信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

落ち込みの1週間

2014年11月29日 13時35分35秒 | Weblog
人間、長く生きれば色々降りかかってくる。
幸、不幸はあざなえる縄のごとく混ざり合って神様は試練として与えてくれる。
とはいうものの、災いはできれば避けたい。

23日の3連休の間、原村へ所用があり出かけて、その帰り折角行ったので
小淵沢のアウトレットに寄り大混雑だったので、気に入ったお店でのコーヒー豆を
焙煎してもらい帰ってくる事にした。
駐車場はいつもながら混雑し、お店から遠い駐車場まで開放している。

エンジンをかけ、出口までの直線道路を走行中、いきなり右側車体にどーんという
ショックを感じやられた!
追突されたかと思い停車した。

もうそれからは事故の一般的セオリーに従い、頭の中だけやけにクリアーで
そのまま茅野のホンダにより代車を借り、暗くなってしまった夜道を帰宅した。

ところが・・・・すっかり回復に近い犬が様子がおかしい。
ガーン。
後ろ足が麻痺してまたもや歩けなくなっている。
もうダブルショックで自分ではなくなってしまった。

またもや3連休の真ん中の休日のため、動物病院には直ぐに診てもらえない。
ダブルの苦難は老女の過去の経験を越し、流石に疲労困憊の1週間を送る。

しかし前へ進まねばならない。
保険会社、動物病院とのやり取りで忙しく、この世で一番不幸の女王と思ったのも
そのまま留まっていられず、もう1週間が経つ。
昨日から今日は雨が降りかなりの雨量だ。
雨が降っても明日は晴れると思えばよい。

犬のヘルニアは再発ではなく、別な場所が又ヘルニアになったとの診断。
1回の手術で治ることより2回も続くケースもあるようで、人間もそうだが
動物も老齢化するとともに全身が衰えるのだ。
どん底から又這い上がる時が又やって来てしまった。

かやぶき倶楽部で大合唱

2014年11月17日 19時18分37秒 | Weblog
毎月第3土曜日は午前中がバラ園のボランテイアで
午後は3時から近隣のお寺での音楽倶楽部の集まりがあり
それぞれ全く異なった集団の中に入り時間を共にする。

1月になるとぐんと寒くなり、高遠のしんわの丘のバラ園もバラの休養期に入り
春の芽吹きの時期までに行う作業をする。
といってもまだ気温は低くなるがまだまだ花を咲かせている品種も多い。
今回は肥料を施す前の仮剪定と肥料を入れる。
バラの根元をぐるりと50センチほど堀り肥料と牛糞、苦土をそれぞれ決められた量を入れて行く。
50センチを掘るのはなかなかの労働だ。
しんわの丘のバラガーデンは沢山のバラの木が植えてあるがボランテイアの人数が多いので
集団の力は早い。
家庭ではこういう訳には行かないが基本をきっちり講師の先生が教えてくださるので、家に帰ったら
直ぐにでも試してみたくなる。

伊那に引っ越して8本のバラを今年植えたがいずれも土地が上質だったためか、
新しいシュートが伸び放題になった。

午後は金鳳寺での月に一度の音楽の趣味倶楽部に出かける。
お寺は紅葉も終盤だが高台にあるため庭が楽しめるし、周囲の景色も近隣とは思えない。
先月から初めて入会したが、海外で活躍している女性のバイオリンとピアノの演奏会であった。

今月はエレクトーン演奏と、音楽はどんな風に生まれたのでしょうかという講和があった。
演奏者の橋本裕美さんは奈良県出身で伊那に移住後、バンド活動や保育園や子育て支援センターで
ボランテイア活動を行っており演奏暦はとても長い。
楽曲により様々な種類の音を奏で、宗教音楽、ポップス、黒人から発したマーチ、そしてLet It Go
と4曲演奏がある。
演奏している橋本さんの表情はとても素敵だ。
手拍子しながら気分がうきうきしてくるのは音楽の特徴だ。

お寺の住職さんの奥様が元音楽教師というご縁でこの倶楽部が始まったそうだが
山崎圭子先生は約1時間近く音楽の生まれたお話をしてくださった。

中学や高校時代音楽の時間があったが、何一つ思い出せなく、
バッハやベートーベンの歴史を居眠りしたくなるほど退屈だと思ったし、
合唱もいい加減に歌い、今の生活に何が役立ったのだろう。

成長過程で流行った流行歌や時代とともに生まれた楽曲に影響されたのを今になって強く思う。
といって、クラシックコンサートも若いときは
サントリーホールやオーチャードホールに毎月のように出かけた年もあった。

今はマゴの成長に合わせ童謡を歌っているし記憶を掘り起こして、
昔は良い歌に恵まれていたなどとも思っている。
 
大きな声で合唱をして会は終わるが、毎回、帰る時はスッキリ、、サッパリした心地になり
陰で会を守り立ててくださる役員さんやお寺さんに感謝する。
自分を元気づける方法はここにもあるのだ。

      


自家製の白菜漬けが出来る

2014年11月14日 15時25分41秒 | Weblog
最強寒波が列島襲来、今期一番の寒さに、というがなるほど朝起きたら庭が真っ白になっており、
あれ?雪かと思ったら霜だった。

昨日の強風も今日はやんだが、気温は下がった。近くの畑の野菜は野沢菜を残し大根や白菜が
漬物になるのか収穫されて姿を消した。

我が家も今回、人生初めての白菜作りをしたが、果たして丸く結球して白菜らしいものが
出来上がるのか心配した。
ちなみに、6株植えてみた。

原村に住んでいたときは良く知りもせず、畑に大根や聖護院蕪を沢山種をまき
成長を楽しみにしたが、食べきれないほどの量となり、春までかかっても消費しきれず
一度で懲りてしまった。
塩分の量も控えねばならないし、もう漬物の種類を多く作るのはやめようと学習したものだ。

今回は6株植えた白菜は大きく成長し、虫除けのトンネルからはみ出してしまった。
農家の人たちから見たらチャンチャラ可笑しいと思うかも知れないが、今日2個目を収穫した。
初めの取立ては大泉の友人にプレゼントした。




大きくて抱えきれないほどの大きさで、漬物用にいくつかに切り干した。
1個分が小さな白菜では3個分くらいの大きさだ。



1個でこんなにと自分でもこれまでスーパーなどで買って漬物にした過去の経験からは
初めての大きさだ。
もう何度か霜に当たっているので味が良いとなお更嬉しい。

しめしめ、こんなにうまく行くとは思わなかったので来年も野菜作りリストに入れようではないか。
唐辛子も真っ赤に育ち一緒に漬物に入れよう。



今日も木曽駒ケ岳の山頂付近は雪が降り続いているが、里山は晩秋の最後ののどかな景色だ。
空き家の柿はすずなりだが食べられることなく毎年、枝で干し柿になっていく。





寒風の吹く中、仕事集団パワー全開

2014年11月13日 20時16分38秒 | Weblog
キャベツは苗を植えて、90日で収穫になる。
9月の収穫で横の畑に植えられて並んでいた苗は10月末頃に最後の仕事になるであろう
と言われていたが、今日、お仕事ですよと声がかかった。

朝起きたらまだ弱い雨が降っており気温がぐんと下がった。
沢山着こんで畑へ行くとすでにもう集合している。
夏の頃と違い農家の繁忙期も終わり、今回は参加者も多く12,3人いる。
気温は低くてもキャベツは育っていた。

ううう・・・・さぶい。

前方の木曽駒ケ岳や空木岳は雪が降っており、麓付近にまで雪が吹っかけて来て白く霞んでいる。
肩がすくんでしまう冬景色の日である。

男の人たちは、こんな日は炬燵に入って一日中動かないねとか言いながら、キャベツの収穫が始まった。
時々風が強く吹き重いキャベツを抱えていても、飛ばされそうな勢いだ。
人数が多いから、午前中でキャベツの切り取りは済んで、コンテナに積み込む作業になる。

6月から8月頃の暑い日陰もない直射日光に頭から噴出す汗が目に入りながら暑くて倒れそう~と
言いながら仕事が終わって家に帰るとシャワーを浴びに浴室に飛び込んだものだ。

今は寒くなり、鼻水を垂らしながらせっせと手足を動かしている。
動いていないと寒くていられない。
この数ヶ月一緒に働き、気心がわかり、寒くても暑くても働くのは楽しいものだ。
作業の手順も覚えたためと土地に馴れた為もある。

今年最後のキャベツの収穫作業は25日頃になるという。
休憩時間におやつを食べながら夏の暑かったときの思い出を語り
家に帰った時は寒い時間に働きながら何だか気持ちが華やいでいた。

外へ出て働くことと、人に接することが楽しいのは長らく仕事を持って働いてきたので
体に馴染んでしまっているのであろう。
恐るべき老人パワー仕事集団には一緒に働いていると元気をもらうから、伊那に来て
誘ってもらって本当に良かったと思っている。

ムスメの嫁ぎ先でお母さんはどうやって仕事を探したの?と聞かれたそうだが
信州へ引越し、アネモネと菊作り農家、ブロッコリー農家、そしてトマトとキャベツ生産農家
から手伝ってくれといつも降って湧いて声がかかり、長かった専門の医療と全く異なる異業種の
仕事を経験できるのは体が健康なため幸運といえるかもしれない。

犬の術後経過

2014年11月12日 17時30分46秒 | Weblog
9月15日の夕方突然飼い犬のうちの1匹が歩けなくなり、後ろ足が麻痺してしまった。その週には
手術して以来、先が見えない介護犬となり術後2週間後から自宅でリハビリ生活に入った。

人間だったら病気についてはある程度理解が出来るはずだが、動物では言葉も通じないし
何が起きたかわからないままに苦しいであろうと思った。

痛がるのだが無理にでもリハビリで麻痺した神経に刺激を与えて歩けるようになるまで
飼い主の努力です。と主治医に言われ、はあ・・・と弱気な返事をした。

以前2度ほどこの犬には手を噛まれ手痛い目にあっているので本能的に怖さが先立ち
ひるんでしまう。
術後2週間目での受診では全く麻痺したまま歩けるには程遠く、まあ、1年くらいかかるかもしれないと
言われ暗い気持ちで帰ってきた。
次回は1ヵ月後に見せてくださいといわれ、夜といわず昼といわず犬にせがまれるままに
抱っこして庭に連れて行き排泄させる。
オムツをつけるのを勧められたが、プライドが高いわが飼い犬はトイレへ行きたいときは
甲高い声で吠える。
水を飲みたい、ご飯を食べたい、痛い、体を動かして移動したいとかしょっちゅう要求が出る。
見当をつけて面倒を見るが当たる時もあるし空振りの時もある。
ああ何がしたいのかわからん、と思うときが多かった。
背中の手術の傷は2週間目には抜糸して恐る恐る抱っこしていたのが少しほっとする。

それからこの11月初めの手術してから約1か月はんも経たないうちに、引きずっていた後ろ足が
よろよろながら歩けるようになってくる。
先週、診察に伺うが、まさかのこと、歩けるようになったとは思わない主治医は驚きです、
すばらしい回復力ですと言われた。
いつもは厳しいこわもてのセンセイだがこの日は笑顔だった。
両足が一度に回復したことではなく、左足がまだよろつくが、それはヘルニアで飛び出した神経が
左足の方が強かったためで、次第に回復はこれからも期待できますと言われる。

ただ全く歩けなくなったのがよろよろながら、家の敷地内を歩けるようになったので、元通りまではいけなくても
自分で歩いて排泄が出来るようになればたいしたものと評価せねばならない。
もともと、もう1匹の犬に比べれば散歩が好きでないので庭を歩いていればそれで十分。
気持ちの上で100と0くらいの差がある。
介護中は重い気持ちを隠し、へらへらしていたが、本当に悲しいと気持ちは反対に笑顔を続けたりする。

言葉が通じない動物の介護は済んでしまえば時間も短く、主治医の技術と、家族のなおしてあげたい必死さと
で内科的な治療を選ばず、手術を選んだことで回復が早かったのは運の良さもあった。
今になると、マゴとムスメを載せて環八沿いの練馬へMRI写真を撮りに、必死で高速をすっ飛ばし
往復したのは火事場の馬鹿力としか言えず、
待ち時間のお昼に近くでお寿司を食べたのがホンワカとした思い出に残った。
ただ、反省は残り、散歩せねばならない義務感で犬を毎日引きずりまわしていた自分が、
前駆症状が読み取れなかった事はいつまでも悔やむであろう。




背中を手術のために四角く刈り取った跡は大分目立たなくなった




このデッキの階段2段を自分で降りて散歩するようになった

柿の思い出

2014年11月10日 21時03分47秒 | Weblog
伊那に引越しして散歩をするたびに思うが、どこを歩いても柿の木が多いなということだ。
勿論車で走っても、もっと目に入ってくる。
飯田のほうには市田柿という名産品があるが、それにしても鈴なりの柿木が目立つ。
もう晩秋に向かっているが、鈴なりはずっと鈴なりのままで捥がれる様子がない。

10月の中旬、友人から電話があり、渋柿だが、干し柿にするならと
ダンボールに二つの大量の柿を頂いた。
平種柿の種無しだが、ムスメと分け合って、ひたすら剥いて紐で結んで干したところ、大変な
重労働をした感じになった。



1ヵ月も干したら半分以下に干上がった

今、散歩をしていると途中で声をかけられ、柿を上げると持たされる。
今年は豊作で、柿の皮は沢庵漬けに使うが、柿の実は食べる人がいないと田んぼに沢山捨てられている。
親切に枝を折ってくれるのを断るに断れず、感謝しながら持ちきれないほどの柿を剥いては干し柿にする。

神奈川から原村に引越し、赤十字病院に勤務した時の数年間、同僚から毎年、大きな干し柿用の柿を
頂き、季節の仕事として楽しみに干し柿を作っていた。
あの柿は立派な大きさで味も良く、良い思い出を残した。干し柿作りはあれから始まったのだ。


今日剥いた柿はとても大きい


子供の頃を振り返れば柿泥棒と言う言葉があった。
柿の実を盗んではわーと逃げ回る子供たちがいた。
昭和20年代の子供はおやつなどと言う言葉もなくとうもろこしや蒸したジャガイモ
やトマトやきゅうりをお腹がすけば食べて育った。
お菓子が出回ったのは大分後だ。
あの頃食べた柿の実は甘いと思っていた。
雪が降っている冬には炬燵に入って熟し柿を食べるのが楽しみの一つだった。

中学時代、福島では秋になると全校生揃って3日間、イナゴ取りをしてコンテストをした。
当時は田んぼには農薬を使わなかったからイナゴが沢山いたものだ。
チャンピオンは1俵の米袋に取ってきたが、いい加減に遊んでばかりいた我々は母親が縫ってくれた
手ぬぐいの袋の底で数匹がぴょんぴょんはねている程度しか取らなかった。
川で遊んだり柿泥棒をしたりの思い出だけが残っている。

柿の木だって裸足で木に登り高い枝に上手に登れるものが偉かった。
柿の枝は折れやすいから、大人には登るな、と言い聞かせられていたが、そんなことは無頓着で
学校から帰ると木登りをして遊んだ。
柿の花が咲く時期は糸で花を通して首飾りを作って遊んだ。
その花の甘い香りは今でも思い出せる。

今、豊富に頂く柿は何だか甘くない。
貧乏な子供時代に食べたものの方が美味しく感じる。
沢山作って干した干し柿も、自分で食べるかといえばそうではない。
裕福になった時代は人間の心から食べ物に対しても感謝の念を奪ったのかもしれない。



このくらいの干し柿の方が絵になる




マルティナさんの腹巻帽子を編み始める

2014年11月06日 20時55分45秒 | Weblog
東北の大震災以降、気仙沼でドイツの毛糸を販売したり講習会を行い
地域の復興のため京都から移住した梅村マルティナさんをベニシアさんの
ねこしっぽというテレビ番組で知った。
日本の毛糸にはないグラデーションの美しい糸に惹かれムスメと二人で毛糸の注文をした。
冬の寒さでも散歩は欠かせないので腹巻帽子という帽子やネックウオーマーに便利に使える
商品も買った。
使い始めてみたらこれは優れもの。
朝起きたときは、首に巻けばセーター一枚分暖かい。
寒い時期には手放せないし、犬の散歩にはひょいと頭にかぶれば帽子になるし、頭も首も
すっぽりかぶせて長年使っていたカシミアのマフラーは登場しなくなった。

欲張って買い求めた毛糸類は、マゴの子守に時間を費やし、春になり夏になったら暑くて
押入れの奥にしまいこんだ。

いよいよ寒さが忍び寄り、罪悪感に刈られ毛糸を出した。
作り方を忘れ、マルティナさんのブログを閲覧したところ、マルティナさんの優しい笑顔は変わらず
毛糸の種類がますます欲しくなる彩りが増えていた。

編み方も動画で詳しく紹介されて、早速編み始めた。
まずは買い求めたものを消化せねばならないので2つ一緒に同時に編み始める。
しかし糸は細く、輪編みでぐるぐる編むが夜遅くしか編む時間がなく進まない・・・・
娘の分も編まねばならない。
毎晩、2センチくらいずつ眠くなりながら編むが便利なものは早く季節に完成したいと思っている。

先日、朝日新聞の日曜版の記事で読んだが、手編みのプレゼントについての是非だが、時代とともに
手編みは好まれなくなっている。
それもプレゼントとなると、頂くほうは気が重く、好みも合わなければ使うこともなく、
フリースや暖かい材質が取って代わり不人気になった。

青春時代、胸をときめかせてクリスマスに合わせ、毛糸のマフラーを編んだ思い出は化石と化した。

嫁いだ時代は全て手づくりが良い嫁の基準だったから洋裁も手編みも全部子供たちには手づくりをして育てたものだ。
もうマゴには通用しない時代になった。
などなど考えながら、今夜も次々に色が変わり編んでいて飽きないドイツ製の毛糸を編んで楽しんでいる。
今半分まで辿り着いている。










紅葉を堪能する

2014年11月05日 19時33分54秒 | Weblog
体調も回復し、気分が前向きとなり、お天気は快晴になった昨日、車で写真を撮りながら、北杜市の
売り出し中の土地を見に行く。
といっても直ぐに売れる訳はないと長らく持ち続けているので時々、ご近所に迷惑をかけていないか
パトロールをしている。

伊那から杖突峠を越えていくが、既に高遠城はもみじ祭りの最中で、桜も全国版で評判だが、紅葉も
紅葉が見所だ。
ここを見ていると山梨まで到着しないので心惹かれる景色を横目で見ながら里山を通過していくが
途中の道路脇で真っ赤な山紅葉が気になり一枚写す。



杖突峠も紅葉しているがむしろ、から松林が続くので黄色の景色が一面続く。
昨年は初めて見たため感動したものだ。

杖突峠から眼下に茅野市の市街地や八ヶ岳が箱庭風景のように広がり、お天気が良いともと住んでいた地域が
手に取るように美しく瞬間に遠ざかる。
北アルプスは冠雪して遠くから見てもはっとする。












原村を通過し、小淵沢と北杜市をぐるりと回り、南アルプスに背を向け八ヶ岳のアウトレットと原村の自由農園で
パンやコーヒー豆、野菜や果物を買い、最後に茅野市の紅葉が有名な長園寺に寄り2年ぶりの
真っ赤な紅葉を見てまたもや感動した。

時間的に西日が射して紅葉の色は燃えるような赤に染まり、しかも落葉もなく一枚も赤以外の葉もなく
良くぞここまでと写真を撮り続けた。
有名なお寺なので次々と観覧客は続く。


茅野まで下り帰り道になるが、道路沿いに延々、ドウダンつつじが植えられ、これもまた紅葉真っ盛りで
すばらしい紅葉を見て回った思い出に残る日となった。
やはり思い切って出かけるのは心が豊かになる一歩の踏み出しとなる。
















紅葉と降雪

2014年11月03日 14時25分47秒 | Weblog
文化の日の今日はやっと雨が上がり晴れ間になった。
しかし、気温が下がり、午前中が外気は13度となっている。
少し肌寒いなと思いながらも家の中は22度もあるので、暖房は入れないで済んでいる。

午後、ふと山のほうを見上げたら、山肌は紅葉真っ盛りで、毎週のように色が変わっていき
晩秋に向かっていく。
そして、気温が又下がったのか、木曽駒ケ岳、伊那前岳に雪雲であろうか、白く雪が降っている様子だ。

紅葉とともに雪が降っている景色は初めて見る。
八ヶ岳の麓に住んでいるときは、もう少し標高が低いので、山全体が雲で覆われ
雲が取れたときは雪山に変わっていてびっくりしたものだ。

中央アルプスは高低差も大きいので、里山付近は綺麗な秋景色だが、高い頂上付近の山々は




同じ時間でも雪が降っているのが目の前で見れる。

移住1年目の記念に、風邪を引き、気管支炎を患っている。
自助努力で薬を飲まずに時が経つに連れ治ったわと言いたかったが、甘かった・・・・・
年齢を経るにつれ回復力は右肩下がりに落ち込み、咳で窒息するかと思うような日が続き
近所の内科へ受診した。

退職後は食事は時間をかけて食材にもバランスよく、運動は十分過ぎるほどだし、恵まれた環境で
嫌な材料もないし睡眠もまあまあ、で何が悪くて風邪を引いたか?
今後は肺炎が老人の死因の1位であるからにして、我慢せず引いたら早めに治そう。

今更当たり前のことが、この歳になっても出来ていない。
いよいよか。

冬が近づいて来た。