信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

御嶽山の噴火

2014年09月28日 13時57分48秒 | Weblog
27日の土曜日、久し振りに庭の夏野菜の整理を始めた。
朝早く起きて外へ出て働き始めたところ、空気が冷たくそのまま続けられず
洋服を重ね、午前中一杯働く。
日中は気温がぐんぐん上がり、まるで夏の様子。
山は紅葉が始まって頂上付近の色が変わった。


お昼に家に入りテレビをつけてニュースで驚く。

御嶽山が噴火したと?
家の正面の中央アルプスはガスがかかり山頂付近は隠れている。
木曽駒ケ岳の奥の岐阜県境に御嶽山が聳えているが山々が幾重にも重なり、ここからは御嶽山は見えない。
ニュースにしばらく釘漬けになるが、こんな近くで重大な火山の噴火を経験するとは
考えられない。
噴火の様子にはぞっとする。
行方不明者が増え、被害状況が相当ひどい。
家の前に止めてある車を見たら、多分火山灰だろう。
グレーの細かい粒子が結構な量で車に着いている。
夜になって友人や親戚が影響はないかと心配して電話が来た。

試しに家の床を拭いてみたら、やはり雑巾をすすいだ水がグレーに濁っている。
火山灰や降ってくる石や熱い水蒸気や経験のない状況に突然真っ暗になった空に登山者は
死ぬかもしれないと恐怖感に襲われたそうだ。

たった今のニュースで頂上付近で30人以上の心肺停止している登山者を確認したそうだ。
季節柄美しい紅葉を見ようと登山した人々の痛ましい災害にどう冥福を祈っても
追いつきそうもない。
今日はすばらしく晴れ上がり山々はすっきり快晴の空に木曽駒ケ岳や宝剣岳の紅葉が
見える。





風向きは昨日と反対方向に変わり、全部岐阜県側に吹いている。硫黄の臭いはするが
火山灰は飛んできていない。


縁とは不思議なもので・・・

2014年09月24日 14時47分34秒 | Weblog
そろそろ9月も終わりに近く、稲刈りが進み、黄金色の田んぼは裸の部分が増えてきた。
ついこの間田植えが済んで、蛙の大合唱を聴きながらこれからやって来る
暑い夏を思い描いていたのに、稲刈りが終わった田んぼは寂しい。

昨年の今頃は1ヵ月後に迫ってきた伊那への引越しのために荷物の整理に明け暮れていた。
同時に、庭の草花の移植が思っていた以上に多くて掘り返す時間と、車で運んで移植する時間
に手間取っていた。
日没が早くなり思うほど作業は進まなかった。
今、庭を眺めると良くぞここまで移植した木や草花が定植し育ってくれたものと感慨深い。
何もなかった田んぼの跡地は野菜や草花で溢れ、近所からも褒められるようになった。



シュウメイ菊が良くぞ根付いた



白菜作りは人生初めての経験。


移住して土地勘は慣れたが、ご近所付き合いや自治会への入会など皆目見当つかず
大規模農家の集合地帯に越してきて知り合いもなくごみ捨てなど悩んだ時期もあった。

12月に孫が生まれ、寒さと異常な降雪の季節にすっぽりはまりマゴマゴしながら雪掻きや
薪割りによる筋肉痛が続く。春になるとともに広い庭を畑つくりと花壇にするため朝から晩まで
働き、筋肉痛は治らず慢性化した。
6月、野菜の出荷の仕事集団に参加し7,8名の中高年の農家のおじさん、おばさんと一緒に
キャベツの収穫と集荷場での出荷作業を経験し、仕事は初めてのためきつかったが集団での
やり終える作業の力に胸を打たれた。

全員70歳以上と言うが恐るべき老人パワーであった。
8月になり加工用トマトとキャベツの出荷に声がかかり本当に暑い炎天下で働いた。月に5日間くらいかな?

トマトの収穫も初めてで、カゴメトマトジュース用のトマトで地面にべたなりしているのをもぎ取り
コンテナに積んでいく。
JA上伊那の所属の法人なので研修旅行と称して富士見町の工場見学もバスで一緒に参加した。
仕事集団は1反歩の畑のトマトやキャベツを2日間くらいかけて全部収穫してしまう。
見事だ。

今日で4日間の9月の作業を終えた。
見渡すと良くぞこんなだだっ広い畑のキャベツを7人くらいで取り尽くしたと集団の力に感動するのは
いつ頃以来かな?
長らく個人プレーの仕事をしてきたので、異郷地で知合ってできた仲間と働くという経験をしたのは
心から気持ちが良くその日が終わるのを感じる。

しかも多分知合うチャンスもない人々と飾る言葉も必要なく働くことで新入りを受け入れてくれる
温かさは余り機会はないであろう。
昨日の朝、キャベツ畑に出勤したら皆、大丈夫かい?と驚く声で私の顔を見ている。
先週、犬の手術でしばらく家から出られず仕事もできないかも知れないと伝言を頼んだ。

それがいつの間にか犬ではなく私が胃の手術で入院したという話が伝わり、当の本人が顔を出したので
皆びっくりしたのである。
けれど心配してくれる間柄になったということで、私もこの伊那の地域住民に認められたのかなと
嬉しかった。
トマトの出荷は5日間で7.2tの出荷になり今年から初めてトマトを作ったオーナーは新人賞
をもらえることになったと大喜びしている。
キャベツのほうも見込んだ量より大幅に出荷出来老人パワーはすばらしい。
全く知らなかった野菜農家の厳しい仕事量を手伝い、デスクワークでは味わえない思いを得ることが出来た。

67歳、最年少、農業経験不確かのおばさん、昨年から随分と前進したと思われる。



今年の薪割りノルマの薪(楢材)100束



リハビリ生活の始まり

2014年09月23日 13時48分11秒 | Weblog
入院中のロゼが術後5日目に退院してきた。
背中の傷は2週間後に抜糸し、その間は抗生剤を飲み自宅療養になった。
危険な時期は過ぎ、犬にとってケージの中で終日閉じ込められて過ごすのは
人間と同じでストレスも高い。

連休の合間だが麻痺した後足のリハビリ体操を教受し手術前よりは多分痛みが
少なくなったのではないかと言う違いだけ理解し、引き取った。

動物病院の庭には大きな金木犀の木があり、駐車して外へ出た途端
香ってきた。
信州へ引っ越してきてご縁が無くなった香りのある木の1種である。
多分元住んでいた神奈川あたりではそろそろ咲き香る時期であろうと思っていた矢先
心地よい気分になった。

100年以上もあるであろうと思われる大木で、久しぶりに嗅いだ金木犀は
過去の生活に戻してくれる。

退院して犬はほっとしたのかどうかわからないが、麻痺した足でずりずりと室内を歩き
外へ出たい様子。
排泄は自力でするのでしばらく外へ出しておいたがずりずりと庭を這い回った跡があり
術前は動かしてはいけませんと言われていたが、今は自分でも動きたいらしい。
手術したとはいえその犬により経過は皆違い、1か月か3ヵ月か長くて9ヶ月とか
センセイは説明するが家の犬がどれに当てはまるかわからない。

家に帰ってきただけでよかったと思う。
背中の傷は大きく、透明の絆創膏が貼られ、丸見え。
昔と違い、手術創も開放的になって包帯など巻かれていない。

退職して勤務していなかったのも介護できるからよかった。
自分自身が65歳を過ぎて高齢者と呼ばれる年齢になり
いつ介護される立場になるかわからないという思いが常に頭の中をよぎるようになった。
考えても見なかった犬の介護がいきなりやって来たが、この静かな環境で恵まれた景色に支えられて
犬の回復を願っていこうと思う。



背中を良く見ると四角く毛を刈られ10針ほど縫っている




もう1匹は能天気で何が起きたかわからないが、おいら退屈で・・・と大あくび





すみません、ひんしゅくでした

ほかほか、ほのぼの

2014年09月20日 21時44分22秒 | Weblog


この1週間が早かったのか遅かったのか、わからなくなって来た。
ただ、気分は突然悲しくなる時が多い。
入院中の犬が余りにも不憫で仕事をしていてもついそちらへ気持ちがいってしまう。

今日で術後3日目となり、午前中に面会に行った。
入院中、もしくはお預かりかと思える犬が3階建てのケージの中にいる。
動物病院の裏方を初めて見たが、10匹以上いる。
おととい手術後に点滴を受けていたうちの犬は別のケージに移され、首の周りにエリザベスカラーをつけて
飼い主を見た途端ワンワン吠え始めた。
どうやら元気ではあるがまだ足の麻痺は以前と同じと思われ、自力で尿も出ていないので
お腹を押して排尿させようとしたらセンセイは噛み付かれ、それでカラーを着けられてしまった。
月曜日に退院し、自宅療養になるがまずは背中の傷が治るのが先決でその後リハビリになると説明を受けた。

手術したら足の麻痺が直ぐ取れると勘違いしてしまった。
主治医もそれ以上は説明せず、平にお願いして帰ってきた。
背中の骨を削っているのだ。そりゃあ傷口が塞がり中の細胞が回復して麻痺が治るまでには時間がかかるのは
当たり前だわ。
と思い直し早い対応に感謝しなくてはとだけ思うことにした。。

家ではもう1匹のダックスがいつもと違い相棒がいないのでやけに静かにしている。
静かすぎて居ないみたいだ。

朝夕の散歩の時も1本だけのリードを引いて歩くが、何だか物足りない。
10年以上の習慣は体に染み付いてしまった。
黄金色の田園風景は今週で稲刈りも終わり景色は変わってしまう。

散歩コースは確実に秋が深まってきており、夕暮れがどんどん早くなってきた。
夜になると急速に気温が下がり、冷え冷えする。
明日は薪業者が今年の薪を取合えず100束配達して来るので今夜はお試しのストーブを運転してみる。
真夏の脂汗が出る日にストーブの煙突掃除を業者にして頂いたが、快調だ。
薪もよく乾いており、燃え方もすこぶる良く、ホカホカと心地よい。
つい1ヶ月前はストーブなど見るのも暑かったのになあと季節の移ろいを肌で感じる。












家族の一大事

2014年09月19日 11時00分06秒 | Weblog
好天の連休は周囲の田も庭の草花も秋の陽射しに満足する美しい毎日となった。
ムスコも3連休には北アルプスに登り、帰りによっていく予定でいた。
穏やかな安定した気分で過ごしていた。

と、14日の連休の真ん中の夕方、犬を連れて近所のいつもの散歩に出かけたところ
突然、道端で1匹の年長者がきゃんと吠えて動かなくなった。
これまで食べ過ぎて2回ほど動けなくなった経験があり、死ぬのかと怖い思いをした
日々があり、今回もと、ちらりと考えたが、後ろ足だけが動かないのだ。

しばらく様子を見たが、どうにも動けず痛がる様子で抱っこして帰宅した。
それから、ダックスフントの犬に起きがちな足の麻痺といえばよくある椎間板ヘルニアかと
考えネットで検索した。
今の症状が全部当てはまり、しかも治療や詳しい病態全て書かれ、人間ならいざ知らず
動物の知識は素人並みだからたちまち不安に陥った。

こうしてはいられないと思うが、連休の真ん中。
移住して主治医を見つけて診察券を作ったが、休みだ。急患は別だと電話したが通じなく、仕方なし
片っ端から電話するが全て不通。
翌朝、泣きたい思いでもう一度、通じなかった主治医宅に電話したらお母さんとおぼしき声の方が出られて
ムスコは学会で県外に出ていますが何とか電話を入れてみますが・・・・と。
その後30分ほどで主治医から電話があり、急遽夕方帰宅して診察しますといわれる。

山から降りてきたムスコとムスメと3人で夕方診察を受け、多分椎間板ヘルニアでレベル5のうち
4段階に達しており、治療方法を説明された。
人間と違い、足が麻痺したら手術が回復に最速で、内科療法はこのレベルでは回復は困難で
神経が椎間板から飛び出したらもっと悪くなる方向に行く。
20個以上ある犬の脊椎の場所を確定し、そこを目掛けて手術するにはMRI写真で確定しするのが
手術もうまく行くそうで、翌日以降のMRI検査の予約のお願いをした。

ここで又難関が
長野県でMRI検査ができる検査機関が30日まで予約が一杯入り、あと半月もこの状態では
悪化を待つようなもので結果、翌日東京の検査機関を紹介され、レントゲン写真と血液検査を
携えてムスメが付き添い、私の運転で一目散練馬区の環八沿い、光が丘の近くの検査センターへ
行く。
東京の道路の運転が怖いなどと言っていられない切羽つまった気持ちで、闇の中の光明は元住んでいた
世田谷の40代に走り回っていた道路であったことだけで、翌朝は朝早く伊那を出発していた。
とんだ事になったと言う思いは、火事場の馬鹿力につながりへこんでいる暇はない。
検査と手術もろもろの費用に驚くがそうしてはいられない。

座席には8ヶ月の赤ちゃんと足が麻痺して動けない絶食の患畜が同乗で責任も大きい。
無事お昼に到着し、夕方3時過ぎには全身麻酔し、造影剤注入し、MRI撮影を終え、丁寧に獣医さんから
結果を説明され帰宅をする。
そして翌日午前中、MRI写真を届け診察を受け、ヘルニアの部位が間違いなく決定し、手術の日を決めることになった。

ここで又困難が

せっかくMRIを最速で撮ってきたが、手術が混んでいて24日過ぎまで一杯という。
朝ご飯を食べたため手術ができないというリスクが出たが主治医も考えた末、午後の3時過ぎ
朝食の消化が6時間以上あけるという例もあり、家族の希望を入れて午後の3時過ぎ、診察時間の休み
時間の合間に手術となった。

不安と回復を願う気持ちは5分5分だが主治医と天に運を任せ帰宅した。
夕方5時過ぎに手術が終わったところで結果を聞きに行く。
MRIで場所が確定していたので手術がやりやすく、相当椎間板からはみ出していた神経を
こそげ取り後は入院して徐々に帰宅したらリハビリで回復させるそうでそこは人間と同じである。

連休中にヘルニア発症し5日間で治療まで行ったが運の良さと家族の強い結びつきと信頼する主治医と
進化した検査方法と全てひとつになり好結果に繋がったと思う。

11歳になった愛犬は中央林間、原村、と11年間を過ごし伊那で重病になったが、病気をされると
健康が当たり前から又、教訓を得て、犬も家族の席で十分に役割を担ってきたのであった。






十五夜

2014年09月09日 21時39分01秒 | Weblog
昨夜は十五夜、中秋の名月であった。
しかし、9時ごろを過ぎるまでは雲に囲まれて姿が見えなかったが
やがて余が更けるとともに空も清んで月も明瞭に見えてきた。

ただし、気温が下がり肌寒くいつまでも外にいるわけにはいかなかった。
こころ残りながら月見を終えた。

そして一夜明けた今日は朝からすばらしく晴れてしばらく振りに中央アルプスの全景が
ガスがかかることもなく見通せる。
稲が黄色くなり間もなく稲刈りが始まる。



多分湿度が低くすっきりとした少し寒く感じるくらいの朝である。
勿体ないくらいの晴れ上がった空に家の中にいるには勿体ないと思えたが
畑へ出ると夢中になり終日仕事をしてしまい又体が痛くなる繰り返しになるので
我慢をする。

3月の春になったであろう暖かい日に近隣の高鳥谷という
中央アルプス、南アルプスを一望できる伊那では有名な高鳥谷山にいくべく
たかずやスカイラインを走ったが雪道になり途中で諦め、
午後はムスメとマゴと一緒に、今回リベンジした。
林道はススキで鬱蒼としていたが片道30分ほどで到着し、思わぬドライブに気分が一掃した。

そして夜になると近くの公民館で伊那の田楽座という歌舞劇団の公演を見る。
田楽座は伊那の富県という地域にこの歌舞劇団を起こし今年で50周年という。
その地域に根を下ろしお礼をこめて9月に近隣5ヵ所の公民館でお礼の無料講演を行っている。

1時間余の木遣りや鳥さし舞い、南京玉すだれ、太鼓の合戦、水口囃子などなどの大迫力に
引き込まれすばやく時間は過ぎ去った。

先日のお寺で行われたソプラノコンサートと今回の田楽座の歌舞公演といい、地元でのリラックスした
場での文化活動を見れたので伊那に引っ越してきたという実感がひときわ強くなったと思えた。




女子会

2014年09月01日 10時20分02秒 | Weblog




9月に入った。
8月は最も暑い季節で、野菜や草花はぐんぐん育ち、暑さでぐったりしながらも人間は
秋になる前にエネルギーを蓄える時期でもある。

ところが台風と秋雨前線が長居して、豪雨とその後の土石流につながり大変な災害が続いた。
外では雨が降り続き、ニュースでは災害情報が放送され、日照時間も少なく、辛い8月に終わった。

9月1日は震災の日で長かった勤務生活で防災訓練日だと体に染み付いていた。
東京のビル街での防災訓練はマニュアルに従いそれぞれの役割を粛々とこなしていた。
今や災害も別な形で突然甚大な被害に繋がるものに変わってきた。

昨年の今頃は1ヵ月後の引越しの準備を始めていた。
モノはほとんど処分し、更にこの8ヶ月で引き続き断捨離を行い、
どんどん自分の行く末が短くなってきたことを、なぜか新しい自分の家に住んでから強く思うようになった。

そとをふと見たら、庭を雉が歩いている。
こんなに近くに来ることは今までにない。
春先に田んぼのあちこちでケーンと鋭く鳴くのをよく聞いた。
ヨチヨチと歩く姿を見ていたら何羽かいるではないか。
その内庭の土手に移り、3羽でしばらく何か話し込んでいる様子。
後から1羽が合流し、4羽になった。
珍しく雄がいない。

まるで人間世界みたいと可笑しくなって、笑ってしまった。