今回のシカゴへの旅行は、滞在期間も短いため息子夫婦が計画を立てていて、毎日良く出かけた。
明日は日本へ帰るという最後の日は予備日として市内のスーパーめぐりをした。
といっても到着したその日は時差ぼけにもかかわらず、近くだからと言って、息子夫婦は私と娘をイケアに案内してくれた。
昨日降った大雪も雨が降って解けて、駐車場は車で一杯、年末の店内は様々な人種で溢れていた。
カナダの時は夏であったから短パン、タンクトップの観光客で大半白人であった。
ところがイケアのお店では初めて見る超メタボがいたるところ、子供も大人も黒人も、白人もまずその太さに驚いた。
今まで仕事柄、特定健診と称してメタボ対策で体脂肪25%以上の人を減量させねばと指導していたが、このアメリカ人の体格と来たら・・・・長野のデブは可愛いもの。
その差は牛とねずみのような感覚だから、自分自身もすれ違う時は小さくて小学生のようなものだ。
話がそれたが、スーパーにも違いがあり、日本で言えば紀伊国屋のような高級スーパーや、日本人向けのミツワという店もあった。
日本食を買いにミツワに行ったが、一歩入ったら、そこは日本のスーパー以上に、品が溢れ、風に吹かれてジョニーの男前豆腐まであるではないか。
年末だからお供え餅や、おせち料理も山のように陳列されて、広い店内は日本国内から集められた品々が揃っているので、多分品数はこちらのほうが多いと思う。
納豆など、女性専用まであり、何で女性専用?と考えてしまった。
一見便利で買いたくなるが、ところがどっこい、落とし穴がある。
ドルを円に換算し、消費税を加えると、日本の価格の約、2倍くらいになる。
調子に乗って買っていると家計費は破綻するであろう。
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店内には、本屋の有隣堂もあり、日本と同じ書籍や雑誌が並んでいるがこれも日本価格の2倍くらいの値段になる。どうしてもこれが無ければやっていけないとか、
急いで手に入れたいとか、特別な理由があればの事でなければ高い本は買う気にはなれない。
3日目に郊外のアウトレットに連れて行ってもらったが、こちらは日本の御殿場のような規模の店が並んでいる。
一流ブランドの店は大混雑で、コーチのバッグ店は幾つもバッグを抱えたたくましい女性が並び、その列に入る勇気も無くそそくさと出てきた。
アメリカのブランドのバッグの店で、最初にきれいな色の赤いバッグが気に入り、帰りにまだその気が残っていたら買って帰ろうと一周して廻った。
そして帰りに疲れ果て、あまりにも大量の洋服や雑貨、バッグや靴などを見て廻ったら、何が欲しいのか判らなくなり、低血糖になり気分が悪いヨメとシュウトメは
アイスクリームを食べて気分を持ち直した。
そしてやっぱり、赤いバッグは買って帰ろうと決めたところ、さっとそのバッグを奪って息子が会計を済ませた。
母親へのプレゼントだと言い、嬉しいやら申し訳ないやら、あの幼かった息子が母親にプレゼントを買ってくれるくらい成長したと胸が詰まった。
毎日食卓は日本食で、お肉を食べにレストランに行こうというものは誰もおらず、一度だけ、折角来たのだからシカゴピザを食べようと、ピザ屋さんへ入った。
厚いピザの生地とトッピングがこんもりと乗り、4人で食べきれずに残して持ち帰る羽目になった。
毎日何件かのスーパーに案内してもらい、ツアーで来たら多分経験できないであろうスーパー巡りや、ショッピングモールでの買い物に大晦日には閉店まで歩き回り大満足した。
かくして12月27日にやって来てシカゴでの日々は時差ぼけもありながらどんどん過ぎて行き、年を越し1月1日の10時半過ぎ再びシカゴのオヘア空港の、今度は第5ターミナルから息子夫婦とムスメに見送られて日本へ帰ってきた。
半年前のバンクーバーでのムスメとの別れの時はその後ずっと機内で泣いていたが、今回は1ヵ月後に息子夫婦が1時帰国で帰ってくるのでやや気分は軽かった。
帰りは13時間の飛行時間であったが、斜め傍の席では幼児が泣きっぱなしであり、となりの座席ではゆうに150キロくらいある黒人夫婦が離陸と同時にキルトをかけて寝てしまい、そのいびきの音のすごさに眠るわけには行かず、ついに機内での映画を5本も見てしまった。
行きは竹中直人で気分が悪くなったが帰りは、話題の送り人、ハッピーフライト、最後の初恋、コットンクラブ、イーグルアイと立て続けに見た。
納棺師の映画では、送ったばかりの母親を思い出し、ハッピーフライトでは飛行機を飛ばせるための空港で働く沢山の職業人が内容で、ディスパッチャーという息子の仕事がどのようなものか、この映画でよくわかった。
24年も前に見たコットンクラブはリチャード ギアが何と若くてハンサムだったか、それが最後の初恋では、競演のダイアンレインと共に素敵な中年になり24年という歳月のなかで美しい年の取り方を見せてくれた。
いずれも胸の中に落ちる映画を見て今回の旅行は最初から最後まで意味深いものになり、短期間であったにもかかわらず、その日その日を充分満足し楽しみ、学習し大切な思い出に変わって行ったなと成田に到着した時に感じていた。
あまり好きでないと、偏見を持っていたアメリカ、は広かった。
息子夫婦よ、本当にお世話になりました。