23日から25日の連休に原村に私のきょうだいがやって来た。
引越ししてから何かと用事が続き、やっと今になって、しかも寒くなって大丈夫かと思う頃に訪ねてきた。
銚子の兄と神奈川の綾瀬の姉夫婦が車で渋滞に巻き込まれながら2時過ぎに到着。
肝心の原村へ来てから迷って何回も電話をしてくる。
近くまで迎えに行ったら私を村のおばあさんと間違えて、ニヤニヤ笑っている。
それほど私は村に馴染んだのか?
1日目は私の大泉の土地を見る。
兄はここに蕎麦屋を始めるのに丁度良いと勝手に息子を蕎麦屋にさせる妄想にとらわれた。
その後温泉に行き体がすっかり温まったところで、夕食になる。
と言うより宴会だ。
意外に疲れているため皆早めにダウンして床についてしまった。
翌日は老人グループは寝坊は先が短いから勿体ないと早起きして、朝食の準備にかかった。
私の勤務先を見たいと、諏訪湖に向かう。
赤十字のマークの付いた建物を見て安心したようで、それからは、原田泰治美術館、ガラス館などをゆっくり見てまわる。
年寄りのツアーは行き先で必ず買い物が付いて回る。それだけ時間もかかる。
時間は経つのが早く、すぐにお昼になり、いったん戻り、おそばを食べたいという希望を叶えるべく富士見町のおっこと亭へ向かう。
お蕎麦のおいしい名所のため連休で一層混雑していて1時間の待ち時間となった。
11月になり新そばが食べられる運のよさ!
大満足で店を出て、それから一路蓼科に出かけ、八ヶ岳が全貌できる
スパに向かった。
ゆっくり温泉に浸り、落葉松の紅葉も色濃くなった夕日の八ヶ岳を見ながら体の芯まで温まった。
夜は小淵沢のペンションに泊る。
食事が7時半ごろには終了し、部屋に戻ると意外にもう寝ようと言い出し寝る準備体制だ。のみ会が始まるのかと思ったが、疲れたのかここでも布団に潜り込んでいる。
しかしきょうだい3人揃うのは大変久し振りでいつの間にか、生まれ故郷の思い出話に代わって行った。
3人きょうだいはそれぞれ9歳、5歳と離れそれぞれの交友関係があり次々と誰々さんはどうしている?など聞き出し消息を追っていく。
さすが3人の情報を一緒にすると町中の様子が手に取るように理解出来、面白くて3時間ぐらいがあっというまに経って行く。
寝るのが勿体ないが一人ずつ沈没し黙ってしまう。簾
3日目はペンションをチェックアウトした後近くの林を散歩した。
3日目になると気が付くが、まあ話がてんでんばらばら、まとまらず、勝手に思いつくままに話す人、その話も聞かず、自分の興味の赴くまま、人の話を聞きやしない。
山がきれいとか、景色がきれいと水を向けてもあまり興味を示さず
勝手に話をしまくっている。寧
今までは若い時はこんなことなかったが、皆歳をとったんだなあと思い知らされる。
てんでんばらばらに見えるがその癖、盆栽用の若木を集め、紅葉を愛で、晩秋の林の中をたっぷり楽しんでいたようだ。
私は9歳年の違う姉には随分とおんぶされて子守をしてもらい、5歳歳の離れた兄には、父の亡くなった後保健婦の学校に進学した時は学費を毎月出してもらい、お世話になった。今の自分があるのは母親の苦労ときょうだいのお陰だ。
再就職し、健診の後、生活指導をし、受診者と話をするが、何度もこの仕事は天職ではないかと思う場面に出会う。
60歳を過ぎての仕事でこのような思いをもてるのも、引いてはきょうだいのお陰と今回の集まりで思うことが出来た。
皆それぞれ耳が遠くなったり、病気を抱えたり、勝手に話をてんでんばらばらにしたり、でもいいきょうだいじゃないか。秊