信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

東日本大震災から3年

2014年03月12日 14時40分02秒 | Weblog
昨年の11日、東日本大震災2年目の記事を書いた。
丁度自分の誕生日に当たる追悼の日になってしまったため
おめでとうの言葉は宙にさ迷ったままだ。

昨年の記事を読み返してみるが、現地にボランティアとして貢献もしていないし
自分の生活が手一杯だったのでどこか心の奥深くでは復興支援には背を向けている罪悪感で1年を送ってきた。

けれど故郷の福島を思う気持ちは変化していない。
生まれた福島県は浜通り、中通り、会津地方との区分けで、
中通り地方は郡山以外目だった都市はなく、昭和20年代に生まれ育った自分は
いわきや会津にひけ目をずっと持っていた。
長年の名門進学校もいわきに集中していた。
原発のいわきは東京へ大量の電力を送り続け、漁港もあったので華やかだった。
子供ながら浜通りはお金持ちと言う意識を持っていた。

それが住民は故郷を追われ、フクシマという原発汚染地帯になり
世界的に悲惨な汚名を受けたまま将来の見通しもつかない地域になってしまった。
被災地の現場を実際に見ていないため、マスコミから情報を知るしかないが、
きっと状況はもっともっと想像を絶するのであろう。

2年目になり3年目になり、時間が経つのが早くなる一方、
震災の地域は広すぎて政府や民間の復興の手は風化していく危惧に恐れる。
自分に出来ることで震災の地に役に立ちたいという気持ちは年々、
何も出来ないジレンマに変わって行き風船のように膨らんでいくばかりだ。

さっぱり溶けない目の前に広がる雪景色にため息をつくこの3月である。

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