信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

短い秋の日に

2015年10月27日 15時30分30秒 | Weblog
ムスメがコドモを連れて数日東京方面へ泊りがけで出かけた。
それでは、普段たまった仕事を段取りをつけて要領よく片付けようと勇み足で
取り掛かった。

デッキはまだ、コキアに占領されているが、今年の夏の日差しで夏の初めに塗ったペンキも
色が褪せ、冬の雪にやられるから、木材保護材という塗料を買ってきて日差しが強い日中、
臭いにむせりながら2日間で塗り終わった。
水分をはじくので今年の冬の雪にはずっと安心できるかもしれない。

それからは庭の野菜や草花を取り除き、焼き払い、4時半になると日没になるまで内心
焦りながら作業する。
今月のバラ園のボランテイア活動はバラ園の修復作業でお休みになり、代わりにごくろうさん会で
昼食をバラ園内で食べる。

バラ園のすぐそばに、マレットゴルフ場があり、知らなかったが、36ホールもの広さで
お弁当を食べる前に、マレットゴルフを楽しもうとの提案で経験なしでも簡単だからと
誘われて参加する。

信州へ移住して、諏訪の河川敷や原村のマレットゴルフ場をその存在を意識せずに
暮らしていたが、ゲートボールに代わり、今やこの地方ではメジャーの中高年のスポーツだという。

貸しクラブとボールを握り、これまで15年も続けて来たゴルフとはだいぶ違うなと思いながら
着いていく。
ゴルフをしていたなら大丈夫よと、その道の大先輩らしい数人が立派なマイクラブやマイボールを
ちらつかせながら励ましてくれるからその気になった。

18ホール回り、成績は散々だった。
ゴルフと違い、芝生ははられておらず、カチカチのデコボコのコースに、カップ周りは
段差アリ、とても素人筋には尋常ではない。
よくよく見ると意外に周りは慣れており、口では下手だからと言いながら
普段やっているじゃないの~と疑心暗鬼になった。

これで散々の成績で今後、マレットゴルフの虜になるか・・・・はなはだ怪しい。
しかし、一人でも出かけてできるこの安価なスポーツは、運動不足には役立つし、
攻略する策を練るから、その気になって始めれば面白いであろう。
周囲は高遠の桜で囲まれ、カエデやモミジで紅葉し、景色を楽しめるというのがいいなと思う。










暖かい気持ちを思い出す

2015年10月26日 15時04分17秒 | Weblog
引越しした地区では年に2回の古着のリサイクルがあり、今回は今後も多分着ることは
ないであろうとと思う洋服を整理する。
ちょうど、伊那へ引っ越しして、今月末で2年を過ぎ、3年目に入る。
原村の仮住まいの時に伊那へ移住する際、思いっきり洋服類を新しくできた知人に
段ボール5個を譲り渡した。
もう今後勤務することは有り得ないと思ったからだ。

確かに引っ越しして生活は変わり、マゴを相手に日常着る服は 激変した。
原村と伊那市へ転居しての7年間、新しく靴を買ったり洋服を買ったりは都会で暮らしていた時の
生活とは必要性も変化し、年齢に応じた姿格好になっていくのものだ。

寒い地域に住むようになってダウンやコートなども初め買い整えたが、7年を過ぎると確かに
品質は進化し、流行は大変化し、しかも顔かたちが歳を取って似合わなくなった。
いつか取っておけば着るだろうは通用しない。
と自分の考えも改めて、リサイクル用にもう着ないであろう洋服類におさらばをした。

どうしても処分出来ないものがあった。
手に取って何度も矯めつ眇めつ、時間がたち、もう5年くらい閉っておいた綿入り半天がある。

東北で育った昭和の人間にとっては半天といえば、綿入りのものや都会に出てくる時に母親が
寒い寮生活ではと縫ってくれた袖がある綿入りのが当時は当たり前だった。
今やフリースやダウンや暖かさにかけては進化するばかりだ。

7年前に原村に仮住まいで移住してきたが、近所の民家に当時転地療養といって夏の間
2年間だけ住んでいたご夫婦がいた。
その頃、自分は勤務していたので、多くは親しくできなかったが、庭先の畑で作った
夏野菜を食べきれずにそのご夫婦に何度か差し入れした。

そのお礼にと、2年目の秋に奥さんが自分で縫ったのだが、と半天を下さった。
見れば大島紬で、裏には赤紅絹で古い着物をほどいて作り変えるのが趣味で一枚どうぞと
下さった。
薄く綿が入っているので暖かい昔ながらの衣類である。
話を詳しく聞いたら自分が住んでいた中央林間の近くの座間に住んでおり、もう何回か
大学病院でお腹の大手術をして奇跡的に回復したが、転地療養で体力をつけるよう
主治医に勧められ色々な土地を探した挙句原村に来たそうだ。

その綿入れ半天を当時、冬になると着てみたが、遊びにやって来た実姉が、迎えに出た妹を
原村の村民らしい、どこのばあさんかと思ったと冷やかし、
妹は馬鹿にされたと怒った挙句ぴたりと着なくなった。

しまい込んだ衣類は今回出してみて、こんなに丁寧に、しかも高価な材料を使い、手の込んだ
裁縫でおしゃれに色遣いをしているのに
馬鹿な自分は馬鹿にされただけで身に着けなくなった。
ああ申し訳ない。目がなかった。

この半天を縫ってくださった座間の方は術後の回復はどうなったかしら?
時間が経って、手にしてよくよく見れば貴重なもので今の時代は手に入りにくいではないか。
先週の骨董市では大島紬の古布や着物はたくさん放出されていたし、着物を作り変えたリフオーム
の洋服も数多く売っていたが、そういえば半天は見たことがなかった。

僅かな時間のお付き合いで見事な和裁の技術で時間を掛け、このような手縫いの物を
作って下さった、その方の心を理解できなかった自分は今や恥ずかしいだけだ。
大事に大事に、寒い冬の間寒さから少しでも守ってくれるように一枚の重ね着にしていこうと手に取って眺めながら考えた。
きれいな黒い大島紬はいつの時代に誰が着物として袖を通していたのか、遠く偲んでみる。









はだしの散歩

2015年10月25日 18時49分37秒 | Weblog
ちょうど昨年の今頃、マゴはつかまり立ちからハイハイを始め、デッキから庭へ
降りる面白さを覚えた。

11か月を過ぎて歩き始め靴を履かせると激怒し、雪が降ってもはだしで歩き
しもやけを作った。
道路では大の字になり、天を仰いでいたが子供の成長は早く、次々と新しい行動に移るので
記憶は彼方へ遠ざかって行ってしまう。

周りが覚えていないと、子供にやがては語って上げるという大事な時間を失ってしまう。
今はカメラで撮り画像に保存するが撮るだけで整理することが難関だ。
日常の生活の中にうずもれやがて面倒くさくなり、膨大な画像のホルダーさえ開くことが
なくなる。

マゴの月々の写真を撮り、アルバムを作っているが、気が付いたのはじっと静かに動きが少ない
乳児期は写真の枚数が圧倒的に多い。
ちょろちょろ動き回るともに追いかけるのに専念するから写真どころではなくなり、
月数が経つのが早くなるにつれ撮った写真も少なくなる。

自分が子育てしていた時代から今やアイホンで美しい画像で、
たちどころに撮った写真が見れるのだが
写真屋さんで出来上がるのを3日も4日もかけてワクワクしながら待っていた頃に比べ
便利が良いのかどうか時々考えてしまう。

マゴが今や歩くより常に走っているという毎日だが、この10月の秋の日差しで外遊びは
ますます楽しくなっている。

稲刈りが済み車がめったに通らない農道を寄り道ばかりしながら、気分よく散歩する。
途中で長靴を脱ぎ捨て、はだしになり、土だけになった田んぼで奇声を上げて走り回る。
あと2.3年も経つとコドモも忙しく時間に追われ、スケジュールの狭間で、やりたいことも失う
のであるからやりたい放題は今しかないと少しだけ気の毒に思う。



初めは犬の引き綱も持ちちゃんと長靴を履いている



だんだん犬に飽きてきてだれて来た、そして長靴を脱ぎ捨てた。



はだしでいたら田んぼの持ち主に田んぼの中を歩いてもいいよと許可をもらう



どこでも構わずはだしは心地よいらしい






バッグの中身を点検中



昨年の今頃はハイハイだったが、今ははだしでスタスタ。都会では有り得ないこの姿





珍百景

2015年10月23日 11時44分46秒 | Weblog
マゴが来年入園する予定の保育園の行事に初参加した。
ムスメは季節柄、家業が繁忙期に入ってきたため、今月の未入園児のお散歩の会に
マゴと参加する。

保育園卒園者のOB保護者が、ボランテイアで毎回開催している。
この近辺、お散歩と称して山あり、川あり、田んぼありの自然豊かな場所を
保護者と未入園児が約2時間近くゆっくり歩き、お昼ご飯を食べて散会する。

今回は天竜川の川沿いに切通しの山間に作られた車の通らない細い道路を子供たちは
どんぐりを袋に一杯に拾い、天竜川の深いグリーンに近い川の色を眺めながら歩いた。

お昼ご飯の後は川の傍の公園で走り回ってさらに遊んだ。
汚れた手を洗ったり、夏は流れる浅い川があるので水道もあり便利だと思った。





さあ、孫の手を洗おうと水道の傍に行ったところ不思議な蛇口があった。
お母さんも子供も手を洗うのに蛇口をひねるのに首を曲げる。
水はまっすぐに落ちてくるから不思議はないが、設備の施工の時に
不備があったのか、とても寒さのためにコンクリートが変になって固まったのか
お母さんたちと推測する。

古い公園なのだが、水道の蛇口をひねる人は皆首を曲げている。

その真上にある水飲み用の蛇口はひねるには硬すぎて、蛇口をひねっては
2,3メートル高く吹き上げて大騒ぎしている。
頭から水をかぶり泣き出すコドモもいた。

珍百景というより迷惑な不親切な水道の蛇口もあるものだ。
これが延々今後もつづいていくのだろう。


紅葉の清里、山梨、

2015年10月19日 20時53分10秒 | Weblog


週末、北杜市の林の中に住む友人を訪ねて来た。
いつもと違う予定を組み、まず金曜日は白州の台ケ原骨董市で珍しいものを探そうと
出掛ける。昨年より人混みは激しい。
酒蔵での骨董品は樟脳の臭いが漂い、くしゃみを連発する。

夕方、清里の萌え木の村内のROCKで地ビールの飲み比べをする。
折からハローウイーンの飾りつけがしてありもうそんな季節か・・・
ビールの味はとてつもなく進化していた。

振り返ればROCKへ来たのももう7・8年も前になりその頃は当然北杜市へ住む
予定でいた。
清里は近いので小海線沿いまで遠出していたものだ。
人生、どこで方向が変わるかわからないものである。










翌日は朝から気合を入れて、どうせなら紅葉巡りをしようと、ムスコに運転を頼み
真っ赤な紅葉が湖面に映る白駒池に向かった。
柳生博の経営する八ヶ岳倶楽部の紅葉は真っ赤で朝早くすでに客が詰め掛けていた。

標高1500mの清里から小海、野辺山経由で高原野菜が並ぶ畑を見ながら北八ヶ岳へ一目散。





清里の紅葉はちょうど見ごろだが、北八ヶ岳の沿線は標高が高くなるにつれ、紅葉は終わり
2,000mにもなるとああ・・・・遅かったかという晩秋の景色になった。













しかし北八ヶ岳の山は針葉樹に苔がびっしりと着きグリーンの世界になっている。
針葉樹独特の香りを胸いっぱいに吸い、白駒池では10月1日が真っ赤な紅葉の見頃と
の写真を見るが今年は少し早いようだ。






小海の八峯の湯(やっほうの湯)という源泉かけ流しの温泉で体の芯まで温まり、夕方又
野辺山高原から見る八ヶ岳や南アルプスの夕焼けを感心する。
いつもは長野県側から見るこれらの山は真裏から見ているので全く方向が違うと
違った山のようだ。

3日間、意欲的に観光地を紅葉を見ながら歩き回り、心から楽しみ、たまには
よそにも出かけるものだ、と当たり前のことに納得する。
毎日忙しく時間に追われているこの頃、老境に入って自由の身になったのだもの、
誰に遠慮がいるものか。(と、偉ぶってみる)

今年の秋景色と美味野菜

2015年10月12日 20時15分12秒 | Weblog
台風の去ったあと暫く好天が続いた。
といっても季節はすでに10月中旬。

日中は気温も20度とこれが小春日和というのかと思う幸せを感じる
毎日を過ごす。
しかしながら夕方になると気温は下がり、もう薪ストーブの登場になった。

地方の秋は行事が毎週のように続き、かり出される。
しかも先週などは村祭りと抱き合わせで通夜とお葬式のダブルだ。
かくして、秋の季節はどんどんと進み、うっかりしていると見逃すこともある。

昨年庭に植えたほうき草が秋に紅葉し、その色のきれいなことに欲を持ち
今年は家の周りはほうき草に占領されてしまった。
夏はかわいいジブリのような景色に気を良くしていたが、最近の寒暖の差でほうき草は
紅葉して来た。

きれいな景色となったことで、雑草よけと同時にこの地域にない変わった庭の景色と
言われ、日に日に色が変わっていく前庭に満足している。
  
  

 

そして今年、初めてこの長野で知りえたカボチャ。
バターナッツという種類のひょうたん型のカボチャに出会った。
ポタージュがおいしいという評判で最近の人気者らしい。





中央道の談合坂のパーキングの直売コーナーで見つけた。
どれだけおいしいか、試しにポタージュを作る。

玉ねぎを薄く切り油で炒め、サイコロに切ったバターナッツを入れて一緒に
炒める。少量の水を入れて数分さらにバターナッツが柔らかくなるまで煮る。
そのあとミキサーにかけ、牛乳を入れてポタージュ状になったところで
数分火にかけ、好みで塩、コショウをして火を止める。
いとも簡単な作り方でとろりとした、甘いポタージュが出来上がり、家族で頂いたら
評判が良く、とても口当たりがよくこれがカボチャかと思わせる癖は少なかった。

調理法が簡単で美味しいというのは、大事だ。
しかしこの近辺ではカボチャコーナーには姿が見当たらないほど人気者で
残念だ。
二つ割にして半分使ったが、残り半分、ああ勿体ないと欲が出てしまったではないか。

いや~まずい。

2015年10月01日 21時37分00秒 | Weblog
友人をこのところ続けて失い、意気消沈していた。
自分もそういう年齢になったのか、若くはないのだと。

毎年春に受けている健康診断は遅れ遅れになり、時間が見いだせないまま
人間ドックを申し込んだら11月末とのことで一応予約を取った。
ところが、キャンセルが出て、1昨日の9月末に受診した。

今までは悪い所はなかろうとタカをくくっていたら毎回精密検査のお土産をもらって
帰ってきていたので今回は、いかにも自信無げに、きっと精密検査は間違いなしと
控えめにして出かけた。

夏の暑い最中はめまいや食欲がなく、何より1年で3キロも減ったのには、多分がんだと
疑った。
懐かしい諏訪のもと職場の健診センターでの受診は退職して2回目だから、もう一般市民並みに
素人の気分だ。
職場は著しく改善され、小市民としてはもうすでに入り口を入った途端病人の気分になる。

一応待ち時間が長いはずであろうと踏んで、本を2冊持って行ったが、問診で待たされた以外
とんとん拍子に検査は済み11時過ぎには胃カメラを飲んで涙目でベットに横たわっていた。
肺CTも撮ったし、腹部エコー検査ですい臓の嚢胞もがん化していないか、念を入れた。

検査結果はお昼前には出来上がり、医師から結果の説明を受けた。
油断していると思わぬ精密検査などを言い渡されるため、やっぱり・・・・と覚悟は決めていた。

毎年、胃カメラで組織検査を受けているが今回は免れる。
肺がんでも、すい臓がんでも胃がんでもなかった。

しかしだ、思わぬ方向から生活の乱れが見つかった。

敵は本能寺にあり。
退職してから毎年血糖値が上昇始め、
客と共に飲むアルコールや砂糖やみりんを使った料理、果物やお菓子類が勤務していた頃に比べ
増えたのが確実だ。
ご近所からの頂き物が俄然増えた。
自分は大丈夫、むしろ毎回低血糖に近い数値を続けていたから安心していたのが
まずかった。

いやはや、これから1年かけて元の基準値に戻すのが一番の宿題になった。
体重が減ったからなど関係なく、糖尿病にだけはなりたくない。
日本人の多くが抱えている問題に無縁ではなくなった。
自分も足を踏み入れてしまうまえに抜け出さなくてはならない。

とほほほ・・・・・・