信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

餅つき大会に参加

2015年01月26日 18時11分57秒 | Weblog
日曜日、駒ヶ根のJICAで餅つき会があり参加した。
もう4,5年前になるが、丁度今頃の時期にムスメが西アフリカのブルキナフアッソに協力隊員として
赴任することになり訓練を受けていた。
語学はフランス語なので苦労していた。定期的にOB会が開かれているがムスメは帰国後結婚したので
参加の機会がなかった。
ところが今回丁度良い機会で餅つき会があり参加することになった。
OBの家族も可能で、一度卒業式に出たが駒ヶ根は近くなのでムスメとマゴと一緒に参加することになった。

4年も経つと世界の情勢もどんどん変化し、アフリカ、中東、も内戦が続き、今の協力隊員は
国によっては命の危険もありエボラ出血熱などと言う病気も発症しているし、随分と状況も変わった。

協力隊のOBは子供連れが多く国別,何次隊と名乗ればたちまち話が通じて共通の目的を持って
海外で働いてきた若者たちは交流が早い。

庭で蒸篭でもち米を蒸かし、臼で搗く餅つきは子供たちの幼稚園の時以来経験していない。

マゴは1歳1ヵ月になったが、沢山の子供たちに混じり、臆することもなくペッタンペッタン掛け声をかけて
搗いている中に入り込んでいく。
1歳くらいになると静かに家の中で遊んでいるより、賑やかに子供たちが大勢いる中に惹かれるのであろう。

一緒に餅つきの真似をして、搗いた餅をあんころ餅やきな粉餅にしたり、
おむすびや豚汁などと一緒にその後はご馳走になった。

通常であれば全く縁のない若い人たちや子供たち、これから海外に派遣されていく研修生たちや職員と
接し、寒い冬に引きこもりの生活をしているので久々に活力をもらった。
しかし何よりも一番満足したのは遊びまくったマゴであろう。
将来、僕も協力隊員になりたいなどと言うかもしれない。



子供たちは見知らぬ仲でもすぐに一緒に遊び始める



ほかほかのもち米はおいしそう



興味津々、手を出したくてうずうず



しょうがない、お母さんと一緒にぺったんこ



舞台ではOBと子供たちも一緒に大合唱




不思議な植物、断崖の女王

2015年01月19日 16時43分01秒 | Weblog
スキを見ては外へ出て犬の散歩をしなければと思うが、ついに夕方になってしまった。
ちらちらと小雪が舞い、風が無ければ思い切って出られるのだが、ドアーを開けた途端
駄目だ!と諦める。

原村から引っ越してきて、期待しながらの2年目の冬を過ごしているが、12月初めからの外の雪景色は
解消しない。
冬季うつ病になったのかと2匹のうちの1匹のお散歩いのちのミルキイがずっと毎日ビーズクッション
に伏せている。
中央林間、原村とあらゆる場所を散歩しまくったが、この雪には叶わない。
彼も歳か・・・と思ったが歯を磨かない犬は歯周病になり、下顎の歯はぐらぐら、歯並びも変わり
痛ましい。時々ぽろっと抜ける。
トリミングの時、11歳ですといったら未だいいほうですよと言われたが、入院して全身麻酔で
歯石を取ったもう1匹はお陰できれいな歯でいるが、腰椎ヘルニアであり動物の加齢は知識が人間の様には
働かない。

自分の頭の上のハエも追えないのに、動物までは隅々まで行き届かない。
せめてマゴは・・・・とムスメにそれとなくアドバイスするしかない。

夏の庭は花が咲き乱れていたが、今は雪景色で家の中も多肉植物しかない。
引越しの際、一緒に運んできたが、自然淘汰され、30鉢くらいになっている。
昨年は静かにベットで寝ていたマゴが今は休みなく室内を歩き回り、鉢植えは格好のかき回し対象となった。

多肉植物は目だない程度に成育し、いつみても同じような形だが、愛好家には微妙に変化がわかる。
そんななか、唯一今の時期室内で赤い花を咲かせているけなげな多肉がいる。



4年前に日本橋の歯医者へ定期検診に行った際、新宿のオダキューでユニークな形に惹かれて買ったのが
ブラジル原産の多肉植物の断崖の女王と言う名前のものだった。
2つ買ってもうひとつは歯医者さんへお土産にした。
毎年、春先になると芋のような根塊から茎が出て花を咲かせる。
茎も葉も白い毛に覆われ、赤い花を咲かせる。
ブラジル原産というので毎年生き延びられるか疑問だったが、昨年引っ越してきて芋が2個に
増え、外にほったらかしにしたにもかかわらず親も子も大きく育ちコドモの方が親を追い越し
茎を増やし花をしっかり付けた。
ブラジリアン・エーデルワイスという英名だ。

こんな寒い信州の真冬に枯れることもなく、忘れずに花を咲かせてくれるし、しかも、
コドモを増やしているではないか。
ユニークな植物は歯医者さんではその後どうしているか、気が弱いので聞くに聞けない。

しかし同じ愛好家がいるもので寒い一日にコミュニテイで発見。
お友達にしてもらった。
植え替えや肥料や育て方が愛着を持つとちゃらんぽらんで放って置いたこの3年間に悔いが出るが
この家に馴染んでくれた事が一番か。
今日もパン作りをしたがふわふわでももっちりし、発酵時間より温度が一番大事だったのがわかった。




20年が経った

2015年01月17日 20時54分25秒 | Weblog
今から20年前の朝の5時46分、阪神、淡路大震災が起きた。
この朝の事ははっきりと思い出す。
寒い朝だったが、家族の食事を作るので台所に立ち出勤の準備をしていた。
東京だが、これまでに経験のない強い地震だった。
子供たちは高校生だった。
あの時生まれた子供が成人式を迎えた。

20年という時間の重さと速さは生きていると次々と起きていく人災、天災に忘れられていく
が悲劇は繰り返さないために、遺族を想い今日は静かに考える日とした。

20年間の間に自分の人生も大きな転機を何度も迎え、乗り越えやっと今か・・・と思うと
もう先の生活も見通しもつかず老いを背負って世の中には役に立たなくなってしまった。

丁寧に家の中の掃除をしながら、お昼にパン作りを始めた。
これまで働いている時は気が向かなかったパン作りだが、時間を得てみると
料理や手芸、ガーデニング、野菜作りへと向かった。

ホームベーカリーに凝ったが伊那に越してきてから、手づくりパンを始めた。
パン作り教室に通う時間もなく自分で教本を読み、作り始めた。
作り方は著者により全部違い、出来上がったパンは思い通りに行かなかった。
こね方、発酵時間、室温、焼き時間、どれをとっても試行錯誤し相当訓練しなければならない。

作業に集中しながら、お昼過ぎのTBSのラジオで久米宏の久米なんですが、を聞いた。
テンポが速く日曜の夕方の久米書店の著者とのやり取りとこのラジオ番組での異業種の
職業のインタビューが知らない世界を覗き、知識が得られて面白い。

本日のゲストは新井紀子氏。
国立情報学研究所の教授。
一ツ橋大学在籍中にイリノイ大学へ留学し数学を専攻した。
本人は数学は一番苦手で計算が不得意なので嫌いだったというが数式が好きになった教授
から感化され留学したという。
結婚し育児もし、ロボットの開発をし、スーパーウーマンだ。
人工知能の開発をしているが本人はスマホも携帯も持たず、夫も数学の学者だが携帯も持っていない。
自宅では電子レンジも嫌いで機械に命令されるのは大嫌いなのでボタンを押して
お知らせする家電は使わないと不思議な夫婦だ。

20年前の違いを述べていたが今の世の中人工知能のお陰で商品開発、も証券マンも営業マンも
仕事の領域を取って代わってしまった。
通販も顧客のバックグラウンドは全て情報化され次にお買い上げ可能な商品まで示されてしまう。

アメリカでは入試の時の小論文の採点はロボットが行うという。
数をこなすには人は疲労が伴うし、個人の経験や感情などが微妙に採点に反映されないからだそうだ。
などなど、驚きながらパン作りをした。

将来、ロボットが東大を受験して合格するかの検証を重ねているという著書が紹介された。
そういえばあらゆる分野で人間の手作業を離れた職業もあり、20年前の携帯電話やパソコン
の進化は陰で研究を続けているお陰なのだ。

人間しか出来ないこと、これからも続く災害現場の復興は果てしなく時間が必要だが
戦争と同じく忘れて風化せず心の中に残し続けたい。

出来上がったテーブルロールはこれまで作ったパンより柔らかく、初めてかみ締めた味が
満足できるものになった。少し表面がプツプツだが良しとしよう。
人間だから同じものがこれからも出来るかどうか自信はない。



毎日Auショップへ通う

2015年01月15日 13時38分27秒 | Weblog
今日は全国的な大荒れの空模様だが昨夜遅くの予報では伊那南部は
曇りになっていたので安心して休んだ。
ところが今は雪が降り続き、明るく白銀の景色となり、終日降り続くのであろう。
足止めを食ってしまい、昨日マゴを連れて暖かい陽射しを感謝しながら散歩した
のが夢か幻かとなった。

やっと黒土が出て喜ばしいが、どうして、昨年の2月の大雪を振り返れば、本格的な雪掻きシーズンは
これからやって来るのであろう。

昨年から時々不具合になっていたスマホが今週初めに電池パックを入れなおし、電源を入れなおし
再起動をしても固まってしまい自分で直すレベルではなくなった。
伊那に移住を決めて引越しする前に固定電話も移動することで、携帯と固定電話のセットで
NTTからAuに切り替えた。
ガラケーもデザインが少なくスマホに切り替えた。

引越し荷物を作りながら取り扱い方を覚えるのに、相当時間を使ってしまった。
取扱説明書は紙ベースからネットでインストールしていちいちページを開かねばならない。
非常に面倒だ。
そうこうしている内に引越しとマゴの誕生がやって来てスマホは通話しか使わない。
PCとタブレットがあるので用は足りる。
しかし人間欲が出るもので、スマホは用無しにする訳にもいかず様々なアプリを取り込み
少しは便利だと思うようになった。

だが、1年が経たないうちに時々言うことを聞かなくなって来て勝手にメールを書いている途中に
クルクルとスクロールしたり、固まったり、何じゃ?と思うと仕方なしにショップへ出かける。
問題ありませんとにこやかにあちこちいじり、店員は返してくれる。
変になったら電源を切って再起動してくださいとか言われるが、もう手に負えないというのが
お正月だった。
今回は不具合を強調して訴えショップに持ち込んだところ、担当者ももう直りませんと
故障で交換機種に手続きをしてくれた。
2日間で交換機種を自宅に宅配しますといわれ、えぇ~不自由だなと思いながら
固定電話があるからまだましだ。

翌日の朝宅配便が届き、交換機種が手渡された。
2日かかるのが翌朝には届き、Auすばらしい働き!と評価を上げた。
中には取り扱いの説明書が入っており、サービスセンターへ電話して起動の仕方を聞いた。
設定完了し、ホーム画面を元に戻し一応必要なアプリも取り込み、安心して
朝から3時ごろまで予定外の時間を使ったことを悔やみながら夕方、画面を開こうとしたら
ロックがかかり動かない。
暗証番号も役に立たない。
又決心してショップへ出かけた。

交換した新しい機種が使わないうちに修理品となってしまった。
納得がいかないといっても2週間かかるという修理に廻され代替機を借りて帰宅した。
代替機は何と優秀なのだろう。
絶対に機種交換したくなるほど便利に瞬時に用を足してくれる。
伊那に越してから何度も不具合で店に通って負い目を感じていたので、ちなみに
私のように何度も来るお客はいないでしょうと聞いたら、いえいえそんなことありませんと笑われたが
絶対ブラックリストに上がっているに違いないと思っていた。
(妄想か思い過ごしであればよいが、)
代替機を借りて帰宅してから充電機を借りるのを忘れた・・・・

翌日3日間毎日ショップへ顔を出し、今月末まで帰ってこないスマホのために相当時間を
使ってしまったことを想う。
便利なモノは若い脳と違い使いこなすまで時間もかかり、おまけにIT系には疎いので
家電と違い納得いくまで説明書を読む機会もなくなりこんなざまだ。

代替機を便利に使ってしまったら自分のスマホが帰ってきたら、多分腰が引くかもしれない。
文明の利器は便利さと諸刃の剣だ。
携帯のなかった時代の自分の時間の使い方が余裕があり懐かしい。

思えば、携帯を持ったのは20年前の阪神、淡路の震災の前からだ。
3月のオウムのサリン事件の際は自分用と会社用と
2台の携帯を持ち吹っ飛びまわった。
直ぐに電池容量がなくなり上長から追加で会社用を持たされた。

地下鉄サリン事件で出勤時被害を受け、聖路加と墨東病院へ目が見えなくなった社員35人をピストンで運び
当時は病名もわからず、診察後は全員入院となった。
翌日から休日返上で自分の生活も思い出せないほど働きまくった。
長かった自分の職業生活での最も辛かった経験だが、あの頃に比べると故障は抜きに通信技術は雲泥の進化だ。



反省と模索

2015年01月08日 22時10分56秒 | Weblog
昨年の年末から早や、1月も中旬となる。
地方ではこの11日あたりはどんど焼きといってお正月のしめ飾り、昨年1年のだるまやまゆだまなど
を広場で焼き上げる行事がある。そうこうしているうちに、成人の日や節分などが続く。

本当に寒いのはこれからで小寒、大寒と暦を追って大雪が何回か降るのを耐え忍ばねばならない。
お正月が過ぎ、客も引き、元どうりに生活が戻ってきたが、何だか気が乗らないない毎日が続いた。
マゴも預かり、成長が目覚しくああ、昨年の今頃は静かに寝ていたっけ、息をしているか心配したなど
と思い出す。
1年後にはかんしゃくを起こし、物を投げ、とんがったものを手に持ちたがり、外を手を引かれずに
一人で歩きたがり、こうも自我がどんどん発達するものかと自分の子育てとの違いを嘆く毎日だ。

伊那へ引っ越して1年余経った。新しい土地に慣れるためと広すぎる庭の土地利用に、頭を絞るより
先に体をこき使い、多分能力を開発することより時間に追われ、マゴと野菜作りとで
自分がとても有効にこの土地に馴染んでいると思い込んでいた。

思い返せば怪我が多く、筋肉痛と常に一緒で体は悲鳴を上げていた。
頭脳労働から退職とともに肉体労働に変身し、生活が一変したので怪我も増えたのであろう。
夏の終わりごろには犬がヘルニアになり入院手術をして回復途中に再発。
そして自分も外出先で追突され車は修理に出され1ヶ月間不自由をした。
27年間も運転暦があるのに急激な運転の怖さに捕われ、犬の介護とマゴの保育があるので
元気を装い年末となった。
年末にはムスメ一家やムスコ達と賑やかにお正月まで過ごし無事1年を送った感謝をして
穏やかな今年を臨んだ。

ところがどうだろう、腑抜け状態で心が実は虚ろになっているではないか。
今年の目標や何かやってみようなどといつものように思い浮かばない。

お正月の1週間を過ごし、何だろうと考えた。
多分・・・・・考えられるのは長年、夢と思っていた我が家を手に入れるが現実になった。
夢が無くなった。

現実は忙しく、しかも思った以上に経済的にも厳しさを味わった。
調子に乗って色々やり過ぎたのだと反省がやって来た。

ああ、おいらは疲れたのかと風船がしぼんでいく感じだ。
このまま行ったら腑抜けになり、認知症に片足を突っ込みかねない。

今日は意を決して遅い初詣に出かけた。
昨年の破魔矢をお返しして、厄除けにしようか、交通安全の祈願にしようかと考えて
さて、とカーナビをセットするのにはっとした。
駒ヶ根の地名が出てこない、光前寺の名前が出てこない。
これは大いにまずい。頭の中が考えても空白になった。
1ヵ月ぶりに修理して戻ってきた車で又事故になりたくない恐怖感もあり、
相当自分を前に押し出せなければ一気に老け込む恐れあり。

早太郎の犬の形のおみくじを引くが、おなかの中から出てきた中身は果たして、吉か凶か。
内心どきどきしながら、開いたら、最後に大吉の文字が。
大吉は人生初めて引き当てた。
悪いのは信じないが、これは今年の元気付けのための神様のお年玉かなと心の奥が
ぽっと明るくなった。



 

今年の自分をどう過ごすか光前寺の早太郎犬の像をなでながら、模索する事にした。
お寺の背後の千畳敷カールの宝剣岳が白く輝いて秋に登ったのが本当かと思うほどだ。