2010.4/6 698回
四十二帖 【匂宮(にほふのみや)の巻】 その(3)
源氏の亡きあとの六条院では、源氏とご関係のありました御方たちが、それぞれに住んでおられた所から、涙ながらにあちらこちらに永住の場を求めて移って行かれました。花散里の御方は二条院の東院を源氏のお形見分けに頂いて移られ、入道の宮(女三宮)は朱雀院(御父帝)から賜った三条の御殿にお移りになりました。
明石中宮はほとんど内裏にお住まいでいらっしゃいますので、六条院はすっかり華やかさも消えて、出入りの人々も少なくひっそりとしてしまいました。
夕霧右大臣は、
「生けるかぎりの世に、心をとどめて造り占めたる人の家居の、名残なくうち棄てられて、世のならひも常なく見ゆるは、いとあはれにはかなさ知らるるを、わが世にあらむかぎりだに、この院荒らさず、ほとりの大路など、人影かれ果つまじう」
――父君の在世中、念を入れて造らせた邸宅が、主人が亡くなってすっかり荒廃し、いかにも世の無常を示しているのは、いかにもはかなく情けない。せめて私の生きている間だけでも、この六条院を寂れさせぬよう、付近の大路を通る人が絶えてしまわぬようにしたいものだ――
と、お考えになって、
「丑寅の町に、かの一條の宮を渡し奉り給ひてなむ、三条殿と、夜ごとに十五日づつ、うるはしう通ひ住み給ひける」
――丑寅(うしとら=北東)の町に、あの一条の宮(落葉宮)を移らせなさって、本邸の雲井の雁のお屋敷と、夜は十五日ずつ几帳面にお通い分けをなさっていらっしゃる。(丑寅の町には花散里が住んでおられた)――
二条の院も、六条院も又とないほど世間に評判とされた金殿玉楼も、ただこの明石の御方お一人の御子孫(明石中宮腹の女一の宮、女二の宮、匂宮など)のためであったかと思える有様で、明石の御方は大勢の宮達の御後見役として、よろず取り仕切ってお世話しておられるのでした。
◆うるはし=(麗し、美し、愛し)立派だ。きちんとしている。
ではまた。
四十二帖 【匂宮(にほふのみや)の巻】 その(3)
源氏の亡きあとの六条院では、源氏とご関係のありました御方たちが、それぞれに住んでおられた所から、涙ながらにあちらこちらに永住の場を求めて移って行かれました。花散里の御方は二条院の東院を源氏のお形見分けに頂いて移られ、入道の宮(女三宮)は朱雀院(御父帝)から賜った三条の御殿にお移りになりました。
明石中宮はほとんど内裏にお住まいでいらっしゃいますので、六条院はすっかり華やかさも消えて、出入りの人々も少なくひっそりとしてしまいました。
夕霧右大臣は、
「生けるかぎりの世に、心をとどめて造り占めたる人の家居の、名残なくうち棄てられて、世のならひも常なく見ゆるは、いとあはれにはかなさ知らるるを、わが世にあらむかぎりだに、この院荒らさず、ほとりの大路など、人影かれ果つまじう」
――父君の在世中、念を入れて造らせた邸宅が、主人が亡くなってすっかり荒廃し、いかにも世の無常を示しているのは、いかにもはかなく情けない。せめて私の生きている間だけでも、この六条院を寂れさせぬよう、付近の大路を通る人が絶えてしまわぬようにしたいものだ――
と、お考えになって、
「丑寅の町に、かの一條の宮を渡し奉り給ひてなむ、三条殿と、夜ごとに十五日づつ、うるはしう通ひ住み給ひける」
――丑寅(うしとら=北東)の町に、あの一条の宮(落葉宮)を移らせなさって、本邸の雲井の雁のお屋敷と、夜は十五日ずつ几帳面にお通い分けをなさっていらっしゃる。(丑寅の町には花散里が住んでおられた)――
二条の院も、六条院も又とないほど世間に評判とされた金殿玉楼も、ただこの明石の御方お一人の御子孫(明石中宮腹の女一の宮、女二の宮、匂宮など)のためであったかと思える有様で、明石の御方は大勢の宮達の御後見役として、よろず取り仕切ってお世話しておられるのでした。
◆うるはし=(麗し、美し、愛し)立派だ。きちんとしている。
ではまた。