永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(694)

2010年04月02日 | Weblog
2010.4/2   694回

四十一帖 【幻(まぼろし)の巻】 その(19)

「やうやう然るべき事ども、御心の中に思し続けて、侍ふ人々にも、程程につけて物賜ひなど、おどろおどろしく、今なむかぎりとしなし給はねど、近う侍ふ人々は、御本意遂げ給ふべき気色と見奉るままに、年の暮れゆくも心細う、悲しきことかぎりなし」
――(源氏は)次第次第に出家のご準備を心の中に思い続けられて、侍女たちにも身分身分に応じて、形見の品を下されるなど、ものものしくこれが最後だというふうにはなさらないけれど、お側近くお仕えしている女房達には、源氏がいよいよご出家なさるらしいご様子と拝察申し上げていますうちに、この年も暮れていくようで、心細く悲しいことは限りもありません。――

 源氏は、ご自分の死後に残っては見苦しいようなお手紙などを侍女たちを呼んで、目の前で破らせておしまいになります。その中には、須磨明石への紫の上のお手紙も束にしてお持ちでしたが、そのお手紙類の筆跡をご覧になって、いっそう胸にせまり、

(歌)「死出の山越えにし人を慕ふとて跡を見つつもなほまどうふかな」
――死出の山を越えて行った紫の上の跡を追おうと思いながら、その筆跡を見てもまだ心が乱れて鎮められない事だなあ――

「さぶらふ人々も、まほにはえ引きひろげねど、それとほのぼの見ゆるに、心惑ひども疎かならず」
――侍女たちも、お文をまともに広げてみることはできませんが、ちらと、それが紫の上のご筆跡と見えますので、悲しみも並々ではありません――

 これらの紫の上のお手紙を源氏は、

「この世ながら遠からぬ御別の程を、いみじと思しけるままに書い給へる言の葉、げにその折よりもせきあへぬ悲しさ、やらむ方なし。いとうたて、今ひときはの御心惑ひも、女々しく人悪くなりぬべければ、よくも見給はで、こまやかに書き給へる傍らに、(歌)『かきつめて見るもかひなしもしほ草おなじ雲居の煙とをなれ』と書きつけて、皆焼かせ給ひつ」
――この世の、須磨と都と遠くもない別離なのに、たいそう悲しげに書かれた紫の上の言葉が、今ここで見るのはあの時の悲しみが胸に甦って来て堪えられない。この上さらに心の迷いが加わるのは、気弱で人聞きがわるいことになりそうだ、と、よくもご覧にならず、そのお手紙の傍らに、(歌)「こうして古い手紙を集めて見ても甲斐もない。このお文は紫の上と同じ空の煙となってくれ」と書きつけて、みな焼かせておしまいになりました。――

◆物賜ひ=形見分け 

◆おどろおどろしく=気味が悪い。仰々しい。おおげさ。

◆写真:悲しみの源氏