信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

野菜の時間

2011年07月25日 21時44分35秒 | Weblog
5月から野菜づくりに努め、休日の時間を注ぎ込み雑草を取り作物はやっと実り始めた。
今年で3回目の野菜作りであるので初年度に比べれば進歩しているには間違いない。

ただ、周囲の農家は先祖から土地を引き継ぎ50年以上も野菜の出荷を続けている超ベテランであるし
日中は姿を見ないので聞くに聞けない。
よって独学で勝手な野菜作り方法を覚えてきた。

きゅうりは一日おきに10本くらいずつ収穫できる。
もう100本位取れるようになった。
取り忘れるとヘチマのような姿に変わって驚かされる。
面白いきゅうりを発見した。
2本のきゅうりがくっついて1本になっている。
どのような過程でこんな姿になったのか、手に取って眺めてみるがわからん....



トマトやナスも今年は土作りが良かったのか、肥料の配合が良かったのか
春先、筋肉疲労を重ねながらの努力がその姿に現れている。

じゃが芋は昨年は梅雨の長雨で土中で病気になったのか梅雨明けにワクワクしながら堀上げたら
あらら・・・・見事に腐っていた。それを見た自分も腐ってしまった苦い思い出になった。

今年は5月のGWごろ低温で気温が低く芋を植えつけたが芽がさっぱり出てこず心配した。
しかし試しにそっと数本掘ってみたところ、立派な芋がゴロゴロと出てきた。
嬉しくてもっともっと掘ってみたくなったが止めた。
近所の農家の人が言うには8月まで今年は待ったほうが良いとのこと。

新じゃがだけ少し頂き、もう少し成長するのを待つことにした。
赤いアンデスやインカの瞳も育っているらしい。

 

思わず微笑みながらの野菜の収穫に幸せな気分を十分にもたらしてくれる夏の日々にいよいよなって来た。
ただ、残念なのはブルーベリーが3年目となり大きな実を今年は付けてくれていたのに
人間が食べる前に毎朝小鳥が食べにやって来て日に日に収穫できそうな実が減ってきているのを
眺めるようになってしまったことだ。


涼しい毎日

2011年07月22日 22時54分41秒 | Weblog



台風が去って涼しい日が続いている。
明日は大暑というのにまるで秋がやって来たようだ。
日中は勤務しているのでエアコンの効いている部屋でどうやら外は暑いようだと思いながら
帰宅してからが季節感を失っている。
今も長袖の部屋着を着て、夜はとっぷりと毛布を2枚重ねて寝ている。
夕方犬を連れて散歩した。

 


山梨方面の南アルプスは雲がたなびき幻想的な風景になっている。
同じく犬の散歩中の農家のご主人が話しかけてきたが、このまま秋になるんではないかね~
まだ真夏にならないうちにこんなに涼しいと野菜が育たないねーという。
涼しくって寝るのには楽だけどねと言いながらカナカナゼミが泣いているのを聞いていた。


早めに梅雨が明けいよいよ真夏か~と思っていた矢先思いがけなく涼しい日々が続いている。
犬を引っ張っりながら原村はいいところだなと畑を眺め心から思う。

    

阿修羅のごとく

2011年07月17日 15時22分58秒 | Weblog
今日テレビ番組欄を見ていたら、
NHk総合でアーカイブス「向田邦子さん没後30年、阿修羅のごとく」いしだあゆみ名作を語る
に目が行った。
若い頃この番組を毎回見ていた…、原作も読んだ、向田作品はほとんどハードカバーで読んだものだ。
そうなのだ、もう亡くなって30年になるのか~。

午前中暑さの中で畑の草取りやり終えて、シャワーを浴びてテレビに向かった。
1979年の作品というが私は34歳だった。
子供達は4歳と3歳の年子だった。

よくぞ小さな子供の育児の最中にこのホームドラマを毎週見ていたと振り返ってみたが
それだけこの番組は魅力的だったのだろう。
登場人物は今になると佐分利信、菅原謙次、緒形拳ともうすでに亡くなられた名優が
画面に若い姿で演じていると、思わずおおーと懐かしくなった。
演出は和田誠でこれも名演出家で随分沢山のドラマを見た。

佐分利信の父親の子供たちが4姉妹で加藤治子、八千草薫、いしだあゆみ、風吹ジュンと今も
活躍中の女優が若々しい姿で登場。
当時輝いていた女優は30年たった今も素敵な歳を重ねて映画やドラマでその姿を見る。

特にこのドラマで強烈に印象に残ったのがテーマ音楽でバックに流れる曲は忘れることが出来なかった。
トルコの軍隊という。
向田邦子作品はテレビドラマになりほとんど見てきたように思う。
ホームドラマだが辛口の内容で、しかし家族のあり方をいつも考えさせられていた。

言葉一つ一つ日常的で、なんでもないように思えるが、どこの家庭でも普通に喋る場面が心に残るのである。
昭和51年8月大韓航空機の事故で突然亡くなられ、その後の御巣鷹山上空の日本航空の事故と
8月の航空機事故になぜ8月なの?と天に向かって密かに問いたものだ。

1時間とちょっとの阿修羅のごとくの再放送は今夜と明日続けてあるが、当時の自分自身の思い出と
重なり、時代の背景をするりと手に入れた。
34歳の時に見た時と今30年後に再び見た印象が全く違うのである。
自分の生きてきた人生かと重なる部分は頷くものが多い。

いしだあゆみが最後に名作を語るといい、向田邦子の思い出を話した。
怖いおねえちゃん という印象で出演していたが、その時言われた、いしださん、暗いと静かは違うの、
元気と騒々しいは違うの、それをはき違えないでねと言われたのがずっと自分の生き方につながったと言う。
向田邦子はドラマも小説も言葉をとても大切にしている。
言葉で人を殺せると言われたともいう。

元気と騒々しいは違うのと静かに言われたと言うがそれを聞いて、自分もはっとした。
働いていて、職場で元気ねと言われることが多いが、グループの中で元気ねなのか、騒々しいのか
わからない。
いしだあゆみは人間として歳をとるごとに上質な生き方を意識してきたと、それは向田さんを見てきたからだという。
とても大事なことで上質な生き方は人間として本質の目指す部分だが、とても難しい。
だがまだ間に合う。
阿修羅のごとくは女性の多様な面を持っていることを4人の女性と母親役が演じている。

誰もがいろいろな面を持ちながら個性としてその人となりを生き方を通じて、
人生を終えていくが、64歳の今日、あらためて昔のドラマを見て深く考えさせられた。

最近のテレビドラマにこのように考えさせられるものが、ずいぶん長く姿を消しているようだ。
刑事モノと弁護士モノがあふれ、そこから自分の生き方におそわるもの何だろう?

テレビを見ない時間が増えてきた…。

あらすじ
長女 綱子は夫に先立たれ生花の師匠として生計を立てている。
次女 巻子は中学生の一男一女をもつ平凡なサラリーマン家庭の主婦。
三女 滝子は図書館の司書勤めで男っ気がまったくなし。
四女 咲子は親兄弟にも内緒で無名ボクサーと同棲している。
そんなある日、滝子が興信所に調べさせ、四姉妹の父親に愛人とその子供がいることが判明。
四人は集まって母親を気遣いながら対処について話し合う。
しかし、自分たちも「秘め事」や「隠し事」を持っていて、周囲のさまざまな人を巻き込みながら疑心暗鬼が頭をもたげる。
ねたみ、そねみ、嫉妬、そして「男と女」。
家族でちゃぶ台を囲みながら、庭先で白菜を漬けながら、日常のひとコマの中にちらっと覗く内なる「阿修羅」。
それでいてホームコメディのように人間模様を描いた作品。


収穫期やって来た

2011年07月13日 22時28分03秒 | Weblog
5月の肌寒い季節、霜に襲われながら植えた野菜たちは急に成長を始めた。
やっと農業のノウハウを理解始め、今年は土作りに力を入れた。
苗や種を蒔くにもマルチを敷き、休日園芸家は限られた時間で今年の野菜作りのレベルが上がるのを
いつも心の中に願っていた。
実際に時間を費やすのは雑草取りであった。
自然農法で雑草と共存で雑草の中に野菜が育っていくのをとても許せない性分である。

今日初めてきゅうりを1本もいだ。
夕方,茄子を2個もいだ。
すぐに夕食の食卓に載せたがまあ、とっても美味しかった。

トマトは鈴なりだがまだ青い。
じゃがいもやかぼちゃ、ズッキーニ、スイカ、とうもろこし、いずれ収穫する日がやってくる。
これだけは人に伝えられない楽しみのひとときとなる。
庭の花壇でも花が咲き出した。
草花は手間を掛けるだけ、それに答えてくれて、花をつけてくれる。
長い冬の期間、外にも出て行きたくない無彩色の何もない庭。









雪が積もったまま解けずに春が来るまでの庭は夏の満載になった花が咲いている景色と比べまるで別世界のようだ。
信州へ越してきて、庭の土と水と太陽は、花づくりと野菜作りから自分に別な能力を与えてくれている。
疲れた、疲れたと言いながらも感謝せねばならないことである。

休日の珈琲

2011年07月09日 23時49分11秒 | Weblog
先週、ムスメがコーヒーのミルを買うと言い、ネットで通販の商品を見ていたので相乗りした。
振り返ればこの原村へ越してくる何年前だろうか? 

中央林間に住んでいるときに、北海道の富良野が舞台の寺尾聰のドラマを見た
コーヒー屋でグリグリと常連客がそれぞれ自分の豆を挽く場面を見て、それに惹かれて
自分も手で挽くミルを購入した。
雪が降る富良野で寺尾聰が淹れる林の中の店のコーヒーは毎回たまらなく
ヨダレが出そうなほど美味しそうだった。

以来ずっとそのミルで豆を挽き時間をかけてコーヒーを抽出した。
コーヒー豆にもこだわり銀座の専門店の通販で毎月、月替わりで世界各国の豆を届けてくれる便利さに
香りの良い美味しい味を楽しんできた。
ところが最近何だかコーヒーの味にぉぉ、美味しいわという感動がなくなってきて義務的に飲んでいる様になった。
考えてみれば多分、長年使ってきたミルが歯の切れ味が悪くなり細かく挽けなくなっていたのかもしれない。
そこで通販でメリタの電動ミルと水出し珈琲のセットを購入し、早速電動ミルで豆を挽きコーヒーを入れてみた。
 
手でグリグリと豆を挽いていたときはその感触を楽しむ時間があったが、何と電動は
ウイーンと数秒で終わってしまう。
考え事をしながらグリグリ挽く楽しみはなくなったが美味しさが全く違うのに飲んだもの全員が気がついた。
同じ豆でもずいぶん違う…。すごい。
香りも違うし、味のまろやかさも違うのに気が付いた。

今日は休日で時間の余裕があるから、水出し珈琲を作った。
2時間かけてゆっくり抽出するが、水はこの場所は八ヶ岳からの冷たい水が出るので、おいしい水を買うこともなく
これも抜群のおいしいコーヒーが出来上がった。



1週間で恐ろしい勢いで伸びた雑草を汗ほとばしりながら抜き取り、夏の草花が咲き始めたのを
眺めながらコーヒータイムを楽しんだ。
夏になると、白い花が増え、青い花がそれにアクセントを付けて爽やかな庭になる。
木陰は誠に涼しく、休日の時間は通常の勤務している日々に比べ時間は数倍早く過ぎて行くように思えるのである。



ハーブのボリジの花



矢車草 多年草でいずれも季節になると咲いてくれる

福島の友人

2011年07月05日 22時50分03秒 | Weblog
夕食中に電話があり郡山の友人からだった。
季節の味をと、四国から日向ミカンを送ったのが届いたようだ。

郡山は昨日はゲリラ並みの夕立があり、放射能の風評被害のため新聞紙上で
名前を度々聞くようになった。
3月の震災では屋根瓦が落ちて、タンスが倒れ、定年退職した夫は体力がなくなり、
学校からの仕事のお誘いがあるのに断り続けていると愚痴っていた。
屋根瓦は3ヶ月経ってやっと直すことができ、雨漏りから開放されたそうである。
ニュースには載らない小さな被害が周囲に山積みだそうである。
いわき方面からの被災者の受け入れもまだ続き、仮設住宅を建てても学童のいる家の
入居は断られたり車を持っていない家だったり、制限付きでごくわずかの家族しか
入居できていないそうである。

子供がいると学校がいっぱいになるからと受け入れられないようである。
郡山市内でも被害は多く、倒壊寸前でも壊すお金がなくそのままになり、行く先がなく
仕事もなく日中ぶらぶら新しく建てるには二重返済で返す宛もなく、そういった家が周りや
原発の地域ばかりでなく福島全域がみな危険だという。
原発で次々と建設が続き、反対する側は白い目で見られ村八分同然だったのに今は
皆被害者側に回った。

友人は病気を老いてから背負っているがその夫も病人上がりだ。
人間どこで人生の逆転劇が起きるかわからない。
首都圏では熱帯夜で寝付けないというが、こちらではいま寒いという表現が当たる。
半袖から出ている腕は冷たく、長袖を着たい。贅沢だ。

30代から40代の時自分は家庭の苦労で悩み福島に友人を訪ねた。
そのとき友人夫婦は元気で笑顔で生活は恵まれ、羨ましい限りであった。
ところが今は逆転し、電話であなたは元気で働いており羨ましいと言われた。
人生の生きていく先は自分でも計り知れない。
段々そういう年になってきたということだ。
同世代と話すとついつい深刻な話題になっていることに気がつくがそれに拍車をかけているのが
震災と原発である。


身近になった高遠

2011年07月04日 22時49分09秒 | Weblog
信州に住んで4年を過ぎたが、山ひとつ越えた伊那は訪れたことがない縁のない場所であった。
桜の名所の有名な高遠もこの2年桜見物に行ったがまあ、人が多くて桜は綺麗だが一度行けば
良いかと思っただけであった。

ところがどこでご縁は生まれるかわからないもので、この5月からもう何度行ったか…
高遠は伊那市だが隣町の駒ヶ根まで出掛けるようになった。
駒ヶ根は40年前の若き日に千畳敷カールから空木岳へ縦走した思い出の地だが
まさか60歳を過ぎて再びやってくることになるとは運命とはわからないことだらけである。

昨日も2日間庭に出て野菜や草花に向き合い果てしなき農作業をして足腰がいててて…と
老婆の姿になり気分を変えてムスメを送っていく口実で高遠の新居までドライブをした。
夕方になってから出掛けたのでゆっくりも出来ず、原村から茅野へ向かい
杖突峠を越えて高遠に到着する。

このところ何度も足繁く出掛けるので全く地理感がなかった伊那地域も
僅かずつだがわかってきた。
まず惹かれたのは天竜川。
深い水色のゾッとするほどの水量に育った郷里の福島の阿武隈川を思い出した。
そして中央アルプスと南アルプスが目の前にそびえ、何度見てもワクワクする。
伊那谷と言われるように広い田園地帯が広がり明るい光景である。
原村のように山の麓とは異なり標高も違うのでゆったりとした感があるのかもしれない。
桜の咲く季節は道路際に咲く桜の木々に見とれるが今の季節はどれが桜の木なのかも分からない。

延々緑が滴る山間を抜け文字通り杖突峠という急カーブの連続をハンドルを握り締めて、
ほーっとため息をつく頃に高遠市街地に入るのである。
古い酒屋や味噌屋もあり和菓子も有名で見どころも色々ある。
さくらの湯という上質の温泉も気に入っている。
いずれムスメの住む場所の近くに私も原村を離れこの地に終の棲家を求めようと決心した。
あと1年9カ月で勤務はカウントダウンに入ってきた。

神奈川から山梨の北杜市に移住しようと土地を求め、家を建てる前に仕事をすることになり
原村に縁があり仮住まいをして4年経った。
まだまださまようとしている自分がいるとは思えないが、18歳で福島から横浜へ進学し以来、
丁度原村が10ヵ所目めの住まいである。中学時代からは13回引越しをしている。
引越しについているがこれも運命かと思え、最後はもういい加減にここでおしまいにしたい。
桜の季節になると思い出してもらえる高遠にあと2年後には住んでいるように漕ぎ着けたいと思う。