2010.4/1 693回
四十一帖 【幻(まぼろし)の巻】 その(18)
「九月になりて、九日、綿おほいたる菊をご覧じて」
――九月になって、源氏は、九日の重陽の節句に綿でおおった菊の花をごらんになって――
(源氏の歌)「もろともにおきゐし菊の朝露もひとり袂にかかる秋かな」
――以前は紫の上と共に起きて、菊のきせ綿もしたものを、今年の秋はその露もわたし一人の袂にかかるだけだなあ――
「神無月は、大方も時雨がちなる頃、いとどながめ給ひて、夕暮れの空の気色にも、えも言はぬ心細さに『降りしかど』とひとりごちおはす」
――十月はいったいに時雨がちで、源氏もしんみりと物思いに沈みがちなご気分ですのに、さらに夕暮れの空はなおさらに寂しく、「神無月いつも時雨は降りしかどかく袖ひづる折はなかりき」の古歌を口ずさんでいらっしゃる。
「五節などいひて、世の中そこはかとなく今めかしげなる頃、大将殿の君達、童殿上し給ひて参り給へり」
――十一月の豊明節会の五節(とよのあかりのごせち)などといって、世の中がなんとなく陽気な感じのする頃、夕霧が御子息たちが童殿上なさったのを連れて、源氏の御邸にお出でになった――
御子たちは、みな可愛らしくいらっしゃる。御子たちにとって御叔父の頭の中将、蔵人の少将(共に柏木の弟たち)も御子たちを連れてご挨拶にいらっしゃる。どちらもさわやかで清々しいご容姿でいらっしゃる。源氏は昔、あの筑紫の五節に夢中になって文を交わした折の、豊明の節会(とよのあかりのせちえ)をとおく思い出して、
(歌)「みやびとは豊明にいそぐ今日日影もしらで暮らしつるかな」
――宮人たちは豊明の節会に夢中になる今日、私だけは日の光も知らず、暗い心で籠って暮らしたことよ――
源氏は、今年一年は何とかこうして耐え通して来たのだから、今はいよいよ出家の時が近づいたと、お心の準備に向かわれるこの頃ですが、やはりあはれは尽きないのでした。
◆綿(わた)おほいたる菊=九月九日は、きせ綿といって、菊の花の上に綿を覆い、花の露を移してそれで身を拭えば長生きする(老いが去る)と言われていた。重陽の節句。
◆童殿上(わらはてんじょう)=宮中の作法見習いのために、貴族の子弟が昇殿を許されて殿上に奉仕すること。元服前の子供。
ではまた。
四十一帖 【幻(まぼろし)の巻】 その(18)
「九月になりて、九日、綿おほいたる菊をご覧じて」
――九月になって、源氏は、九日の重陽の節句に綿でおおった菊の花をごらんになって――
(源氏の歌)「もろともにおきゐし菊の朝露もひとり袂にかかる秋かな」
――以前は紫の上と共に起きて、菊のきせ綿もしたものを、今年の秋はその露もわたし一人の袂にかかるだけだなあ――
「神無月は、大方も時雨がちなる頃、いとどながめ給ひて、夕暮れの空の気色にも、えも言はぬ心細さに『降りしかど』とひとりごちおはす」
――十月はいったいに時雨がちで、源氏もしんみりと物思いに沈みがちなご気分ですのに、さらに夕暮れの空はなおさらに寂しく、「神無月いつも時雨は降りしかどかく袖ひづる折はなかりき」の古歌を口ずさんでいらっしゃる。
「五節などいひて、世の中そこはかとなく今めかしげなる頃、大将殿の君達、童殿上し給ひて参り給へり」
――十一月の豊明節会の五節(とよのあかりのごせち)などといって、世の中がなんとなく陽気な感じのする頃、夕霧が御子息たちが童殿上なさったのを連れて、源氏の御邸にお出でになった――
御子たちは、みな可愛らしくいらっしゃる。御子たちにとって御叔父の頭の中将、蔵人の少将(共に柏木の弟たち)も御子たちを連れてご挨拶にいらっしゃる。どちらもさわやかで清々しいご容姿でいらっしゃる。源氏は昔、あの筑紫の五節に夢中になって文を交わした折の、豊明の節会(とよのあかりのせちえ)をとおく思い出して、
(歌)「みやびとは豊明にいそぐ今日日影もしらで暮らしつるかな」
――宮人たちは豊明の節会に夢中になる今日、私だけは日の光も知らず、暗い心で籠って暮らしたことよ――
源氏は、今年一年は何とかこうして耐え通して来たのだから、今はいよいよ出家の時が近づいたと、お心の準備に向かわれるこの頃ですが、やはりあはれは尽きないのでした。
◆綿(わた)おほいたる菊=九月九日は、きせ綿といって、菊の花の上に綿を覆い、花の露を移してそれで身を拭えば長生きする(老いが去る)と言われていた。重陽の節句。
◆童殿上(わらはてんじょう)=宮中の作法見習いのために、貴族の子弟が昇殿を許されて殿上に奉仕すること。元服前の子供。
ではまた。