信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

皆既月食

2007年08月28日 22時33分58秒 |  日記
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今日の皆既月食は天気予報で長野県は雨だったので、残念ながら見ることはできないと諦めた。
午後から雨が振ったり止んだりしていつに間にか月食のことは忘れていた。
仕事では蕾決めが延長し、6時半まで働いた。
最近は日没が早くなり、家に帰るともう暗くなり始めている。
大急ぎで犬の散歩をして帰ると大家さんが玄関から出て来て月食だけど、月が見えるかね?と言われ、一緒に空を仰ぐ。
既に7時45分。
夕食を摂りながら月食の様子を写真に撮るが、夜景の写真は難しい。

月食も大分進んだ。9時になって満月に戻り、こうこうと冴えわたった月に戻っていた。
今日から暑過ぎた気温も下がり、暫くぶりに涼しく、快適な1日を過ごせた。
昨日は汗を流し、2回も洋服を取り替えたというのに、突然涼しくなった。
月明かり隣の家の屋根が明るく冴え冴えと輝いている。
原村の夜空はどこまでも美しい。


野菜たち

2007年08月27日 21時13分05秒 |  日記
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今朝もきゅうりが3個も取れた。
仕事の帰りには、社長から野菜を持って行きなさいと、畑からトマトやトウモロコシを頂いて来る。
枝豆も私の畑で実り、根っこから掘ってもぎ取り、茹でてみるとそりゃあ甘い。
何と言っても畑から直結の野菜を毎日食べているのであるから、冷蔵庫の野菜室は必要ない。
社長の畑の野菜は肥料も土も上等だからと特級の野菜が育って行く。
こんなに美味しい野菜を食べ慣れると、これから都会に行ったらスーパーで買い物できなくなるなと変な恐れが出る。
兎も角原村へ来て、食物の美味しい味を知ったのは一番幸せなことではないだろうか。
お陰で体が元気で、健康を保っている。


そうそう、先月去勢手術したミルキーのことだが術後1ヶ月経った。
何となく落ち着いてきた感じがしないでもない。
大きな変化は、女の人(女の子)にべったりくっつかなくなったこと。
そして食欲がますます出てきて、食事を与えても胃袋に入った手ごたえがないらしく、あっという間に食べてしまい隣の犬のえさを半分食べてしまう。
去勢しなかったほうの年長さんは夏ばてらしく、ちょっと食べては隣の部屋に行ってしまい、その隙を狙って去勢犬は、やったとばかりにきれいになめるくらい食べ尽くす。
その後私の食事時はずっと足元で何かもらえるのではないかと張り付いている。
その食欲には気の毒な感じがする。
もともとあほだが更に食欲が増して来て、どうにもならない。蓮

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復活なるか

2007年08月24日 23時19分20秒 |  日記
8月に入り菊が一気に成長し、出荷の時期になった。
お盆に子供達が来るので休みを取るために、休日も働いた。
出荷のための作業は新しい作業で、内心パニクって数日を送った。
初めての動作を完璧にこなすことは出来ないが、出来ないとはいっていられないし、結果的にミスになってもいけない。
細心の注意をして神経を研ぎ澄まし、といってスピードも必要で
菊の花10本の頭をびしっと揃え、その繰り返しは生易しいことではなかった。
毎日作業場と菊の畑を行ったり来たりして、畑では菊のつぼみを決める作業に、社長からミスを発見されそれが続いたので相当落ち込んだ。
自分が忌々しかった。
又自分のミスが仲間に及ぶのも辛かった。慣れていない、新米だからと思うことが出来ない。うまく行かない自分が情けない。
自分のために社長夫婦に迷惑をかけているのではないかと、段々憂鬱になっていった。
自分が60歳になり、企業の仕事で定年まで働き、一応成し遂げてきた気持ちが、新しい仕事での自分の邪魔をするのだ。
休みも働き、ミスを指摘され、新しい作業に慣れないでおろおろし
そのために疲れ果てた。
しかしお盆で子供達と暮らし、自分の気持ちを息子夫婦と夜、話をしたら共感を得てくれて、嬉しかった。
自分達も新入社員の時代をすごしているので、その気持ちがわかるのだ。
嫁もそうだそうだと良くわかってくれた。怜

諏訪湖の湖上花火大会、姪たちも合流し松原湖の灯篭流し、と花火、
富士見スキー場の百合の里、夜の庭でのバーベキューなどで一緒に
猛暑の原村での数日が過ぎていった。
どれもが心の中に温かい思い出に変わって残った。
そうしていつの間にか、落ち込んでいた自分が元に戻って来ていた。

ついでに同じ頃パソコンの調子もおかしく、インターネットが出来ない。メールがエラーになる。
もありブルーになっていた。
カナダにいるムスメと同じ気分状態になっていた。

今週、大雨が降った後、菊の畑の近くのコスモス畑がいつの間にか
花が一杯咲いていたのに気付く。
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そういえばあぜ道ではススキの穂が出始め、車で走ればウインドウに盛んにトンボがぶつかる。
暑い暑いと言っていても、確実に秋がそこまでやって来た。
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八ヶ岳と南アルプスをバックのコスモス。


茅野市花火大会

2007年08月14日 21時32分01秒 |  日記
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原村の隣の茅野市で花火大会があり、夕方運動公園の会場へ行く。
同じ原村のK君、F氏、F氏の友人夫妻とF氏夫人の手作りのお弁当持参だ。
13日が茅野の花火、15日が諏訪湖の花火と今年は贅沢な身分になった。
運動公園の会場でシートを敷いてビールを飲みながら待っているうちに7時の打ち上げ時間になった。
打ち上げ会場のすぐ近くに席を取り、シートに寝転んでみる花火は
とても気楽で楽しいものだ。
40品目の打ち上げで新しい種類もあったり、上がるたびに歓声が上がり観客全員同じ気分になり、日本人に生まれた幸せを皆感じたに違いない。
言葉で表現できないので今日は簡単な記事になった。


自家菜園最盛期

2007年08月11日 22時39分06秒 |  日記
梅雨明け後から、全く日中は暑い。
信州は涼しいイメージがあるが、日中は暑い。
道路はカンカンで照りで白く乾き、照り返しがひどく真夏らしい。
今年原村の夏を体で体験するが、何が違うかというと気温は31度でやや(いや、かなり)都会から比べれば低いが、からりとした暑さで
湿度が低いのである。
家の中も日中でもエアコンは必要ない。
そして朝晩はその気温もぐっと低くなる。
日本全国今日は猛暑で38.5度と聞くが、夜になり今温度計は19度、湿度65%、涼しいのを越してうすら寒い。
お陰で全身純毛の毛皮犬たちはすやすや熟睡の毎晩である。

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彼らは原村へ来て一日3回散歩をしていても、中央林間時代より太ったようだ。

私の5月に植え付けた野菜の苗は今、最盛期。
朝、とうもろこしを初めてもぎ取った。
そのまま台所へ直行し電子レンジで5分、チンしてすぐに頂く。
甘ーい。

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きゅうりや茄子、モロッコインゲンなども食卓へ直行で数分後には私の胃袋へ納まる。
これほど贅沢な食事はない。取立ての美味しさの味をこの歳で初めて知った。
肌も野菜ばかり食べているので心なしかみずみずしくなってきた。
夕食の時も、シャワーを浴びた後、沢山の野菜と白ワインの味に、ああ幸せ、美味しいねぇと犬に向かって話しかける。
犬たちは何かもらえるかとよだれをたらしている。
NHKの画面からは第39回思い出のメロディを放送しているが、折から今日は長崎の原爆記念日であり、秋川正史が長崎の鐘を歌うのを聞き魂が揺さぶられ涙ぐんだ。
今自分がこの地に住んでいること、周囲の人々たちから小さな幸せを味わっていること、
毎日の労働で体が健康でいること、自分が育てた野菜から毎日の活気
の素を得ていること、八ヶ岳の姿に毎朝毎夕惚れ惚れしていることなど沢山のものから心が満たされているためであろう。


いよいよ菊作りも出荷の時期を迎え、ここ数日集荷の作業を午前中行う。
慣れない作業に、ベテランの先輩達と同じように行くわけはなく、しかしそうは言っていられず、ミスは許されず、早急に作業をこなせねばならない。
社長に注意されるたびに私のプライドはずたずたになる。
新米だからといっては許されないのだ。
とにかく必死でうまくならねばならず、真剣にやればやるほど疲れて
落ち込む。
今日で3日目になったが、これまでこの出荷の菊の束ねる作業を一日で辞めて行った人もいると聞き、私はまだ少しはましなのだと自分自身を慰めた。
目の前の仕事から逃げないように勤務していた時は社員に向かって言い続けていた自分が逃げ腰になっている。
又反面、都会の人間は使い物にならないと思われたくないという気持ちも強く、兎も角自問自答しながら今日で3日目を迎え何とか慣れてきた。
退職したら毎日が日曜日という事を聞くが、私には日曜日などあったためしがない。輦


清里フイールドバレェ

2007年08月10日 22時50分35秒 |  日記
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先週に引き続き、今度は清里でのバレェを鑑賞する。
7月27日から8月9日までの間演題は、白鳥の湖、ジゼル、かぐや姫、時雨西行など日替わりで今年で18回目の夜の8時からの公演である。
仕事が終わってから車で1時間の距離だが、道路は空いており八ヶ岳の裾野を走る。
原村を出るときは暑かったが、途中は霧が出てすれ違ったり行き会う車もなく別世界へ来たようだ。
余裕で会場の萌木の村へ到着した。
ロックで夕食を食べるが、まわりはリゾート客ばかりで、やはり清里は観光地だ。
20:00の開演だが、観客はバレエを習っている子供達とその母親、親戚、追っかけ、多分著名なリゾート人(先生と周囲から声を掛けられている)たちで一杯だ。
若い女性も多く華やかで先週の薪能とは全く様子が異なっている。
花束を抱きしめ、サイン会があるのでその話題に夢中になっている声も聞こえる。
孫同伴や親戚らしい老人も多く、話している会話や、着ている洋服もおしゃれな雰囲気むんむんで、まるで東京と変わらない。
どちらかと言うとこういう雰囲気は私は苦手だ。
白鳥の湖は野外舞台で始まるが、舞台や音響が今年で18回目といいすばらしい舞台だ。
以前文化村で白鳥の湖をムスメと鑑賞したが、屋外舞台で見るのは初めてである。
良い席が取れたが、前の座席の親子が公演中母親が子供に解説しているのかずっと身体を右に左に動かしひそひそ話しをするので、後ろにいる私は舞台がその度に見えなくなる。
自分もそれに合わせ身体をずらし、その繰り返しをしていたら、3幕目で気分が悪くなり、決心してその母親に注意した。
白鳥の湖は野外舞台で涼しい清里ならではの空気の中、すばらしく美しい踊りであった。
しかし前の席の親子のお陰でその楽しみも半減し帰宅した。



差が大きすぎる

2007年08月06日 22時19分44秒 |  日記
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元勤務先の友人が原村へやって来た。
これで2回目の訪問であるが、今回は都会のヒートアイランドにやられて弱っていた。
中央高速バスで来たが、双葉バス停で車から降りたら熱波で体がちりちりと焦げるかと思ったと表現した。
お昼過ぎに原村へ着いたが、なにっ!この涼しさはっと連発。
夕方ヒルサイドの温泉に行き、夜中まで夕食と宴会、猛女2人で盛り上がった。

本日は爆睡した友人は爽やかに、ご機嫌に目覚めたが、とっぷり布団をかけて寝たそうだ。
午前中は昨夜のスケジュールどおり富士見高原スキー場の百合の里へ出かけた。
500万本の百合の花に友人は感激し、北海道に行ったよりすばらしいと相当溜まったストレスを発散していた。
ゲレンデ一杯に咲き誇る百合は丁度満開を迎え、月曜日の今日は中高年のお客で賑わった。
しかもその中高年は大半が一眼レフの高価なカメラを3脚を立てて、プロもどきの狙いをつけてシャったーチャンスを窺っている。
これは団塊の世代の流行かと思うほど、一眼レフを持ったおじさんおばさんがやたら多い。
世の中趣味も随分高級になってカメラマンだらけだった。

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午後は犬養元首相の別荘を見学に行く。
今日は誰も見学者がいない。
1万4千坪のお庭と別荘を友人と二人で貸切見学し、静かな緑に染まるお庭で、友人はつかの間の静寂さに浸っていた。
山百合が風に揺れて何とも言えない風情で、都会の暑さの中でうだっている人に申し訳ない涼しさである。


薪能

2007年08月03日 23時24分27秒 |  日記
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小淵沢の身曾岐神社に薪能を見に行く。
夕方4時15分から始まったが、まだ明るい中、周りの森からは大群のヒグラシの鳴く声でまるで騒音のようだ。
生まれて初めてのお能見物だ。

身曾岐神社は歴史も深く、能舞台は日本一と言う。
約3時間のプログラムで、狂言と能2本が厳かに始まる。
超一流の能楽師が出演する舞台を見れるとは何と運が良いことであろうか。
出し物は、清経、狂言呼声、船弁慶で何もかも初めての世界であるため、聞き取れないし理解できないし、大変に難しい。

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しかし、舞台の中には引き込まれる幽玄の世界があり、平家物語に出てくる武士や義経の悲劇が伝わって来てもの悲しさを十分味わえる。
夜間、蝉時雨の声と篝火とうっそうとした木々に囲まれた能舞台は
日頃の生活から別世界へと導いてくれた。
そういえば高校時代、国語の時間に観阿弥、世阿弥とか学んだっけ。

今回で17回目の八ヶ岳薪能という名前も土地柄らしいし、20度あるかないかの涼しいと言うか肌寒い気温の中、又今夜も何かを学ばさせて頂いた様だ。

次は清里でのバレェ、諏訪湖の花火大会、9月には八ヶ岳コンサートとこちらの土地でも文化的な夏を過ごすことが出来る。
豊かな心になっていくのは年齢に関係なく自分次第だと最近つくづく思うことである。、
じわじわと幸せ感を味わうことである。


患畜その2

2007年08月02日 23時18分16秒 |  日記
やっぱり甘かった。
手術した後、私を涙目で見上げて全く声も上げずおとなしくなったミルキイに手術の効果が出たと喜んだが、ぬか喜びだった。
あれは傷跡が痛すぎて声が出なかったのと、吠えるとお腹に響くので
声が出なかったようだ。
さすが動物、今日は術後3日目だが、もう猫の鳴き声や外の音に反応して吠え始めた。しかも甲高い変な声に変わった。
散歩と言うとぴょんぴょん高く跳ねるし、又もとのあほ犬に舞い戻った。
しかもいつものように高々と足を上げてあちこちにマーキングしているではないか。
がっかり・・・・。輦