気温が一気に下がってきた。
お盆を過ぎると秋の気配を感じ、朝夕の日の出と日の入りで日中の時間が短くなってきた。
夕方の犬の散歩は7時頃に歩いていたが、もう6時半には暗くなってきた。
早朝、肌寒さを覚え温度計を見たら13度。
何ですって?ストーブをつけたくなるではないか。
先週に続き、中央高速バスに乗り新宿まで行く。
朝の時間帯はいつも混んでおり、眠さを我慢して6時に家を出てバスに乗り込む。
東日本橋の歯科に出かけるが先週突然の歯のトラブルで休み明けに先生のお情けで予約を取った。
いつもながら近所の歯科では対応不可能と思われ、縋る思いで何とか先生なら助けてくれると信じた。
そして翌週、先生もかなり困難な治療を考え込んだ挙句、時間を掛けて治療をしてくれた。
治療が終わり気持ちは晴天となり、新宿での岐路のバスに乗り込むまでの時間の過ごし方を考えた。
そして日本橋から近い元勤務場所を尋ねることにした。
定年退職し、信州へ移住し、その後5年間諏訪での勤務に就いたので、東京に来る機会がなかった。
定期的に眼科と歯科の定期健診だけに来ていたが、すぐ近くに来ていたが
元の勤務場所を尋ねるのは避けていた。
それが今度はなぜだろうか、もっと遠い伊那に引っ越すために今しかないだろうと思い、
茅場町の駅に降り立った。
6年も経つと会社の組織は変わり、近隣に散らばっていた関連会社も含め一箇所にまとめられている。
壊しては新しい事業を起こすのがモットーの元会社はまったくの変貌を遂げ、6年前の姿はどこにも見られなかった。
受付で電話して幸いにも元同僚は在席し、しばらくして2人で諸手を挙げながら久しぶりーと
叫びながらやって来た。
6年間のブランクをまったく感じないお互いの外観であったが仕事振りは大きく変わったそうだ。
昼休みを含めさまざまな話をわあわあ言いながら何年分も話した。
26年前にこの企業に自分が入社した時にたった一人で健康管理部門を立ち上げ、重なる年月日で
組織と制度を作り、退職する時は全国関連会社の同僚を30数人まで増やし、ミッションを終了出来た。
自分の入社した時は経営者からは健康管理などいらないと反対されたいわくがあるが、
いまや健康産業の
最前線となっている企業は健康管理部門を会社の組織のトップに据えて投資する費用も驚く額であり
時代は変わって行った。
それからまた、会いたいヒトはいる?と聞かれ何人かに会い30分だけでいいからと言った筈が
2時間も長居して新宿へ戻ってきた。
気持ちは暖かくほのぼのとしていた。
思い切って訪ねて良かった。
箱物は大幅に変わっていたが、その中で働いている同僚たちは変わっておらず皆温かく迎えてくれた。
みんなが口々にあらぁ6年前と変わっていませんね~若いですねと言ってくれたが、内心私は
以前の私ではないと思っていた。
信州の勤務先が企業で働いていた私を変わらせてくれた。
そして自然も、農業体験も、交流した人々もみな沢山の知らなかった事柄を教えてくれた。
都会の仕事だけで終わっていた自分をこの6年間で恥ずかしいと思うようになっていた。
どこで暮らしてもいい、住んでいる場所は自分に沢山のことを与えてくれる人生の教師だと思う。
いつもながらバスから降り立った時に森林のにおいのする空気を思いっきり深呼吸した。
リコリスが今きれい。