信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

最後の年末休暇

2012年12月29日 21時33分11秒 | Weblog
  
 



仕事納の午後ににわかに晴れていた空が雪雲になり、雪が降り始めてきた。
勤務が終了してから病院の納会となるがそれを待っていては自宅まで帰れるか心配になった。

果たしてお先に、と先に出てきたが雪で渋滞になり家まで2時間もかかった。
夜のうちに雪は積もり、年末の休暇のはじまりは雪掻きから始まった。
思いもよらぬ水を含んだ重たい雪で、いきなりの雪掻きは重労働になった。
気温が上がり、太陽が出て、仕事ははかどった。 
大家さんの家の玄関先まできれいに雪を掻いたが、65歳の老女は雪国には及ばないが
負担は大きいと心に思った。

同じ年代に比べれば自分は健康だと自信過剰になっていた。
大きな勘違いである。

ところがどっこい!
昨年末のブログを読むと、やはり顔にはヘルペスが出来ており、これで3年連続の恒例となった。
冬は寒すぎて免疫力がなくなるためであろう。
更に…昨年から、骨粗鬆症の薬が効果が出ず、別な薬に変更して飲み続けた。
その効果が楽しみに先週、骨密度の写真を撮ったら
全く改善しておらず、今度は股関節の骨密度が下降していた。

ガックリ…

信州大学から送られてきた若い医師は、効き目がなかったから薬を変えましょうと別な薬の処方がなされた。
退職したら運動せねば、中から老化が進んでしまうではないか。
食事では効き目はないそうである。
本当は雪掻きは禁止になった。

           

大掃除や洗濯をして犬を連れ出して近くの運動公園に行った。
毎年雪が降るとこの場所で犬の写真を撮る。

        

今年は犬たちも歳をとったのか以前ほどはしゃぎ回ることもなく
シズシスと歩き回るだけで面白くない。
眩しい雪景色の中で少しでも外に出ると気持が清々しくなり、まえ向きになれる。
明日からお正月の準備だ。
子供たちが帰ってくる、料理のメニューを考えて買い物に出かけねばならない。
皆で原村で過ごす最後の年になる。
南アルプスの甲斐駒ケ岳は逆光だけど凛とした姿で青空の中にそびえていた。

  



来年の大河ドラマは福島県で

2012年12月24日 11時41分21秒 | Weblog
NHKの大河ドラマは八重の桜という。
新島八重が主人公で、今年平清盛から1年離れた日曜の夜が楽しみになった。

都会へ出てから長いこと福島弁と、自分の言葉の訛りを指摘されたり馬鹿にされたりしながら
福島生まれに背中を向けてきた。
東京と神奈川県と信州での生活の方が何倍も長くなった。
それでも東北の震災と原発の事故以来、福島生まれにスーッと戻って行った。
今度の大河ドラマの舞台は会津若松と白河、京都となるがああやっと縁が深いことになったと思う。

亡くなった母のルーツは会津若松、戊辰戦争の場でもあり、まだ女子の教育が一般的でなかった時代に
福島女子師範を卒業して故郷の会津の小学校で教員となった。
その地で知り合った同じ教員の父と恋愛し、一人息子の父は一人娘の母の家に婿養子になった。
この当時の家を捨てることは勘当同然だったそうで、その後台湾へ夫婦で行った。
母は3人姉妹のため、養女に出され家を継ぎ、婿養子を取った。今ではありえない話である。
一人息子の弟は24歳で空軍の特攻隊でミッドウエイの爆撃で航空母艦に突撃して戦死した。

戦争前、台湾では自分の姉夫婦の造船所会社で裕福な暮らしをしたが、終戦で何もかも失い
夫の実家に身を寄せた。
なんと数奇な運命の人だったのだろう。
転々と生活の場を変え、強い人と子供の時は母が怖かった。
自分にその血が譲られているとは思えないが、転々と引越しを知ってきたことはおんなじだ。
来年伊那に引越しをすれば、人生これまでの中で13回目だ。

会津で養女になって家を継ぎ、最後は千葉で亡くなったが、大正時代に生まれた母と明治の父の
断片的な思い出はもう皆無に等しい。
自分ももう65歳になった。
時代はどんどん過ぎ去り、祖父や祖母の思い出は私の子供たちにはわずか点しか残らない。

来年の会津のドラマの舞台と、自分の通った高校の白河の悲劇の戊辰戦争の地は
福島弁オンパレードでもあり、何かを考えさせてくれるかもしれない。


農家の台所

2012年12月23日 23時52分27秒 | Weblog
みいつけた~。

月間300万アクセス超、大人気ブログが書籍化したという料理本を
本屋さんで見つけた。
月間300万?
なんですって!


   

私のブログでは月間の数すら何10年たっても追いつけず、後期高齢者に至ってもまだまだ追いつけない。

すごいオバケ人気ブログではないか。
京都でハードスケジュールをこなす会社員が、山間部で農家を始めて10年とか。
10分で作れる野菜おかず、農家の秘伝143レシピとある。
詳しく中を見ていくと、週末園芸家の自分でも作っている野菜は共通で
その野菜を使ったレシピは非常にみじかに感じる。
しかも簡単にパパっと作れる、好みも似ており、スピーデイで、手が出る。
最近は栗原はるみに傾倒していたが、もっと親近感を感じる。
 
ああ来年は300坪の土地に雑草に悩まされながら、野菜作りをどの程度に収めればよいか
がテーマだが
この本を見ていくと何だか野菜が愛しく思えてきたではないか。

40年以上文通を続けている福島の高校時代の同級生から、福島のお米と
自分の畑で作った野菜で漬物を作ったのが送られてきた。

  

今日大掃除の傍ら、柚子の皮のジャムと鞍掛豆の煮豆をストーブの上にのせて作ってみた。
歳をとったらこんな食べ物が上等だと思えるようになった。
東京のど真ん中、日本橋で20年もかたひじはって 仕事をしていた自分はもういない。

  

いきなり雪の朝

2012年12月23日 23時06分50秒 | Weblog
予報では週末雪が降るような向きであった。
ああ嬉しい、明日から3連休、夜中に起きたら月が出ておりかなり明るい。
油断していた…・
土曜日の朝、別な明るさで外を覗き見たらぎょえー雪が積もっている。
12月に入って何度目だろう。
もう庭の雪も解けないうちに根雪になってしまった。
ムスメから電話が入り原村は大丈夫?

というのも今日は大事な土地購入の長野県へ提出する申請書を、不動産屋へ出向かねばならない。
雪道で夕方である。
強力な冬タイヤに取り替えたばかりの安心感が強みで、高速を飛ばしていった。
意外に一般道より高速道路の方が整備されており、雪も残っておらず走りが良い。
只、笹子トンネル事件以来、トンネルが怖く頭をすくめてドキドキしながら大急ぎで
通過する。
トンネルは伊那まで行くのに4ヵ所くらい通過するが、なぜかトンネルの中の方が
スピードを出すようになってしまった。
しかも必ずちらりとトンネルに入ると上を見る。
このスピードでは上から落ちてきたら間に合わないだろうなどと必ず考える。
往復でこの心境になるから、運転者は皆同じような心境になっているのかもしれない。

夕方暗くなるのも早く、ムスメと落ち合い、不動産屋に出向いた。
5枚か6枚の書類に実印を押し、もう後には引けないと思っていた。

この書類は長野県の認可が降りて3月の早いほうか遅いほうで1年かかって
自分の土地になる。
実印を数枚の書類に押す作業は非常に気持ちが張り詰める事であり、
道路が凍り始めるからと大急ぎで又高速道路を突っ走って原村へ戻ってきた。
自分ではそれほどでもないと思っていたが、炬燵で夕ご飯の後眠ってしまっていた。
遠くで小椋佳がテレビの彼方で歌っているので目が覚めた。

やれやれ、土地を購入し、家を建てるためにこの1年間は何度も伊那まで行ったり来たり
しながら打ち合わせに時間を使って来た。
12月に入ってから毎週のように週末は建築会社とも打ち合わせが続いている。

65歳の高齢者が女ひとり生きていくのも働きながらきついものである。
自分の面倒は自分で見なければならない。
おひとり様の今後は何が待っているかわからないが
もうしばらく東奔西走はこれからもまだまだ続くのであろう。

寒さ緩む

2012年12月15日 23時31分38秒 | Weblog
丁度1週間たった今日、マイナス8度まで続いていた気温が戻ってきた。
1月下旬の気温はゆっくりと体に慣れて行けば諦めもつくが一気にストーンと落ちたままだから
気持ちが伴わない。
雪景色の雪が解けないまま今に至っている。
幹線道路は綺麗だが、庭はコンクリート状態に固まっている。

しかし寒かった…
ストーブは壊れたか、劣化したかと思うほど温まらず、家に帰って寝る頃にやっと部屋も温まった。
末端冷え性になり足の先の感覚がなくなり、朝の支度でバタバタ動き回ると余計足先が冷たくなった。

おかしいな?
もうこの原村に越してきて6年目を迎えるというのに絶対自分が弱くなったのだと思い込んだ。
ああこんな弱虫ではこの先どうしたら良いのだろうと秘かにおびえた。

ところがどうだろう。今朝は気温が違う。
温度計は4度ですって。
このぬくもりはマイナスを脱したからだ。
多分雪になっているであろうが今日は雨の一日になった。
分厚いダウンコートが手放せなくなり、着膨れもいいところだが、格好などお構いなし。
寒くなければいいのだ。
首筋から冷たい空気が入ってきても許せないので、きっちり襟元を隠し通した。
ダウンに足もとはブーツ。
着膨れて職場では薄い半袖のユニフォーム。
体の気温調節能力は大分能力が落ちた。
毛皮のコートの修理を頼んでいたのが出来上がり、小淵沢のアウトレットへ出かけてきた。
いつもならボーナスシーズンでもあり、この時期はアウトレットは超混み合うのだが、笹子トンネルの事故の影響か
日中でもあれっと思うほど客は多くなかった。
原村より小淵沢は気温が高いので、毛皮の引き取りは嬉しくもなかった。
まだ当分必要になりそうもないと思うのは油断か。
この激しい気温差はこの先の予測は自信がなくなった。

犬たちはお正月向けにトリミングへ行き、きれいにカットされてスッキリした。
髪飾りも付けてもらい、一足先に外見は落ち着いた。
明日はまた、伊那へ建築打ち合わせに出かける。
もう大体の間取りは決まり、だんだん細かい内装に移ってきた。
この寒さの我慢も今冬限りとなるのであろうと思うと少し複雑な気分にもなる。

パワーダウン

2012年12月08日 13時30分23秒 | Weblog
神奈川から戻って2週間経った。
体の整体をしてもらって体の痛みから開放されて一日一日、
ああ何だか効いているじゃないと確認していた。
ところが2週間が経たないうちにインフルエンザの接種をし、体調不良を感じた。
そして夜忘年会のある朝、唇にヘルペスができているのを発見。

2年ぶりかな?
もうこれでしばらくお世話にならないで済んでいると安心した矢先。
熱っぽいし食欲失い気持はぐうたらの変な日が続いたあとだ。

何とか時間をやり繰りし夕方皮膚科に駆け込んだ。
いつもの医師は顔を見るなりすぐに診断し念には念を入れ顕微鏡で細胞を検査した。
最近、疲れることありませんでしたか?と聞かれずっとこの1ヵ月いろいろ続きましたのやりとりの後
休めとは言いませんが安静にと。
長い人生、ヘルペスができるには縁がなかったが自分の場合大体冬の12月や1月に発症する。
それも信州へ来てからのことで、多分冬の寒さから免疫力を失ってのことであろうと自己判断する。

仕方がない、夜の忘年会は処方された抗生剤を飲み出席し、楽しんで一足先に退出した。
駐車場を出た8時半過ぎ、前輪のタイヤがパンク。
広い道路までよろよろ車を移動し、無理かな?この時間ではとホンダのディラーに電話した。
運の良さとはこのことだろう。
それからは1時間くらいで車のキャリートラックで店長とディラーが迎えに来てくれた。

店が閉まった直後だったが連絡がついたのだ。
冬タイヤに取り替えて今冬は安心だと思っていたのにパンクとは。
結局、今年新タイヤに4本取り替えるか、来年新タイヤに5本取り替えるかの選択になり
熟慮した結果、もう今回取り替えます~となった。
運の良さはまだ続く
タイヤの取り寄せに数日掛かるがその間台車で通勤せねばならない。
在庫を調べたら今年の新タイヤが4本あった。という。
既に片付け始めたピットで整備士4人全員ですぐにタイヤの取り付けを行って
家に帰れることになった。
帰宅した頃は夜中の12時近く。
感謝感謝の数時間であった。
いざというときに、スタッフ全員で対応してくれて危機を脱出した。
諏訪のあまり知らない場所で夜人気のない駐車場でパンクしたが、助けてくれてパニックにならずに済んだ。
既に日中ヘルペス発症で免疫力は底付きで、そのあと更に残ったものを使い果たした。
そして、新冬タイヤで安心度100%で出勤し、その夜雪が降り始め、朝起きたら雪景色になっていた。
運の悪さが転じて運が良いわとなったこの2日間であった。

   

やっぱり12月はせわしない

2012年12月05日 22時35分21秒 | Weblog
空気が違ってきた。
朝ベッドの中で息を吸うときに冬だ!と心から感じるようになった。
まだまだこの辺では…と思っていたのも束の間。
真冬に突入は誠に早かった。

毎朝通勤の時のコートの使い分けもさっと選ばねばならない。
ダウンや毛皮、を数少ないながらもその朝の気温で選んでいく。
ダウンも年数を減ると暖かさが変わってくる。
空気をまとうというか、ふんわりとした暖かさが針で指すような寒さから
守ってくれる。
朝起きて雨戸を開けると外はまだ真っ暗である。
夏の清々しさは夢を見ていたようでこの暗さは夜明けの時間が1月まで遅くなっていくばかりで
まちどおしい。
室内温度がマイナスになってきたので炬燵に入っていても足以外はしんしんと寒さを覚える。早くももう12月の第1週が過ぎていく。
年賀状、室内外の掃除、年末年始の料理のメニューを決める、など仕事が待っていて棚上げ中だ。
来週は建築の段取りで下水の相談に伊那まで出かけねばならない。
そうこう考えたら12月って短いではないか。
一人暮らしなのになんで忙しいという言葉を出さねばならんのか
これは多分性分だろう。

さあこれからお風呂に入って今凝っている炭酸水でのシャンプーをやってスッキリしてみよう。


笹子トンネル事故

2012年12月02日 23時00分50秒 | Weblog
今朝9時過ぎ、ムスメからの電話が入った 
1昨日から東京へ出かけており、今日は新宿から中央道を高速バスで伊那まで戻るつもりでいたが
ニュースで不通になっているのを聞いた。
どの程度かも分からず、不通なので電車で帰ることを考え、電車の乗り換えをネットで調べて欲しいという。
大変なことになっているのをテレビをつけてこちらも知った。
それから、ムスコにも電話して手わけでJRでの乗り換えを調べメールで送信した。

今、午後11時過ぎだがまだ事故の救出作業は続いている。
ムスメは夕方振替輸送で国道20号線経由で伊那までたどり着いたと連絡が来た。
危うかった。

先週、私も中央道を往復した。
夜中の12時過ぎに笹子トンネルの中をムスコの車の中でうつらうつらしながら通過した。
まさか1週間後にこんな死者が出る大事故が起きるとは…背筋がゾッとする。
暗いトンネルは前方だけをひたすら見つめ、追い越しの車に注意をし上方に気をを取られることは全くない。
笹子トンネルは長い長い距離だし、休日は勝沼から談合坂まで渋滞尽くめだし、、中央道は抜け道がなく
道路自体も老朽化したのか、そのツケが回ってきたのかもしれない。

師走に入る

2012年12月02日 17時21分00秒 | Weblog
すっかり冬になってしまえば腹も据わるのだが、冬に差し掛かる時期はどこか太陽が遠くなった心細さがある。
と、今朝の天声人語の文章がみじかに感じた。少しずつ秋の気配から抜け出して、肌が気温に少しずつ慣れていく。
一気に寒くなれば問題はないが、まだら模様に気温の変化はやってきて、寒い朝は気合を入れて出勤の準備をし
フロントガラスの霜取りをして温度差3度の諏訪湖まで運転する。
職場は年中半袖の白衣だが勤務を終えて着替えするのが体の熱が奪われるようで勿体なく感じる。


夕暮れはどんどん早くなり、4時半を過ぎると真っ暗になる。
冬至までの後1ヵ月が、暗さに対しての辛抱の時期だ。
帰宅しての犬の散歩も閉じ込められていて可哀想だからと、懐中電灯をつけて暗い近所の道路を歩き回る。
信州へ来て5年を過ぎ、この冬の寒さには気持ちよりも体の体感温度の方が馴染んでしまった。
先週、神奈川に出掛けていったが、お天気も良かったせいもあり暖かい気温に汗をかく始末。
反対に、原村へ戻ってきたときにムスコがうわー寒い!というのを聞いて、ええーそんなことないよ
と言っている自分に信州人になってしまったと思った。

昨日は太陽が出ているすきに洗濯をして、気持ちの良い休日だと気分良く家事をこなしていたら
いきなり雪が降ってきて洗濯物を取り込むまもなく雪は積もっていった。
この手のスピードにはついていけない。
気分を持ち直して夕方から本屋に出かけカレンダーをいくつか物色し、栗原はるみの季刊雑誌を買い求め
すっかり暗くなった夜道を戻りいつもの温泉に寄った。

なんだろう?
たっぷりと2日間も休みの時間があったはずなのに、暇なく働いてもまだやり残しがいくつもある。
季節作業の友人たちへのシクラメンの発送も園芸農家へ発送票を届けていない。
夕方、別な友人達にはりんごを発送してきた。
冷蔵庫のような寒さの中、犬にせがまれ田んぼ道を散歩してきたが向かいの南アルプスの
駒ケ岳方面は雪が降っているようで白く霞んでいる。
冬時間は昼間の時間が短く、夏の太陽の高さと異なって仕事に追われて急かされるばかりである。

効果抜群

2012年12月02日 00時25分21秒 | Weblog
日経ヘルスの記事で読んだ炭酸水での洗顔と洗髪について

今日は昼ごろ晴れていた空がいきなり黒い雲に覆われて雪が降り始めてきた。
気温も下がり、夕方温まりたく、温泉に行く。
スーパーで炭酸水を買い、温泉でまず、体を十分に暖めたあとシャンプーを始める。
炭酸水で頭の地肌をマッサージしながら最後にシャンプーをする。

週末の夕方なのに温泉はいつになく空いており、露天風呂は貸切状態になった。
炭酸水でのシャンプーなど初めてで、慣れないながらシュワシュワ.。o○ ○o。.でマッサージを行う。

ドライヤーの時に気がついた。
髪がいつもと違ってまとまりやすく毛先がはねない。髪も柔らかい。フワフワと根元から立ち上がる。
何より感じるのはドライヤーしているときになんとなくシャンプーしても油臭いのをかすかに感じるのだが
それがない。
温泉に行き脱衣所に入ると何となくプンとドライヤーの音と共に油臭いのをいつも感じるが
炭酸水はその地肌の脂を取ってくれるのだそうだ。
3日に1度くらい行こなうと髪の地肌の集まっていた脂が取れて髪が健康になるという。
確かに、確かにまだ1回目だがそのように感じる。

体のバランス

2012年12月01日 23時44分31秒 | Weblog
11月24日元住まいの中央林間の眼科へ予約を取りバスで出かけた。
目的は先月結膜炎で受診した際、緑内障の疑いで視野検査が必要となったためで
予約を取った。
日野バス停でムスコにピックアップしてもらい、検査に出向く。
眼底検査もあるので瞳孔を開き、しばらくの時間その後は眩しく文字も焦点が合わなくなるので
車に乗ることができない。
視力検査に始まり、視野検査、眼底検査、と次々に検査を行い最後に診察となった。
思わぬ方向に診断がされ、新たに網膜の黄斑部の断層撮影も加わり、結果は緑内障の可能性は無くなり
加齢黄斑変性症の疑いで2ヵ月後に再検査となった。
最近50代以降に急増している視力を失う黄斑部の病気である。
自分には関係ないと思いながら時々その手の記事を読んだりすると片目をつぶって交互に
四角いマス目を歪んだりして見えないかとちぇっくしたりしていた。
 
長年目の診察を受けている医師からその手の話をされると妙に信頼してウソだ~とは思うことができない。
少し落ち込んだ。というのも、緑内障ではないと断定されたから…

その夜は息子に送られて1時過ぎの真夜中に原村へ戻ってきた。
翌日はゆっくり寝ているまもなく、娘と息子と一緒に大泉の友人宅に夕食がてらお泊りしながら
お呼ばれした。
まあなんと林の中のおウチでストーブの暖で全身、家中柔らかい心地よい暖かさに包まれながら
4人で6時間もしゃべりにしゃべって1時近く布団に潜り込んだ。
翌朝ムスメと私は出勤のため朝5時に起きて原村へ向かった。
それから1週間、気温はマイナス5度に下がり、雪は2回降り、寒さに気分が安定しないまま
職場は色々トラブルがあちこちで発生した。
事務職も医療職も毎日トラブル対策にミーテイングが続く。
疲れたなんて甘ったるいことを言っている暇も無く、その日の業務をこなすのがやっとで
週末を迎えた。

ムスコの家に行ったときに最近の体のコリが頭痛まで及び、折角来たんだからマッサージをしてもらって
帰ろうと夕方、南町田のグランベリーモールにある整体サロンに行った。
体中の痛みとこりは背骨のねじれと骨盤の歪みから来ていると、背骨と骨盤の矯正をしてもらった。
翌日から忙しいストレスフルの仕事をしてきたが、痛みが取れて楽になった体となったためのり切れたものと思われる。
60を半分もすぎると見えないところで徐々に体には加齢現象がへばりつき、年だからという気持ちを返上して
毎日元気を装って働いていた。
このすっきり感はなんだろう?
眼瞼下垂の手術をして1年はもった。
しかしいつしか肩こり首凝りは体にへばりついたまま、同居し続けた。
体の歪みは背骨に現れる。
とほほほ・・・・