2010.4/17 707回
四十三帖 【紅梅(こうばい)の巻】 その(1)
【匂宮の巻】から四~五年が経ちました。
薫(源中納言) 24歳春~冬まで。母は女三宮、父は表向き源氏だが、実は柏木。
紅梅大納言(按察使大納言・故柏木のすぐ下の弟、父君は故致仕大臣)50歳以上
紅梅大納言と故北の方腹に2人の娘(大君と中の君)がいる。
眞木柱(蛍兵部卿宮と結婚、死別後、姫君一人を連れて紅梅大納言と再婚)
眞木柱の連れ子は、宮の御方(みやのおんかた)という。
紅梅大納言との間に若君(男の子)
今上帝(内裏)
明石中宮
匂宮(兵部卿宮・明石中宮腹の第三皇子)25歳
夕霧(右大臣) 50歳
冷泉院(前の帝、源氏の弟宮だが、実は藤壺と源氏の子)
秋好中宮(母君は六条御息所、冷泉院の妃で中宮) 62歳
朱雀院(冷泉院の前の帝、源氏の腹違いの兄宮、出家して山寺に隠遁)
女二宮(落葉宮)と女三宮(源氏の正妻・出家)は朱雀院の姫宮たち。
「その頃、按察使の大納言ときこゆるは、故致仕の大臣の次郎なり。亡せ給ひにし右衛門の督のさしつぎよ。童よりらうらうじう、はなやかなる心ばへものし給ひし人にて、なりのぼり給ふ年月に添へて、まいていと世にあるかひあり、あらまほしうもてなし、御おぼえいとやむごとなかりけり」
――その頃、按察使の大納言(あぜちのだいなごん)とおっしゃる方は、故左大臣でありました致仕大臣のご次男でいらっしゃいます。あの亡くなられた右衛門の督(えもんのかみ・ご長男の柏木)のすぐ下の弟君ですよ。ご幼少より可愛らしく利発で、はなやかな御気質でいらっしゃいましたが、官位が昇られるにつれて、いっそう精彩も加わって生き甲斐のあるお暮しぶりで、帝のご信頼も厚くていらっしゃいます――
この方の前の北の方が亡くなられて、今度の北の方になられた方は、髭黒太政大臣の御むすめの眞木柱(まきばしら)でいらっしゃいます。眞木柱が蛍兵部卿宮(ほたるひょうぶきょうのみや)に御縁組なさいました後、その蛍兵部卿宮が亡くなられて、その後に按察使の大納言が、
「忍びつつ通ひ給ひしかど、年月経れば、え然しもはばかり給はぬなめり。御子は、故北の方の御腹に、二人のみぞおはしければ、さうざうしとて、神仏に祈りて、今の御腹にぞ男君一人まうけ給へる。故宮の御方に、女君一ところおはす」
――忍び忍び、眞木柱の許に通っておられましたが、それも年月が重なりましたので、今は人目を憚ることなく公然と北の方になさっておられます。按察使大納言には、前の北の方腹に姫君が二人しかおらず(男君がいらっしゃらない)寂しいので、神仏に願掛けをしましたところ、眞木柱腹に男君がお生まれになったのでした。眞木柱には前の夫との間に女君一人いらっしゃって、(その方を連れての再婚です)――
ではまた。
四十三帖 【紅梅(こうばい)の巻】 その(1)
【匂宮の巻】から四~五年が経ちました。
薫(源中納言) 24歳春~冬まで。母は女三宮、父は表向き源氏だが、実は柏木。
紅梅大納言(按察使大納言・故柏木のすぐ下の弟、父君は故致仕大臣)50歳以上
紅梅大納言と故北の方腹に2人の娘(大君と中の君)がいる。
眞木柱(蛍兵部卿宮と結婚、死別後、姫君一人を連れて紅梅大納言と再婚)
眞木柱の連れ子は、宮の御方(みやのおんかた)という。
紅梅大納言との間に若君(男の子)
今上帝(内裏)
明石中宮
匂宮(兵部卿宮・明石中宮腹の第三皇子)25歳
夕霧(右大臣) 50歳
冷泉院(前の帝、源氏の弟宮だが、実は藤壺と源氏の子)
秋好中宮(母君は六条御息所、冷泉院の妃で中宮) 62歳
朱雀院(冷泉院の前の帝、源氏の腹違いの兄宮、出家して山寺に隠遁)
女二宮(落葉宮)と女三宮(源氏の正妻・出家)は朱雀院の姫宮たち。
「その頃、按察使の大納言ときこゆるは、故致仕の大臣の次郎なり。亡せ給ひにし右衛門の督のさしつぎよ。童よりらうらうじう、はなやかなる心ばへものし給ひし人にて、なりのぼり給ふ年月に添へて、まいていと世にあるかひあり、あらまほしうもてなし、御おぼえいとやむごとなかりけり」
――その頃、按察使の大納言(あぜちのだいなごん)とおっしゃる方は、故左大臣でありました致仕大臣のご次男でいらっしゃいます。あの亡くなられた右衛門の督(えもんのかみ・ご長男の柏木)のすぐ下の弟君ですよ。ご幼少より可愛らしく利発で、はなやかな御気質でいらっしゃいましたが、官位が昇られるにつれて、いっそう精彩も加わって生き甲斐のあるお暮しぶりで、帝のご信頼も厚くていらっしゃいます――
この方の前の北の方が亡くなられて、今度の北の方になられた方は、髭黒太政大臣の御むすめの眞木柱(まきばしら)でいらっしゃいます。眞木柱が蛍兵部卿宮(ほたるひょうぶきょうのみや)に御縁組なさいました後、その蛍兵部卿宮が亡くなられて、その後に按察使の大納言が、
「忍びつつ通ひ給ひしかど、年月経れば、え然しもはばかり給はぬなめり。御子は、故北の方の御腹に、二人のみぞおはしければ、さうざうしとて、神仏に祈りて、今の御腹にぞ男君一人まうけ給へる。故宮の御方に、女君一ところおはす」
――忍び忍び、眞木柱の許に通っておられましたが、それも年月が重なりましたので、今は人目を憚ることなく公然と北の方になさっておられます。按察使大納言には、前の北の方腹に姫君が二人しかおらず(男君がいらっしゃらない)寂しいので、神仏に願掛けをしましたところ、眞木柱腹に男君がお生まれになったのでした。眞木柱には前の夫との間に女君一人いらっしゃって、(その方を連れての再婚です)――
ではまた。