信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

顔が痛い

2010年03月30日 22時35分37秒 | Weblog
昨夜家に帰って暖房をつけて暫く経っても空気が寒い。
風邪のせいかしら?

と思いなおすが、背中が寒くて、やる気が出ない。

満月に近いので雲間から見える月は冴えわたり、すばらしい美しさであるが、寒くて眺めていることが出来ない。

いつもより1時間早く布団に入った。

朝目が覚めるといつもと違った空気を感じる。
廊下の温度はマイナス3度。
冷凍庫並みだ。

外は真っ白に雪景色になっている。

暫く振りに車は暖気運転をして車に積もった雪を解かすが気温はマイナス12度になっていた。
何という陽気だ。
桜が満開という地方もあるのに、こちらは真冬に舞い戻っている。

そういえば昨夜家に帰って犬を抱っこしたら、ヤツはぶるぶると震えている。
何だ?
と炬燵に引き入れたが考えてみれば寒かったのだ。

湯たんぽの上にどっかりと乗っかり、満足そうな顔で居眠りしそう・・・・。
純毛の上等な毛皮をまとっているくせに、寒がりだ。

寒さにしなびれるハハと暑さでやられて寝込んだムスメと地球のあちらとこちらでは
天と地ほどの差を感じる。

3月はおしまい

2010年03月28日 17時25分35秒 | Weblog
後数日で3月が終わり、新年度の4月に入る。
本来ならば気持ちも切り替わり、新しい桜の花が咲く季節に、わくわくする気分が芽生えるはずが、今年は全くその気にならん。

プラス材料全くなし。
今月は何度か、気分を持ち挙げようと努力したが2日と続かなかった。
そういえば、2月のオリンピック開催時も同じようで、選手の苦労を想い、それに比べれば
ミジンコと鯨ほどの差だと思いなおしてやり過ごした。

3月はめまぐるしく仕事も生活も様々な要因に心を砕き、挙句の果て風邪を引いた。
雪は3月に入ってからのほうが良く降り、晴れ晴れとした晴天の日が記憶にない。


信州へ引越してこれで3年目だが、毎年の冬に感じる内容は異なった。
新しく生活する土地に新鮮さを感じ、なんでも感激していたはずだが、眼の中に入ってくる物が違ってきた。

この1週間は風邪が治らず、いよいよ酷く、もう嫌気がさしている。

臭いも味も失っている。

洟はかんでも、かんでも底なし沼。
声はおじさんの如く、咳き込んでは酸欠でどうしようもない。
これが1週間続いているから、もうメンタル面で負けている。

午前中の僅かの隙間を見て犬の散歩をさせたが、梅の花はまだつぼみが開かず、ご覧のとおり。





梅も桜も桃の花も一緒に咲く地方は春は待たせられる。

来週は、いよいよ諏訪地方の7年に1度の御柱が始まる。
どの地区でも予行演習に時間を費やしご苦労様である。

福島の田舎から中学時代の同級生がマイクロバスで1泊2日で見物に来る。
18人というがチョットした同級会になる。
田舎側の幹事が今日電話をして来た。

電話に出たオジサン声の私の声を聞いているはずが、あら、元気じゃない?と言う。
おっとっと・・・・鼻をかんだら、誰か傍にいる?とも。

のんびりとした話し方で、話しているうちにどうもかみ合わなくなってきたので又会った時に、と出かける寸前に来た電話はおしまいにした。

ああ何とかすっきりとした気分に戻りたい・・・・。

とほほほ。

常に、超のんきなのはこの子だけ。    

ほっとする

2010年03月26日 22時50分25秒 | Weblog
ムスメが出国して二日経ち、夕方携帯メールに連絡が入った。

仕事先を出て、駐車場まで歩きながら携帯を開いたら、メールが届いていた。
昨夜から雪が降り、5センチほど積もったが、道路が凍り、気温はマイナス8度になっていたので
ムスメがブルキナファソで35度もあると言い、その差43度・・・・考えられない。
洗濯物は直ぐ乾くというが、原村は洗濯物は直ぐ凍るから、外へは干せない有様。

無事着いたと書いてあるのを見てなぜか涙ぐんでしまった。

これから2年間が始まるが、考えてみれば2年間というより、もう2年間がカウントダウンが始まったのだ。

ムスメよ、アフリカのお国のためにお役に立てるよう頑張れ!


再び雪景色

2010年03月25日 22時15分13秒 | Weblog
寒い~寒い~こころ、寒い~♪

今日も気温マイナス、しかも午後から雪が降っています。

先週の土曜日、東京で桜の花見をして、信州も今月は無理としても、4月に入ったら・・・と妄想を固めていました。

その妄想もばっさり切り捨てられ、風邪を引くし、今日は雪が降ってきて、夕方原村は
白い雪景色に戻っていました。

犬達にとって昨日のような雨降りであると、外へ出られないから、全くもって面白くない。
不機嫌の一日となるが、雪が降れば体は濡れても、泥だらけの足にならず叱られないから、
直ぐに家から飛び出して行く。

チューリップも水仙も、芽が出たけれど、雪の中に潜ってしまった・・・・。

春は名のみの風の寒さよ~




戦意喪失

2010年03月24日 23時16分25秒 | Weblog
 

あのキム、ヨナ選手が戦意喪失しトリノのWCでの公式練習を休んだそうだ。
全身全霊バンクーバー五輪を目指して、金メダル獲得の後だから脱落感も相当だろうと思われる。

小市民には想像もつかない世界であるが、特にスポーツ選手は長く保ち続ける精神力のコントロールは多分チームで対策を立てていることであろうが苦しいであろう。

何でも初めがあり終わりがやってくる。
今は3月、退職、卒業、と終了し、間もなく直ぐに新人の季節が待ち受けている。
片やわくわく新しい環境にはいらんとあれこれ準備中であろうが、終わりを迎えるものにとっては忙しさもあるが、喪失感も同時にのしかかっているはず。

来週は送別会が続く。
職場も今回は大型クラスが続々退職するという。

トップクラスがそんなにいなくなって大丈夫?と思わず聞きたくなってしまう。
けれど確実に次なる予備軍は力を蓄えて待っている。
バトンタッチも落とさなければ良い。

後2週間弱、取り巻く環境はふわふわ中途半端な空気が微妙に感じられ、当方の心も不安定になっている。
季節の移り変わる今頃はいつも同じだ。
余計、着ている洋服まで及び、毎日出かける際、乏しいレパートリーから悩みながら選んでいる。
この数日雨が土砂降り状態で降り続け、気温も低いので、寒い寒いの連発でいる。

先日、珍しく北海道の舞台で、森昌子が悲しみ本線日本海の歌を歌った番組を見た。
寒い~寒い、心ー寒い、悲しみ本線、日本海と歌っていたが、しみじみその歌詞は今の気持ちにぴったりと収まるのを感じる。

  

    

旅立ち

2010年03月23日 23時17分13秒 | Weblog






JICAの訓練が修了し、10日ばかり実家へ戻り、出たり入ったり・・・・実際に二日続けて家に居たのは昨日のみで、慌しくムスメは成田へ行ってしまった。
明日はパリ経由で西アフリカのブルキナファソへ赴任する。

これまで何度も出たり入ったりの生活に親の私も慣れて行ったが今度はどこか違う。
2年間の間、一度も一時帰国できないことが大きく離れている気持ちにさせられてしまう。

子離れしなくてはと思っても現実的には、なかなかその気持ちを持つまでは時間がかかるのかもしれない。

疲れ果てたそのあと、風邪を引いた。

具合が悪く何もやる気が出ない。
ぽやーっとして仕事から帰ってから時間を過ごした。
喉をやられ声変わりしておじさんのような声になりますます自分に嫌気がさしている。
仕事場でも咳が出て洟ばかりかんで、あたかもばい菌のようだ。

春は近いし桜の花の開花もニュースで聞くが、まだまだ澱んだ気分で今月が過ぎていくのを待つばかりである。



第1回目のお花見

2010年03月22日 23時58分27秒 | Weblog
3連休の初日、東京へ出かけた。
病気療養中の会社の先輩に会いに行く為だが、ムスメの赴任とムスコの帰国の報告とお見舞いを兼ねて暫く振りに顔を合わすことになった。

ムスメは長野から、ムスコは神奈川県から、そして私は雪が残る原村からそれぞれ集合となる。
ところが3連休の初日、道路は渋滞が始まり、とうとう中央道は日野バス停で、運転手からこれから渋滞のため新宿到着が1時間遅くなりますのでお急ぎの方は
JRにお乗換え下さいと言われ、瞬間バスから降りてしまった。

土地勘もないがモノレールと中央線経由で新宿到着30分遅れでかろうじて間に合った。
ムスメの長野からの関越道はもっと混み合い、大変な目に合い1時間半遅れで着いた。

代々木上原の和食屋さんで久し振りに都会的な食事を頂き、その後桜の花が咲き始めた東大の構内と
駒場公園を散歩する。
思えばまだ雪の残る2日前にも吹雪になった原村から途中山梨あたりから気温が変わり、桜も咲き出し東京はぽかぽか陽気であり
コートを着ないで来て正解であった。

駒場公園は前田侯爵の屋敷跡で、広大な土地に大木が茂り、長いこと東京に住み、井の頭線で渋谷に出かけていたがこれまで訪れることがなかった。
枝垂桜が咲き出し、小彼岸桜が満開で、今年初めの桜見物をゆっくり行なった。

 


3年前に長野県へ移住し、暫く東京から心が離れていたが多分意識的にそうしていたので、最近ちょいちょい出かけるチャンスが出来たら、まだまだ引っ込んでしまうには惜しい。
出かけてくれば刺激的で面白い場所で夏以外は時々出て来ようと思う。

夜原村にムスメと戻ったが、星が綺麗で、空気が冷たく、真っ暗な中車で家に向かう時にはああほっとするなぁと自分の居場所を見つけていたのである。

 

春を感じさせる山々

2010年03月14日 16時54分23秒 | Weblog
 
                        
                   
ズームラインから見た八ヶ岳          



2月から3月にかけて、週末は天気が悪く、雪が多く外歩きが出来なかった。
気温も通年より低く、寒さでいじけていた。

犬達は明らかに散歩の回数が激減し、2匹は太ってしまった。
信州の人間は冬太りするが犬も人間と同じだ。
炬燵に潜っているから、ストレスは増え、無駄吠えをするようになった。

今日は珍しく天気も良くなり、雪が融け始め道路はびちゃびちゃだが、散歩へ連れ出した。
八ヶ岳も、北アルプスも、駒ケ岳も、久し振りにその姿を見るような気がする。
先週は吹雪に見舞われ、恐い思いをして、雪掻きのためいまだに体が痛い。

天気は良いが雪が残っているので気温は低いが、それでも春の空気を感じる。
ぐるっと思いつくまま、歩き回り、犬達はへたってしまったが無理やり歩かせた。

2時間近く歩き、戻ってきたが、足を拭こうとひっくり返したら足の短い2匹はお腹が泥だらけになっていた。

抱えて浴室に放り込みシャワーで洗ったが、その後は泥で汚れた浴室の掃除に追われた。
週末はとても短い。
娘も息子も昨日は2人で東京に戻っていった。
残された母は何だかわびしく、温泉に行く。
筋肉痛や先週から導入した新システムの疲れや、諸々温泉でぬるいお風呂に浸かりゆっくり回復させた。

やはりこれに限る。温泉地帯に住んでいる特権で、どこでも選べるし、時間も惜しまず使える。

散歩や温泉で疲れを取り、又明日からの忙しい毎日に突入していこう。

→北アルプスと駒ケ岳

   

祝う

2010年03月14日 16時23分14秒 | Weblog
3月11日は誕生日であった。
60才を過ぎてから、環境が変わったためか毎日がめまぐるしく忙しいし、1年が過ぎるのがとても早い。
それでも確実に年齢は刻んでいく。

40年前、変化を求め、自分の弱点を克服しようと1年間進学した。
20年前再就職した。
10年前に自分自身が独立し新しい土地で生活を始めた。
いつだって先々どのような人生が待っているか想像もつかず飛び込んで行っただけ。
勇気を持てば何とかなるという教訓を得ることが出来た。

この日はムスメの訓練の修了式でもあり、家に戻ってくるので休暇を取り駒ヶ根へ迎えに行った。。

204名の訓練生が一人一人が派遣先の国別に修了証書を授与される。
福島県の二本松の訓練所とあわせて500名近くの訓練生がこの1月から3月の期間、65日間
の訓練を終了しやがて間もなく、アジア、中南米、アフリカ、オセアニアなどに派遣されていく。

厳しい訓練を終了した訓練生は個性豊かで、明るく賑やかに別れを告げている。
年齢も21歳から60数歳までの幅広い年代差で親子以上の差がある。

休暇を取った息子も夜、原村へ到着し、それぞれ帰国祝い、修了祝い、誕生祝を行なった。
21年度も変化が多く、その代わり思い出も沢山残った。

24日にはアフリカへ派遣されて2年間戻ってこないムスメはどのような成長をするか、
離れている期間せめて自分の身を守っていこう。



吹雪いた翌日

2010年03月10日 21時40分44秒 | Weblog
恐る恐る朝玄関から外へ出た。
けれどとが開かない。
凍っていて、雪が降り積もり、やかんにお湯を汲んで解かしてから開けた。
見る限り雪の原。

早朝4時半、防備して長靴を履き、雪掻きシャベルを持ち足を踏み出したが、ズボッと潜った。
多分、吹き溜まりになっている場所は70センチくらい。
長ぐつが潜ってしまう。

これはえらい事になっている。
あまりにも雪が深く鋤くっても鋤くっても重たくて投げ捨てるには重労働だ。
車は雪の中で潜っており、その場所まで行くにも雪をかかなくてはならない。
外の道路までの長い距離の雪掻きは考えただけでも絶望的。
近所は誰も雪掻きはしていない。

兎も角車が動くところまでは雪をかかなければならないから、何も考えずひたすら
機械的に雪をかく。
腰は痛いし、腕は折れそう。雪は重すぎる。

おまけに夜の間に、外の国道はショベルカーが雪をかいていき、雪の壁を作っていくので
その壁を突破らねば出られない。
2時間かかり、車の通れる程度に通路を作った。

もう時間が足りない。
仕事に出かけねばならない。
腰が曲がり腕がぶるぶる震えもう限界。

犬を庭に出してみたが流石に深い雪で、彼らはひるんだ後飛び出して行ったが、
モグラがトンネルの中を進むようなもので、途中で帰ってきた。


この先、毎年雪が多ければ、老女の雪掻きは負担が多すぎて到底生活は無理だから
原村に移住するのはやめよう。

高速道路は閉鎖し、国道20号に出て諏訪に向かうが、渋滞でずるずる走り、勤務先には遅刻した。

吹雪になりにけり

2010年03月09日 21時19分57秒 | Weblog
18時、仕事が終わり外へ出たら雪が降っている。
駐車場まで風混じりの雪を避け傘をさし歩くが、いつもより気温が大分低く、手がかじかんだ。
車はすっぽり雪で囲まれ、雪を払い落とし走り始まったが、途中から国道20号線は渋滞が始まった。
どんどん雪はフロントガラスに吹っかけるが風であおられ渦を巻き目が回る。

ここは北海道の原野か?

と思うほどの横殴りの雪で段々前が見えなくなってきた。
温度差でガラスは曇り、渋滞でのろのろ状態だし、なかなか進まない。

諏訪から茅野を抜け原村に入るまで2時間近くかかった。
日頃30分で到着する距離だが、この横殴りの雪は初めて見る異常さである。
恐怖感が出てくる。
原村に入ったが、雪が積もり道路の境界の見境がつかず、吹き溜まりがあちらこちらで小山になっている。

走っているくまがないため車のわだちもなく、車はハンドルを取られ、危うく横滑りをしそうになった。

恐い!
新車で4輪駆動で北海道仕様の冬タイヤであるのにガタガタ横揺れする。
ハンドルを握り締め標高1150㍍の自宅まで駆け上っていくが、今日はこんな高原地帯であるために積雪が違うのを思い知る。

家の前の道路は上り坂で新雪のため車が進まない。

明日はどうなっているのだろう?

外では更にごーごーと唸り声を上げ雪が吹雪いている。
雪が吹っかけてくるので窓が開けられない。
家は風で揺れ、テレビのアンアテナが飛ばされやしないか、心配だ。

既に50センチは積もっていた。

2時間以上かかって家に到着し、明日の出勤が危ぶまれ、あらかじめ上司に電話を入れた。
すると、ここでは30センチや40センチの雪は珍しくないので、明日は気をつけながら是非出てきてくださいと云われた。

上司の住んでいる諏訪とこの原村とでは積雪は雲泥の差である。
危機感を感じられないのであろうが、こちらは命がけである。
仕事に対しての責任感は人一倍強いつもりだが、この状況は別である。
何が何でも出て来いといわれ、素直になれない気分だ。
もし事故になったら、誰が責任を負うのであろう。

唸り声を上げながら吹雪く雪に恐怖を感じ、明日の雪掻きを思いながら早寝することにしよう。





おひとり様の定期かたづけ

2010年03月07日 18時14分57秒 | Weblog
この2日間の週末は悪天候で雪に降られて終わる。
3月になり春が待ち遠しく、チューリップや水仙の芽が僅かにのぞき始めたと、
大発見したがそれも虚しく冬に舞い戻った。

庭に続く畑はヤット黒い土が見え始め犬達が泥足で戻ってくるのを押さえつけ、足を洗い
家の中に入るのを許可するが、この2日間の雪で犬達は好き勝手に縦横無尽に駆け回る。
嬉しそうに全身雪だらけになり戻ってくる。

金曜日の午後いつもどおり健診後の保健指導を行なったが、その中にとても我が業界では大先輩の偉い方の指導を行なった。
と言っても後でわかったことで、長野県に住んで間がない自分はこの道は知識がないもので
向き合って話している内に、ご自分の私生活の様子や、忙しい生活のため食生活が乱れていることなどが出て来て、一人の生活は駄目ねぇなどの会話に明け暮れた。

自分も今は一人の生活であり、上野千鶴子さんのおひとり様の老後などが話題になり、
家に戻ってきてから部屋を見渡し、あら、いつの間にか又物が増えたわ・・・・と反省する。

とてもきれいにして片付け魔だと思っているが、人間死んだらごみが出ると言う説をいつも
教訓にしているから、きになるのかもしれない。
シカゴから帰任した息子が荷物が届きダンボールのために部屋が1個物置になったと言う。

それも数年前に信州へ移住する際経験して、ちまちま整理して捨ててきた。

雪が降り続き外へ出る用事がないため、今日は部屋の片付けに廻った。
案の定、犬の子守をしながらあっちへ行きこっちへ来てははかどらない作業が続き
それでも時々決心しては、人間死んだらごみになると自分に言い聞かせ、夕方やっと
ビフォー、アフターの区別が出来るくらいに片付いた。

今週は駒ヶ根の収容所で訓練中の娘が戻ってくる。
今朝の朝日新聞に海外ボランティアという選択、世界のために私が出来ることというタイトルで1面記事が掲載された。
JICAボランテイア派遣者と経験者の座談会の記事だがこれを読んでムスメのこれからが少し理解できた。
勿論、訓練前に頂いた資料やムスメのブログからも訓練中の生活の中身は把握できたがそれはごく一部で、はなはだ親としてはお粗末な知識でいる。
現在派遣中の2,500人の中に入り、24日には西アフリカに派遣されていく。
今週帰宅しても、忙しく碌に家に居ることはなく、あちこち飛び回り、2年間離れる友人達
に挨拶し、自治体に挨拶回りし、何だか自分のこれまでのムスメとは様子が変わってきた。

いよいよ子離れかぁと思いながら、台所を片付ける時間は頭が冴えわたった。
子供の心配をする年齢ではなく、むしろ子供達から逆に心配される立場に廻ってきたため
この離れている2年間が自分の正念場になってきた。
あぁ、老け込んではいられない、認知症予備軍などとふざけていられない。

雪はまだまだ降り続いている。
写真はお昼頃の様子だが、車の上に積もった雪は更に増え、雪下ろしをせねば明日はエンジンがかからないことになる。



 

春の嵐

2010年03月04日 21時14分21秒 | Weblog
今外は雪が降り続いています。
もう既に5センチは積もりました。

立春を過ぎてから寒くなり雪が何度か降り、しかし4月の中頃の様な暖かい日がやってきた。
そして3月になりそれほど寒い日はないだろうと油断していた。
今朝も雪がふっかけて通勤は雪の道路を走るが、途中から雨に変わった。

諏訪は雨の一日だった。
今日で4日目の新システムも問題がなく働いてくれた。
これまで終業も遅かったので、今日は定時で帰ろうと着替えをして外へ出たらまだ明るかった。
明るい時間に帰るほど嬉しいことはない。

雨がまだ降り続いているので一目散に家に向かったがあららら・・・・途中から原村に入った途端雪景色変わっていた。
しかも風が強く大荒れ状態。

明日の朝まで降り続くという天気予報に、困ったなぁ、雪掻きをしなければならないかな?

雪掻きの朝は1時間は早く起きなければならない。
春先に降る雪は水分が多く重たいのですくって持ち上げる時が大変である。
時間は直ぐにたってしまう。

帰宅がいつもより早いと余裕のよっちゃん、料理に精を出す。
鰹節でだしをとり、お澄ましを作る。
デザートには寒天ぱぱの杏仁豆腐までが出来上がった。
お弁当のおかずも作った。

帰宅が毎日遅いと生活はすさんでくるがこうして、定時で帰れると余裕を持って家事が出来るから全然違う。

まだ外は荒れている。

よれよれ、へろへろ

2010年03月02日 23時23分43秒 | Weblog
3月1日から勤務先の診療部門が紙ベースのカルテから、電子カルテに変わった。
準備は半年も前からプロジェクトが密なる会議を重ね、デモを行い2月が終了した。
同時に健診部門もこれまでの健診システムから新しいシステムに入れ替わることになり
両システムを導入し2月はほとんど、時間外勤務でその演習をおこなってきた。
と言っても架空のからのシステムであるからどのような動きをするか
その先まで繋がらないので、実際に患者や健診受診者が来てからが立ち上がるのである。

3月1日は恐かった。
実際に動くのか。
エラー続出にならないか。
自分達がスムースに使って日常業務をこなせるか。
システムが変わると同時にかかわる帳票類も全部変更していく。

何と言っても眼が慣れないのでどこになにがあるのか時間がかかる。
1日は少し早く出勤し、準備態勢に着いた。
受診者も絞込み、混乱を防ぐため少ない人数で一日を流した。
システム会社の社員も動員され、あちらこちらに配置され、物々しい雰囲気になった。
2日目のほうがエラーが発見され作業はブツ切れ状態で担当者は呼び出され、追いつかなくなった。
様々な複雑な機能にリンクされるはずが、その場でストップし入力不能になる。

夕方まで及んでもまだまだ山積み状態の課題が残された。
2つのシステム会社の繋がりも良くない様で、これは動き出さないとわからない問題である。

2日間新装開店なる動きをして、精神状態はヘロヘロになった。
帰宅してから夕食後、炬燵で眠くて眼が開かない。
何とだらしない自分になったのかと霞んだ頭で、夜中に及んで正気を取り戻す。

ボールペンの換え芯がひどく早く交換せねばならないほど文字を書く毎日だったが、
電子カルテに変わり紙がなくなり、文字を書く場面が僅かになってしまった。
老後は美しい文字で手紙を書きたいという願いから又1歩遠ざかっていくのである。