09.6/9 410回
三十四帖【若菜上(わかな上)の巻】 その(19)
さて、二月十日の頃に、朱雀院の姫宮が六条院にお渡になりました。
「内裏に参り給ふ人の作法をまねびて、かの院よりも御調度など運ばる。渡り給ふ儀式いへばさらなり。」
――女御入内の儀式になぞらえて、朱雀院から御調度が運び込まれてきました。その儀式のご立派なこと、言うまでもありません――
「御車寄せたる所に、院わたり給ひて、おろし奉り給ふ程なども、例には違ひたる事どもなり。ただ人におはすれば、よろづのこと限りありて、内裏まゐりにも似ず、婿の大君といはむにも、事違ひて、めづらしき御中のあはひどもになむ。」
――六条院の寝殿の車寄せの所に、源氏はお迎えに出て、女三宮を抱きかかえて、降ろされますなど、例にないことでございます。(太上天皇に准ずる源氏がこのようにお出迎えなさったのは、朱雀院への礼として)源氏は臣下の身ですので、儀式にはすべて制限があり、入内とも異なり、また普通の婿の大君というのとも違っていて、まことに風変りなご夫婦の関係です――
「三日が程、かの院よりも主人の院方よりも、厳めしくめづらしきみやびをつくし給ふ」
――三日間というもの、朱雀院方からも源氏方からも、又と見られぬほどの優雅な催しがなされたのでした――
「対の上もことに触れてただにも思されぬ世の有様なり。げに、かかるにつけて、こよなく人におとり消たるることもあるまじけれど、(……)いとどあり難しと思ひ聞こえ給ふ」
――紫の上もなにかにつけて平静ではいられないご夫婦の状態になりました。なるほど、姫宮のご降嫁でも紫の上がひどく厭倒されることはないでしょうが、(今まで並ぶ人もなく、源氏と慣れ暮らしてこられて、姫宮が若く華麗なご様子で乗り込んでこられたのですから、ご気分とて穏やかであろう筈はないでしょうのに、この婚礼の儀式の細かいところまで源氏と一緒になって準備なさるその素直さに)源氏は、紫の上をひとしお稀なほどのご立派さだとお思いになるのでした。
◆写真:女三宮の御降嫁の一行
風俗博物館
ではまた。
三十四帖【若菜上(わかな上)の巻】 その(19)
さて、二月十日の頃に、朱雀院の姫宮が六条院にお渡になりました。
「内裏に参り給ふ人の作法をまねびて、かの院よりも御調度など運ばる。渡り給ふ儀式いへばさらなり。」
――女御入内の儀式になぞらえて、朱雀院から御調度が運び込まれてきました。その儀式のご立派なこと、言うまでもありません――
「御車寄せたる所に、院わたり給ひて、おろし奉り給ふ程なども、例には違ひたる事どもなり。ただ人におはすれば、よろづのこと限りありて、内裏まゐりにも似ず、婿の大君といはむにも、事違ひて、めづらしき御中のあはひどもになむ。」
――六条院の寝殿の車寄せの所に、源氏はお迎えに出て、女三宮を抱きかかえて、降ろされますなど、例にないことでございます。(太上天皇に准ずる源氏がこのようにお出迎えなさったのは、朱雀院への礼として)源氏は臣下の身ですので、儀式にはすべて制限があり、入内とも異なり、また普通の婿の大君というのとも違っていて、まことに風変りなご夫婦の関係です――
「三日が程、かの院よりも主人の院方よりも、厳めしくめづらしきみやびをつくし給ふ」
――三日間というもの、朱雀院方からも源氏方からも、又と見られぬほどの優雅な催しがなされたのでした――
「対の上もことに触れてただにも思されぬ世の有様なり。げに、かかるにつけて、こよなく人におとり消たるることもあるまじけれど、(……)いとどあり難しと思ひ聞こえ給ふ」
――紫の上もなにかにつけて平静ではいられないご夫婦の状態になりました。なるほど、姫宮のご降嫁でも紫の上がひどく厭倒されることはないでしょうが、(今まで並ぶ人もなく、源氏と慣れ暮らしてこられて、姫宮が若く華麗なご様子で乗り込んでこられたのですから、ご気分とて穏やかであろう筈はないでしょうのに、この婚礼の儀式の細かいところまで源氏と一緒になって準備なさるその素直さに)源氏は、紫の上をひとしお稀なほどのご立派さだとお思いになるのでした。
◆写真:女三宮の御降嫁の一行
風俗博物館
ではまた。
09.6/8 409回
三十四帖【若菜上(わかな上)の巻】 その(18)
源氏のちょっとした浮気心にも紫の上は気が滅入り、嫉妬なさることもありましたが、しかしこの時は、ごく平静に、
「あはれなる御譲りにこそはあなれ。ここには、いかなる心置き奉るべきにか。(……)」
――ご同情に堪えないご依頼ですね。私などが何の隔てを持ちましょう。(私がここにおりましていては、不愉快だなどとお咎めがありませんうちは、安心しておりましょうが)――
紫の上のちょっと卑下したもののおっしゃり方に、源氏は、
「あまりかううちとけ給ふ御許しも、いかなればと、後めたくこそあれ。(……)まだきに騒ぎて、あいなきものうらみし給ふな」
――あまり、こうあっさりとお認めになると、さてまたどうしたものかと心配ですよ。
(でもそうして、あなたも女三宮も諒解なさって平和にお過ごしになれば、どんなに安心なことでしょう。他人の中傷など気にしてはいけませんよ。大体世間というものは、夫婦仲のことを聞き歪めて面白がるものですからね。)早まって騒いで、つまらない嫉妬などしなさるな――
などと、お教えになります。
紫の上は、お心の中でこのように思うのでした。「女三宮のことは、降って湧いたような事件で、当人同士のあいだに生れた恋ではなく、源氏も逃れられないことだったのだから、私が気に病んでいると世間から思われないようにふるまわなければ。継母が自分を呪わしげにいつも思っていらっしゃっておいでですから、このことをお聞きになったら、さぞ良い気味だと思われるに違いない」
紫の上という方は、たいそう大様な方でいらっしゃるけれど、このくらいの胸の内の邪推はきっとおありだったでしょう。
新年を迎えました。
朱雀院は女三宮を六条院へお移しになるご準備を、急がせなさっております。一方で、
「さるは、今年ぞ四十になり給ひければ、御賀の事おほやけにも聞召し過ぐさず、世の中の営みにて、かねてより響くを(……)皆かへさひ申し給ふ」
――源氏は、今年四十歳になられましたので、その御賀のことを朝廷でもお聞き過しなさらず、天下を上げてご準備との評判でしたが、源氏は面倒な勿体ぶった事は昔から好まれぬご性分ですので)みなご辞退申されたのでした――
正月二十三日の「子の日(ねのひ)」に、髭黒の大将の、今は北の方になられた玉鬘から源氏に若菜が進上されました。表向きは源氏の養女である玉鬘が、御父への御賀にもお心を込めたもので、婿殿髭黒の大将も、二人の御子を源氏にご覧に入れたく連れて参ります。
若菜の儀式には、殿上人を従えての髭黒の大将のご威勢はなかなかで、元の北の方の御父宮である式部卿の宮は、にがにがしく、仕方なくお出でになりました。
◆子の日(ねのひ)の若菜摘み
正月の子の日、とくに最初の子の日に、人々は野に出て、小松を根から引き抜いて健康と長寿を祈った。「ねのび」(「根延び」を掛ける)とも言う。松は常緑であり長生の木とされたため、それにあやかろうとした行事である。またこの日、若菜も共に摘んで食した。
写真:風俗博物館
ではまた。
三十四帖【若菜上(わかな上)の巻】 その(18)
源氏のちょっとした浮気心にも紫の上は気が滅入り、嫉妬なさることもありましたが、しかしこの時は、ごく平静に、
「あはれなる御譲りにこそはあなれ。ここには、いかなる心置き奉るべきにか。(……)」
――ご同情に堪えないご依頼ですね。私などが何の隔てを持ちましょう。(私がここにおりましていては、不愉快だなどとお咎めがありませんうちは、安心しておりましょうが)――
紫の上のちょっと卑下したもののおっしゃり方に、源氏は、
「あまりかううちとけ給ふ御許しも、いかなればと、後めたくこそあれ。(……)まだきに騒ぎて、あいなきものうらみし給ふな」
――あまり、こうあっさりとお認めになると、さてまたどうしたものかと心配ですよ。
(でもそうして、あなたも女三宮も諒解なさって平和にお過ごしになれば、どんなに安心なことでしょう。他人の中傷など気にしてはいけませんよ。大体世間というものは、夫婦仲のことを聞き歪めて面白がるものですからね。)早まって騒いで、つまらない嫉妬などしなさるな――
などと、お教えになります。
紫の上は、お心の中でこのように思うのでした。「女三宮のことは、降って湧いたような事件で、当人同士のあいだに生れた恋ではなく、源氏も逃れられないことだったのだから、私が気に病んでいると世間から思われないようにふるまわなければ。継母が自分を呪わしげにいつも思っていらっしゃっておいでですから、このことをお聞きになったら、さぞ良い気味だと思われるに違いない」
紫の上という方は、たいそう大様な方でいらっしゃるけれど、このくらいの胸の内の邪推はきっとおありだったでしょう。
新年を迎えました。
朱雀院は女三宮を六条院へお移しになるご準備を、急がせなさっております。一方で、
「さるは、今年ぞ四十になり給ひければ、御賀の事おほやけにも聞召し過ぐさず、世の中の営みにて、かねてより響くを(……)皆かへさひ申し給ふ」
――源氏は、今年四十歳になられましたので、その御賀のことを朝廷でもお聞き過しなさらず、天下を上げてご準備との評判でしたが、源氏は面倒な勿体ぶった事は昔から好まれぬご性分ですので)みなご辞退申されたのでした――
正月二十三日の「子の日(ねのひ)」に、髭黒の大将の、今は北の方になられた玉鬘から源氏に若菜が進上されました。表向きは源氏の養女である玉鬘が、御父への御賀にもお心を込めたもので、婿殿髭黒の大将も、二人の御子を源氏にご覧に入れたく連れて参ります。
若菜の儀式には、殿上人を従えての髭黒の大将のご威勢はなかなかで、元の北の方の御父宮である式部卿の宮は、にがにがしく、仕方なくお出でになりました。
◆子の日(ねのひ)の若菜摘み
正月の子の日、とくに最初の子の日に、人々は野に出て、小松を根から引き抜いて健康と長寿を祈った。「ねのび」(「根延び」を掛ける)とも言う。松は常緑であり長生の木とされたため、それにあやかろうとした行事である。またこの日、若菜も共に摘んで食した。
写真:風俗博物館
ではまた。
◆上達部あまた南の廂に着きたまふ。
まず左端、布袴を着て畏まっているのは柏木。
その隣は、大君姿の式部卿宮。
そのの隣は、冠直衣の太政大臣(前頭中将)と大君姿の蛍兵部卿宮。
そして一番右端には、布袴姿の髭黒大将が座っています。濃紫の袍に藤色の指貫という重々しい色調の衣裳を纏った姿は、端に居ても堂々たる存在感があります。
写真:風俗博物館
まず左端、布袴を着て畏まっているのは柏木。
その隣は、大君姿の式部卿宮。
そのの隣は、冠直衣の太政大臣(前頭中将)と大君姿の蛍兵部卿宮。
そして一番右端には、布袴姿の髭黒大将が座っています。濃紫の袍に藤色の指貫という重々しい色調の衣裳を纏った姿は、端に居ても堂々たる存在感があります。
写真:風俗博物館