恋しく思い出すことだろうと、名残惜しそうに目を留めて、鼻をすすり歎き合ったのでした――
女房の木工の君は大将づきですので、ここに留まり、泣きながらお見送りしたのでした。
さて、式部卿の宮は、北の方を待ち受けられて、ひどくお悲しみのご様子です。母の北の方は泣き騒いで、
「太政大臣をめでたきよすがと思ひ聞こえ給へれど、いかばかりの昔の仇敵(あたかたき)にかおはしけむとこそ思ほゆれ。女御をも、事に触れ、はしたなくももてなし給ひしかど、それは、御中のうらみ解けざりし程、思ひ知れとにこそはありけめ、と思し宣ひ、世の人も言ひなししだに、なほさやはあるべき、(……)ましてかく末に、すずろなる継子かしづきをして、おのれ古し給へるいとほしみに、実法なる人のゆるぎ所あるまじきをとて、取りよせもてかしづき給ふは、如何つらからぬ」
――(貴方は)太政大臣の源氏を、結構な身内だとお思いでしょうが、私には、どれほど前世からの仇敵でいられたのかと思われます。私どもの娘の女御(王女御)の入内にも、何かにつけて辛くばかりお当たりになりましたが、それは、須磨の頃のお恨みが解けないのを根に持たれて、思い知らせようとの意味であろうと、貴方もおっしゃり、世間もそう解していましたが、そんななさりようがあって良いものでしょうか。(北の方を大事になさる上は、その縁者の私どもまで潤うのが世の例ですのに、私は納得できず不思議なことと思っておりましたが)その上太政大臣はこのような晩年になって、出生も不確かな継娘の世話をされて、ご自分がもて弄び古した償いに、真面目で浮気しそうもない男をと、黒髭の大将を引きよせてお世話なさるとは、何と憎らしいことでしょう――
と、息もつかずに、悪口を言い続けられます。
◆思ひ知れとにこそはありけめ=思い知れということであったのでしょうと
◆言ひなししだに=言い做し時に=言い間違っていました時に
◆すずろなる継子=はっきりしない=血統のはっきりしないような娘
◆実法なる人(じほうなる人)=真面目な人、素直な人
ではまた。
三十一帖【真木柱(まきばしら)の巻】 その(18)
北の方は、「まだそんなことをお言いなの」とおっしゃりながら、ご自身も歌を詠まれます。
「馴れきとは思ひいづとも何により立ちとまるべき真木の柱ぞ」
――馴れ親しんだ真木の柱が思い出してくれても、今さらこの家は私たちの留まるべき住家ではありません――
「御前なる人々も、さまざまに悲しく、さしも思はぬ草木のもとさへ、恋しからむことと目とどめて、鼻すすりあへり」
――お仕えしている侍女たちも、みなそれぞれに悲しくて、普段はそれ程とも思わぬ庭の草木の上さえ、恋しく思い出すことだろうと、名残惜しそうに目を留めて、鼻をすすり歎き合ったのでした――
女房の木工の君は大将づきですので、ここに留まり、泣きながらお見送りしたのでした。
さて、式部卿の宮は、北の方を待ち受けられて、ひどくお悲しみのご様子です。母の北の方は泣き騒いで、
「太政大臣をめでたきよすがと思ひ聞こえ給へれど、いかばかりの昔の仇敵(あたかたき)にかおはしけむとこそ思ほゆれ。女御をも、事に触れ、はしたなくももてなし給ひしかど、それは、御中のうらみ解けざりし程、思ひ知れとにこそはありけめ、と思し宣ひ、世の人も言ひなししだに、なほさやはあるべき、(……)ましてかく末に、すずろなる継子かしづきをして、おのれ古し給へるいとほしみに、実法なる人のゆるぎ所あるまじきをとて、取りよせもてかしづき給ふは、如何つらからぬ」
――(貴方は)太政大臣の源氏を、結構な身内だとお思いでしょうが、私には、どれほど前世からの仇敵でいられたのかと思われます。私どもの娘の女御(王女御)の入内にも、何かにつけて辛くばかりお当たりになりましたが、それは、須磨の頃のお恨みが解けないのを根に持たれて、思い知らせようとの意味であろうと、貴方もおっしゃり、世間もそう解していましたが、そんななさりようがあって良いものでしょうか。(北の方を大事になさる上は、その縁者の私どもまで潤うのが世の例ですのに、私は納得できず不思議なことと思っておりましたが)その上太政大臣はこのような晩年になって、出生も不確かな継娘の世話をされて、ご自分がもて弄び古した償いに、真面目で浮気しそうもない男をと、黒髭の大将を引きよせてお世話なさるとは、何と憎らしいことでしょう――
と、息もつかずに、悪口を言い続けられます。
◆思ひ知れとにこそはありけめ=思い知れということであったのでしょうと
◆言ひなししだに=言い做し時に=言い間違っていました時に
◆すずろなる継子=はっきりしない=血統のはっきりしないような娘
◆実法なる人(じほうなる人)=真面目な人、素直な人
ではまた。